あんまりヘンテコリンな人がいっぱい来るので日本語シンツイッタでは、やむをえない、括弧をつけて「処理水」と呼んでいるが、英語では処理水でも汚染水でもいいことになっていて、日本政府が、これから数年をかけて、ほんとうに無害だと証明するまでは、いまのまま「汚染水」が多数派なのでしょう。
政府だけでなくて、日本の人も勘違いしているが、汚染しているかどうかは、いわば奥の院の問題で、当面、フィジーを始めとする南太平洋諸国のひとびとやなんかが怒っているのは、事前には、なんの相談もなく、そういう言い方をすれば真珠湾への「騙し討ち」攻撃なみに、あれよあれよというまに、勝手にひとり決めにして、ダイジョブ、ダイジョブ、おれがダイジョブだと言ってんだからダイジョブだよ、で、汚染水放出を始めて、太平洋は日本の私有物のセプティックタンクではないぞ、と激怒している、という状態です。
あんまり日本語で説明しても仕方がないので、端折るが、結局、ここまでで、どうなっていきそうかというと、日本の政府とは無関係な、IAEAのような札付き機関とも関係がない、第三者機関が設立されて、これから先日本が放出しつづける「処理水」が、日本の主張通り、安全か、そうでないか監視してゆく、ということになった。
初めはグリーンピースのような環境団体(複数)から始まって、疑わしいとなれば、国のレベルまでステップアップされていくことでしょう。
その点では、日本のひとたちにとっても、いいことで、なにしろ自分たちでは何もしなくても当の放出元の日本ではないひとびとがオカネを使い、時間を使い、絶えず監視していく体制が数年で出来上がるようで、太平洋が「日本の嘘を信じているあいだに取り返しがつかないほど汚染されてしまった」というマヌケな状態にならないのは、反捕鯨のイメージで考えれば判りやすいが、ほぼ、約束されることになった。
まあ、よかったよかったと言ってすますことも出来なくはないが、日本の人たちにとっては、良いことばかりではなくて、「日本人は世界の厄介者だ」というイメージは、捕鯨のときの数層倍も増幅されて、定着していくでしょう。
日本のポジティブなイメージは、物価が安くて、人が、少なくとも表面は親切な国で、旅行するためには、ほぼ理想的な条件の国です。
最後の旅行は、数日で、しかも移動はヘリコプターとストレッチリムジンで、我ながらダメ・トリップの典型のような訪日だったが、それでも、やっぱり日本は日本だなあ、というか、舞いあがるような楽しさで、ヘリコプターで出かけた軽井沢で友だちと一緒に室生犀星の家を再訪したり、京都で尾張屋で蕎麦を食べて、あんまり仔細なことは言わないほうがいいが、ニュージーランド縁故の京都の若い日本人たちと交歓したりして、「やっぱり日本は最高だぜ」と思いました。
家宰さんが、日本の放射性物質管理体制を、まったく信用していなくて、夕食は麹町のイタリア料理屋指定だし、わしが大好きなトンカツ屋は、「あそこは福島米だからダメだ」と言われるしで、不自由極まりないことだったが、それでもやっぱり日本は日本で、楽しいなんていうものではなかった。
「ガメ、アジアの国のどこかに行こうとおもうんだけど、どこがいいかな?」と若い人に訊かれると、「そりゃあ、日本がいいよ。東はヤバいかもしれないが、東京から西にだけいれば、健康被害もないとおもう」で、もういったい何人の若い人たちが日本を訪れたか
そのうちの何人かはリピータになって、ラーメン二郎の注文方法に通じたりもして、悦に入っている。
ネガティブなイメージは、夜郎自大、という言葉そのもので、不思議なくらい常識がない。
害意だけがあって、まともに共に建設しようという気持ちがない。
もう、ほんとに言っていることを聞いているだけで不愉快で、言葉なんか通じないので、ぶん殴りたくなってくる、というところでしょうが、しかし、日本の人は、多分おなじ人でも、面と向かうと温和しくて、本人は気が付かないだろうが、ますます軽蔑を買ったりしている。
若い人でも「こういうやつがSNSで卑怯なことをするんだな」と判るからです。
いまの世界では日本の人たちの基本的なイメージは、「めんどくさいだけで、付き合ってもいいことはない人たち」でしょう。
例えば、きみが投資家だとするでしょう?
日本の大会社から、大層な肩書の役員たちがやってくる。
暫く話していると、いったいなにをしたいのか判らないので、なんだか失礼だが、
「で、結局、あなたは、なにをしたいとおもって来たんですか?」と聞かざるをえないことになる。
そーゆーとき、日本の「役員」の人々は、驚くべきことに、モゴモゴ言い出して、
「いや実は〇〇さんに、お聞きしたら、あなたがたいへんに有能な人だと聞いたので、どんな人か、いちど、ご挨拶に覗いたいとおもいまして」というようなことを言う。
わしは、動物園の象か。
能書きが多い。
冷蔵庫ひとつ売りつけるのに、日本の職人芸の歴史から始まって、いいものは売れるという「弊社の哲学」、いかに丁寧に作られているかと、延々と話しは続いて、やっと価格を提示したかとおもうとサムソンの優に二倍で、口あんぐりで、マジマジと相手の顔を見つめることになる。
あんた、正気なのかね?
これが実は逆方向の、こちらの製品を売りに行くときもおなじで、「いやあ、日本の消費者は質に対して敏感ですからね。〇〇という機能やXXは必須です。ここ、この角のラインですがね。
日本のマーケットにあわせて、こうできませんか」
注文の多いバイヤーで、それでも我慢して聴いていると、1000台単位が相場の製品で、
「弊社としてもリスクがおおきいので、どうでしょうね、初めは50台で」と言い出す。
簡単にいえば、そういうことで、難癖ばかりつけて、一向にこちらと一緒に稼ぎましょう、という気配はない。
まるで夾雑物の塊のような「日本ルール」で出来ていて、
「日本で何かしたいとおもえば、ルールに従ってもらわないと困るんです」というが、
むかしの、オカネが唸ってブイブイ言わせていた日本ならともかく、いまの日本は公平に言ってビンボなので、「じゃあ、もういいです」になって、笑顔のまま、「二度と戻ってくるか」になる。
日本は「めんどくさいだけで、付き合ってもなにもいいことがない」国になってしまっている。
いわば「日本ルール」のゴミ屋敷に住んでいる、むかしカネモチだった、おばちゃんみたいなもんです。
それでも、おなじ太平洋を共有しているので、付き合っていかないわけにはいかないので、もっか、太平洋沿岸諸国は、苦労しているところです。
日本の人に話してわかってもらおうとしても、無理なのは捕鯨のときで、嫌というほど思い知らされているので、今回は、日本人を信用して共に太平洋を守るという選択はない。
日本の人には「自分だけが偉い」という不思議な思い込みがあって、一緒になにごとかをつくっていくというのは無理だということが判っているので、説得するとか、話して判るとかいう選択肢は、あるわけがなくて、しかも日本の人には例えば外交の辞令と、こちらの本音を見分けるという能力が完全に欠如しているという別の特徴もあるので、自然、
「いや、もう、日本の人には悪いけど、相手にするのはやめようや」ということになっている。
日本の人は日本人の理屈に従って生きて、世界の人は世界の理屈で暮らしていくので、まあ、お互いに、あんまり干渉するのはやめようね、ということです。
日本はね、いつのまにか鎖国しているのですよ。
少なくとも、英語人には、そう見える。
ここから先は、なるべく日本の人を刺激して憤激させないようにしながら、世界の秩序をつくっていくしかない。
そういう言い方をすれば「日本を取り外す作業」にかかっていくしかない。
そのうえで、異世界として、こちらは楽しみ、日本の人の側は落ちてくるオカネを受け取る。
この「異世界」としての日本の価値は、日本のひとたちが考えるよりも遙かにおおきいので、
特に日本人として悲観することはなさそうです。
「日本外し」というと、なんだか村八分みたいに聞こえてしまうが、そういうことではなくて、ちょっとあなたがたの(めんどくさい)理屈には付き合えないが、まあ、もう少しは距離を置いて、新しい関係を築いていきましょう、ということです。
かつての自称「日本の友人」として、ひとつだけ寂しいのは、相対して、お互いに向きあう関係で、同じ方向を向いて、肩をならべて、共に建設する方向とは異なってしまったことだが、これは、もう仕方がないことなのだとおもっています。
まあ、なんとかなりますよ。
世界といえども、日本の人がいつも見下して考えるほどバカではない。
もう兄弟だとは、言えなくなってしまったけれども。
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