ゼレンスキー大統領の選挙対策から始まった対立

 元コメディー俳優で国政経験のないゼレンスキー大統領は、ドンバス戦争の終結とオリガルヒ(ロシアの新興財閥)の汚職・腐敗によるウクライナ国家への影響を阻止することを公約に掲げて当選した。24年の大統領選再選の鍵は、分離独立派が支配する東部停戦地域であるルガンスク州・ドネツク州でどのようなパフォーマンスを示せるかだといわれていた。これには、クリミア併合時にロシア軍との戦闘で大敗を喫したウクライナは、不利な条件でミンスク合意を結ばされたとの強い思いがある。

 ミンスク合意がある限り、ドンバス地方で選挙を実施し、高度な自治権を認めざるを得ず、分離独立に法的根拠が生じてしまう。これを嫌うゼレンスキー政権は21年にかけてミンスク合意を反故にすべく、尽力してきた。米国を中心とした西側諸国の支持を得るため、国政の汚職一掃など、西側の要求を満たそうとしてきた。

 ただ、プーチン大統領と個人的にも親しい議員への制裁や逮捕などの汚職一掃や、「クリミア・プラットフォーム」開催など一連のクリミア半島返還の国際的なアピールも実を結んでいない。ゼレンスキー大統領の8月末の訪米では、バイデン大統領からミンスク合意反故への支持やクリミア半島を奪還することへの支援は得られなかった。

 そのため、ゼレンスキー大統領はドンバス地方奪還に向けて、軍事力による解決を試みている。21年4月にトルコから購入した軍事用ドローンをドンバス地方での偵察飛行に利用した。さらに、10月末にこのドローンによって、ドネツク州の都市近郊で分離独立派武装組織の榴(りゅう)弾砲を爆破した。

 分離独立派はウクライナがミンスク合意に反する攻撃を行ったと非難しているが、ウクライナはドローンがコンタクトライン(ドンバス地方の政府管理地域と武装勢力による被占領地域の間に敷かれた国境線)を越えておらず、そもそもコンタクトラインに非常に近い場所に榴弾砲を設置すべきではなかったと反論している。ウクライナがトルコからさらに軍事用ドローンを購入する計画を進めていることから、ロシアはドンバスの独立派組織に対する軍事的な「挑発」行為は、同地域の緊張を再燃させ、ウクライナ国家全体に深刻な結果をもたらすとの見方を強めていた。

 そのためドローン偵察・攻撃から数日後には、ロシア陸軍の戦車がウクライナ国境付近に配備され、2021年11月7日には少なくとも一個大隊分の戦車が集結した(2021年4月に集結して一旦撤収したものの、最終的に10万人を超える軍隊が集結している)。米国はこれをウクライナに対する攻撃的態度と騒ぎ立て、ロシアに(ウクライナ)侵略のレッテルを貼った。プーチン大統領はそもそもウクライナからのドローン攻撃に対抗すべく、けん制の意味を込めて軍隊を集結させただけである。

 米国が騒ぎ立てたので、プーチン大統領もそれに便乗して、かねて要求していたNATOの東方拡大停止を米国に突き付けたというのが実情であろう(プーチン大統領も2024年のロシアの大統領選挙に向けて外交的成果を求めていたといわれている)。2021年12月にロシアは「NATOを東に拡張しないと書面に残せば(国際条約とすれば)軍隊を撤退する」という条件を出した。

 しかし、米国にとって、NATOの旧共産圏からの全面撤退は外交的敗北を意味し、中間選挙を控えるバイデン大統領にとっては受け入れがたい。それでも全面的な衝突を避けるための落としどころを探り、2022年1月には米国およびNATOがロシアに歩み寄る方向で交渉を始めた。しかしゼレンスキー大統領は、ウクライナ不在のまま物事が決められることを恐れて、ロシアと直接交渉しようと、米国・NATOとロシアの間でまとまりかけた協議に水を差しているのである。いわば選挙対策という権力者のエゴからこのような事態まで発展したのである。

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