ほぼ漫画業界コラム13
回顧録第三章【週刊少年サンデー】です。一気に書くぞ!
1【溶けた脳みそ】
2006年10月、僕は小学館に中途入社した。中途の同期は8人。皆、中堅出版社などからの転職だ。ただ漫画編集者は僕だけだった。同期は皆美人ばかり。しかもお洒落。当時、蛯原友里さんなどの人気でCanCanなどの女性誌が絶好調だった。小学館は女性ファッション誌の編集者や広告の営業マンの採用を強化していた。同期は皆華やかで爽やかで、小汚い漫画編集者の僕とは全然違った。でも、爽やかな彼女達は僕にもとても優しく接してくれた。そこから1ヶ月間も、彼女達と楽しく研修を過ごした。そもそもスクエニから小学館に転職する間に2ヶ月ほど、僕は有給消化で働かずに過ごしていた。海外旅行に行きまくり、何も考えず豪遊していた。さらにそこにこの1ヶ月の研修期間が加わった。漫画編集者を辞めて3ヶ月である。たった3ヶ月でスクエニでの僕の激闘の日々は遠い過去になっていた。簡単に言うと僕の脳みそは溶けていた。顔つきは穏やかになり何のストレスもない毎日に、あっと言う間に順応した。3ヶ月間、漫画も読まなかった。研修が終わり、配属が決まるその日、僕は何かの間違いでCanCan配属になったりして〜とかさえ考えていた。蛯ちゃんに会いたかった。そして僕の配属が決まった。週刊少年サンデーだった。顔が曇った。まあ、漫画編集部に配属になるのは仕方ないとしても週刊誌は嫌だった。ガンガンWINGは月刊誌でヤングガンガンも隔週誌だ、毎週、原稿が上がるイメージが全く湧かなかった。しかも僕の脳みそは溶けている。週刊連載を立ち上げるなんか無理だ。
だが、またこうとも思った。必ずしても立ち上げる必要はない? 例えば引継ぎは?そうだ、既に週刊連載を回しているヒット作家の担当を引き継いで貰えば良いのだ‼︎ それに週刊少年サンデーには僕が大好きな作品を書く漫画家が4人もいた!! 人生のバイブルとしている『今日から俺は!』の西森博之先生、高校時代に泣かされた『うしおととら』の藤田和日郎先生、『名探偵コナン』の青山剛昌先生、そして何より僕に漫画編集者としての初めての成功体験のきっかけとなった『金色のガッシュ』の雷句誠先生がいる! この4人の先生の誰かの担当を希望しよう! 絶対に楽しい。おそらく話を僕が考える必要もない天才達だ。担当しているだけで、仕事してるっぽく見えるに違いない。どうせ働いても働かなくても年収が変わらない会社だ。出来るだけ安楽な環境で安楽に過ごしてやる!
そう強く心に念じて僕は編集部の扉を叩いた。僕はすでに漫画編集者は6年目だ。ヒット作も出しまくっている。少年サンデーとは言えこれだけ実績を持っている20代はいるはずもない。ある程度のポジションは約束されるだろう。そう思いながら編集部の扉を叩いた。配属されたその日、まだ人がまばらな編集部で編集長は僕をちらりと見て僕のネームプレートを持ってきた。そしてそれを編集者の名前が羅列してあるホワイトボードに貼った。一番下であった。この並びになんの意味があるのか?それは編集部の序列であった。その日から、僕は編集部のカーストの最底辺に置かれた。
2【サンデー編集部の洗礼】
雑用から、記事ページから、飲み会のセッティングから、弁当とりからすべてやらされた。それに対する僕の仕事は最低レベルだと毎日のように怒られ、怒鳴られた。得意なはずの記事ページも、ラフの書き方が下手すぎると何度も直しを要求された。編集部に一人残って深夜まで雑用をこなしていた。TVからアニメ化されたすもものOPが流れてきた。涙が出てきた。ちょっと前までエースだ何だと言われて調子に乗っていたのに、ここでは僕は最底辺だった。毎日怒られ続ける内に、僕の自己肯定感は再びゼロに近くなってきた。
流石に中途入社だからと僕には連載作の引継ぎが与えられたが、僕には面白さがよく分からないシュールなギャグ漫画だった。アンケートも元々ビリ近くであった。漫画家と会った時に漫画家は僕に「どうぞ」といった。??? 話を聞くとこの作品は、毎回話を担当が考えるらしい。その漫画家は僕に次回の話のネタを出すように要求するのだ。戸惑いながらも僕は主人公が巨大なカブトムシと相撲を取るという話はどうかと言った。よく分からなかった。良いですねと漫画家は答え、帰っていった。・・・良いのか。ネームが出来、原稿になり校了に回した。副編集長にゲラをチェックしてもらった。副編集長はその漫画がつまらない、お前は何も漫画を分かっていない。コマ割りもテンポも全然ダメだ。レベルが低すぎる!と説教を始めた。
これは毎週続けられた。長い時は2時間立ちっぱなしで怒られ続ける。シュールなギャグ漫画なので何が正解かわからない。アンケートは多少は上がっているが、僕が担当になってから全然つまらないと毎週、立ちっぱなしで説教を受ける。おかしくなりそうであった。サンデーの先輩方はスクエニで僕の立ち上げた作品はどれも知らなかった。彼等が見ているのはジャンプとマガジンの作品だけだった。そして毎日のような飲み会。飲み会は2次会、3次会とあり、新人の僕には帰ることは許されない。そこでもひたすら説教を受けた。僕のあらゆる仕事のレベルが低いと。僕の自尊心はその時、地の底まで落ちていた。脳みそも溶けていたので何も良い返さなかった。もう何も言わぬロボットのようになっている自分を見て、ある編集者が僕に言った。
『やっぱりゲーム会社の編集部ではまともな編集者教育を受けていないんだろうなと』
この言葉が、脳みそが溶けてロボットになっていた僕にようやく火をつけた。この言葉を許せなかった。僕だけではない、僕が尊敬する過去のスクエニの編集者達もバカにされているような気がした。そして、僕にこのように接してくる編集者の全員が過去にヒット作を立ち上げた事がない編集者ばかりだった。むしろサンデーのヒット編集者は、こんな飲み会に来ていなかった。忙しくて作家の元にいるのだ。ヒット作を出せない編集者には価値がない。尊敬するスクエニの窪田さんの言葉だ。こんな価値もない人々にこれ以上バカにされて良いはずがない。僕は心の中でスクエニの代表作『鋼の錬金術師』の有名な台詞を呟いた。
【立てよド三流 オレ達とお前との格の違いってやつを見せてやる】
3【林正人編集長】
覆す方法は知っている。ヒット作を立ち上げればいいのだ。漫画編集者なのだからスクエニ時代と同じだ。だが、サンデーでの難易度は高い。まず一番の難関が“サンデー純血主義”。基本、余程の例外を除いてサンデーの企画はサンデー生え抜きの作家にしか企画提出すら許されてなかった。サンデー生え抜きとは即ち、サンデーの新人漫画賞を受賞した作家である。つまり新人賞を受賞した作家の担当になるしか企画を提出出来ないのだ。だが、中途の僕がいくら担当希望を出そうと、作家が割り当てられる事はなかった。サンデー純血主義は編集者に対しても発動される。仕方がないのでスクエニで担当していてまだデビューしていない作家達に、サンデーの新人賞に出してもらった。でも他の編集者に取られるわけには行かないので、自分が仮担当と書いて出した。だが、彼らが受賞する事は無かった。新人賞の評価欄には5段階評価で1点がならんでいた。僕が仮担当の作品に誰も点を付けないのだ。新人賞が取れないのでその作家たちは企画が出せない。彼らはその直後スクエニでデビューして人気作家になっていった。やばい打つ手がない。まずはこの延々と続くいじめ行為をやめ手もらわねば。
僕は流石に当時の編集長に相談した。林正人編集長、藤田和日郎氏の『からくりサーカス』などを立ち上げた敏腕だ。僕にとっては3人目の編集長。僕はスクエニ時代のように一方的に上を攻め立てるのをやめた。編集長だって人間だ。一方的に詰めてくる部下を好きになれるはずがない。林編集長はまだサンデーの編集長になりたてだった。強烈な個性の編集者や漫画家をまとめるのに四苦八苦していた。そのせいで僕が置かれている状況に気付いていなかった。僕は編集長の気持ちに寄り添って話をしようと考えた。30前にして僕は少し大人になっていた。編集長には、このままだと僕は潰れるという事。高いコストを払って採用したのに、勿体なくないですか?と交渉を始めた。僕は企業体質が違う場所で育った編集者だという事、自分のこれまでの実績などをもう一度話した。さらに新卒扱いは辞めてほしい、僕は必ずヒットを出す。一度でいいから打席に立たせてほしい旨を伝えた。林編集長は連載中の作品で引き継ぎたい作品はあるか聞いてきたが、僕はNoと答えた。引き継ぎだと実力が示せない。僕は立ち上げ専門の編集者だと。誰か一人、可能性がある作家を担当させてほしいと伝えた。
編集長は、しばらく考えて一人の作家を提案してくれた。これが失敗したら、次は無いと言った。僕は大丈夫です。100%ヒットさせますと答えた。そして、ようやく担当をさせてもらえたのが・・・・若木民喜氏だった。
4.若木民喜氏と神のみぞ知るセカイの話
紹介された若木さんは僕より5歳上の男性だった。京都大学卒のインテリでエロゲが大好きでエロゲサイトの管理人もしていた。僕は若干の不安を覚えた。男性作家は殆ど担当したことがないのだ。一人いたが酷く怒らせて担当を降りた事がある。僕は作品に対して歯に衣着せぬ物言いをする。多くの作家を傷つけてきたが、作品作りには率直な物言いが必要だと考えているので考えを改める気はなかった。作品がヒットする事が、なによりもその作家のためになるのだから。男性同士、歳上、学歴も僕より上、何より僕が苦手なゲーム好き。僕の話を聞いてくれるのか。だが、やらねばならない。絶対にヒットさせる。僕は若木さんに、僕は命がけで作品をヒットさせる事を誓った。だから無礼なやりとりや、繰り返されるであろう直しの指示もこらえて聞いてくれと頼んだ。若木さんは了承してくれた。若木さんは前作を打ち切られていた。30半場の若木さんにとっても、命懸けの戦いの始まりだった。毎日のようなやりとりで僕は成功を確信した。若木さんは圧倒的に頭がいい。理が通っている話ならば、確実に聞いてくれる。ただし僕が言語化できない、感覚的な提案は拒否される。だからできる限りロジカルに、感覚を混ぜず、全てを言語化する事を徹底した。若木さんと打ち合わせをしていると、こちらのスキルも上昇していくのを感じた。入社時に溶けていた僕の脳みそは復活し、進化を始めた。この感覚は後にも先にも若木さんとだけだ。そして入社から半年たった頃『神のみぞ知るセカイ』は連載を開始した。コナンに負けて1位は逃すも初回のアンケートは2位だった。その後、何度か1位もとった。単行本1巻が発売されてすぐに重版がかかり、サンデーの看板作に一つになった。そして次第に、編集部の空気も変わってきた。ようやく僕を対等な仲間の一人として扱えてもらえるようになった。林編集長が結果を元に、周りに上手く話してくれたのだろうと感じた。そんなある日、編集部に激震が走った。『金色のガッシュ』の雷句誠先生が編集部を提訴したのだ。
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