縄文人、アメリカ大陸へ行く
移動した三内丸山の人々
三内丸山遺跡についてウィキペディアはこう書いている。
遺跡の終焉の謎
これほどの集落がなぜ終焉を迎えたのかは謎である。一因としては、気候の寒冷化などが挙げられるが、それだけで集落全土を手放すとは考えづらく、栗の栽培を停止しなければならない何か特別な理由があったという見解も示されてはいるが、それが何であるかは分かっていない。
消えたわけではないので、移動したのだ。
なぜ移動したかというはっきりとした理由がわからないからである。
しかし、気候の寒冷化がおこり、いつか住めなくなると知った縄文人は移動を開始したと思われる。
未来の見えないというだけで、移動した理由は成り立つのではないか。
人々の移動は実績がある。
まず、人類の成り立ちに「アフリカのイブ」がある。
ミトコンドリア・イヴ理論
すべての現代の人種は、遠いアフリカの女性の子孫であるという説だ。
それなら、なぜ人々はアフリカを出発したのだろうか。
なぜ、世界中に移動したのだろうか。
その地に定住した人達がいる。その人たちは文化を創り上げる。
しかし、移動した人達もいる。
なぜ、拡散し続けるかという問いに、その原動力は「希望」と答えたほうが正解だろう。
「逃亡」という部分もあるだろうが、前に進む力は「希望」しかない。
それは、現代人でも十分納得のいく感情なのではないか。
縄文人はるかなる旅路 (日経ビジネス人文庫) 文庫 前田 良一 (著)
という本がある。
その中で、縄文人は世界中に拡散していったと書いている。
その本では、南米エクアドルで出土した縄文土器について熱く語っている。
面白い本なので、興味のある方は一読をお勧めする。
エクアドルの土器
南米エクアドルで出土した縄文土器は本当だろうか。
エクアドル
エクアドルにおける人間の活動は、エル・インガやチョブシ洞穴の発掘により、およそ紀元前10000年ごろには始まっていたと確認されている。紀元前6000年からトウモロコシ、ヒョウタンの栽培が始まり、紀元前4000年頃から土器(バルディビア土器)の製作が開始される。
縄文時代は諸説あるが草創期は約1万5,000 - 1万2,000年前というのが一般的である。
縄文人がエクアドルに渡って土器を作ったとしてもつじつまは合う。
太平洋岸宮崎でバルディビア土器風の縄文土器を発見!http://www.gondo.com/cnn/news/031005-1.htm
土器の文様のうち、一部のものが九州の縄文時代前期から中期の初頭の土器、例えば曽畑式などと酷似していることで知られる。バルディヴィア遺跡を調査したエヴァンス夫妻やベティ・メガースが60年代に唱えた「太平洋横断伝播[接触]説」(Pacific Contact)古田武彦「倭人南米交流説」などがある。
バルディビア文明
チョレーラの土偶
国宝「合掌土偶」
ポーズや雰囲気がそっくりである。
チョレーラの土偶
オークションにかけられた縄文の土偶
肩のラインと雰囲気がそっくり。
しかし
実際に伝播があったかどうかについては、型式的な比較ですべてが同じではあるとはいえないことと、器形や伝播経路などから考えて不可能であるため、受け入れられていない。
「器形や伝播経路などから考えて不可能」と断言しているのが気になる。
不可能とは誰が言ったのか。
縄文人が南米に行ったという根拠の一つに、南米の人達が新モンゴロイドだという点にある。
南米最南端フエゴ島のオナ族 日本人そっくり
DNA
DNAの検査で現在いろんな事がわかってきた。
現代日本人と7,000年前に生きていた北米のインディアンが、遺伝子のレベルで共通の基盤を持っていたことがわかったのである。
日本人の源流にかかわる集団の一部から、アメリカ先住民の祖先がアメリカ大陸に向けて旅立っていたことがわかる。(先に取り上げたフロリダのミイラのmtDNAが日本人に見出された結果と符合する)
第1部 最初の日本人の系譜
http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn1/001honnronn_03_1mt_dna.html
「伝播経路などから考えて不可能」といいきっているが、つまり太平洋を縄文人が渡れるはずがないという、想像力欠如の考え方が妙に腹立たしい。
コロンビア ラ・トリタ地区出土の甕棺
吉野ヶ里の甕棺にそっくり
ポリネシア
北太平洋のハワイだが、ハワイ諸島へ人類が移民してきたのは、4世紀から8世紀頃(史料が乏しくはっきりわかってはいない)で、南方のテ・ヘヌア・エナナ(マルケサス諸島)からと考えられている。
いわいる「ポリネシア」と言われる地域である。
ポリネシア人
ポリネシア人の祖先はオーストロネシア語を話すモンゴロイド系の民族で、元々は華南や台湾にいたのだが、その一部は紀元前2500年頃に南下を開始し、フィリピンを経て紀元前2000年頃にインドネシアのスラウェシ島に到達する。
ここからニューギニア島沿岸、メラネシアへと東進する間にパプア先住民やメラネシア先住民と混血し、ポリネシア人の始祖となる。
原ポリネシア人(ラピタ人)は進路を東に進め、紀元前1100年頃にはフィジー諸島に到達する。現在、ポリネシアと呼ばれる地域への移住は紀元前950年頃からで、サモアやトンガからもラピタ人の土器が出土している。サモアに到達した時点 でラピタ人の東への移住の動きは一旦止まるのだが、その間に現在のポリネシアの文化が成立していったと考えられている。
ポリネシア人はメラネシア人よりもミクロネシア人、台湾先住民、東アジア人に近縁であるとの結果が出ている。
「縄文人はるかなる旅路」では、この原ポリネシア人(ラピタ人)が縄文人だった可能性を説いている。
南太平洋のと真ん中にイースター島がある。
イースター島の移民は、遥か昔に中国大陸からの人類集団(漢民族の祖先集団)の南下に伴って台湾から玉突き的に押し出された人びと(→オーストロネシア語族を参照)の一派、いわゆるポリネシア人である。
イースター島
アジア人は、優れた航海術を駆使し太平洋に拡散していった事実がある。
南米エクアドルへ縄文人が住み着いたとしても、現在では突飛な夢物語ではない。
「不可能」と言いきる方が間違っている。
「アメリカ大陸に残された縄文人の痕跡 」
1996年にアメリカ ワシントン州コロンビア川からで発見された遺骨が、その後の調査で、今から約9300年前の物とわかった。これは後にケネウィックマンと名づけられたが、その特徴は研究が進むにつれ明らかになった。
2001年7月、ミシガン大学のローリング・ブレース博士の研究グループによりケネウィックマン縄文人説を裏付ける更なる証拠が出てきた。
北米最古の完全な古人骨骨格ケネウィックマン
イギリス科学週刊誌『ネイチャー』7月23日号にモルテン・ラスムッセンら欧米研究チームが発表した遺伝子解析の論文
形態学的研究ではケネウィックマンはアイヌ民族やポリネシア人に近い、という結果が出された。
アイヌの人々
旅するDNA
いろいろな研究結果、現在では古モンゴロイド(縄文人、現在のアイヌ人、ポリネシア人 その他)がアメリカ大陸に渡ったのは明白である。
ハワイやブラジルに、日系人が多いのは古代からの記憶がそうさせたかも知れない。
もっと科学が進めば、さらなる分析が期待される。
三内丸山遺跡の住人たちの一部が、海を渡って新天地への旅をしたというのは間違いないだろう。
三内丸山だけではなく、日本列島に住む縄文時代の人々は、定住し続ける一団と別れ、船で拡散を続けていった。
その証拠はDNAである。
なぜ、危険を冒して旅を続けるのか。
その問いは愚かしい。
人類はアフリカから旅を続けてきたのだ。
そして、今は宇宙に向かって旅をする計画を進行させようとしている。
旅は人の本能なのだ。
宇宙旅行