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始皇帝暗殺に最も近づいた男は、人前で酔って歌って泣き出す“傍若無人”な人物だった!?

故事成語で巡る中国史の名場面


中国の始皇帝(秦王政)は、生涯で何度か暗殺未遂に遭っている。中でも最も有名で、最もピンチだったのが、『史記』の「刺客列伝」に載る荊軻による暗殺未遂である。実は荊軻は「傍若無人」という言葉の由来となった人物でもあった。一体彼のどんな素行から来た言葉だというのか…?


 

■“傍若無人”な刺客、荊軻とは?

 

 周囲の目をまったく気にすることなく、勝手気ままに振る舞う様子を「傍若無人(ぼうじゃくぶじん)」と言う。解体すると「傍(かたわ)らに人無きが若(ごと)く」と読むこともできる。四字熟語のほとんどがそうであるように、「傍若無人」も中国の古典に由来しており、前漢の司馬遷(しばせん)が著わした『史記』の「刺客列伝」がそれに当たる。そこには歴史に名を刻んだ刺客6人の伝記があり、そのなかに挙げられる荊軻(けいか)と高漸離(こうぜんり)が今回の主要人物である。

 

 時は戦国時代の終盤、小国の衛で生まれた荊軻は諸国を巡ったすえ、燕国の都に腰を落ち着かせた。姓名不詳の肉屋と、筑(ちく/琴に似た楽器)を得意とする高漸離と意気投合してよく一緒に酒を飲み、興が高まってくると、通りの真ん中であろうと構わず、高漸離が筑を打ち鳴らし、荊軻がそれにあわせて歌い、しまいには3人とも感極まって泣き出すのだった。「傍若無人」とは、この様子を表わした言葉である。

 

 なんともはた迷惑な3人に見えるが、実は荊軻は知る人ぞ知る剣の使い手で、人並み外れた度胸の持ち主でもあった。国の命運をかけた大事を託すには相応しい人材というので、ある日、燕国の太子丹から思いもよらぬ依頼が舞い込んでくる。それは、“秦王政(のちの始皇帝)の暗殺”だった―。

 

 それより前、秦王政は天下統一を実現させようと、東方六国の撃滅に着手していた。一番に滅ぼされたのは韓で、趙と魏も風前の灯火だ。もはやまっとうな手段では対抗できそうになく、そこで太子丹の頭に閃いたのが“暗殺”という非常手段であった。

 

 また、太子丹は秦王政に対して私怨も抱いていた。幼少期に趙国の都でともに人質生活を送っていたときには仲良しだったにもかかわらず、太子丹が改めて秦へ送られたとき、秦王政の態度は非常に冷淡だった。太子丹はそれを深く恨み、父王の許可を得ずして独断で帰国し、復讐の機会をうかがっていた。秦軍が燕国に接近しつつある状況であれば、“私怨を晴らすため”でなく、“国を救うための苦肉の策”として実行できるため、太子丹としては最初で最後の機会だったのである。

 

■いざ、始皇帝の暗殺へ

 

太子丹が荊軻を見送った場所に建つ「荊軻塔」(河北省易県)

 

 いよいよ荊軻が出立するというとき、太子丹とその門客、さらには高漸離など事情を知るものたちが喪服を身にまとい、易水(えきすい)の岸辺まで見送りに出た。このとき高漸離の筑にあわせ、荊軻が口にしたのが以下の歌だ。

 

 風蕭々(しょうしょう)とふきて 易水寒(つめた)く

 壮士(そうし)一たび去(ゆ)かば 復(ふた)たび還らず

 

 結局、荊軻による暗殺は失敗に終わり、それが引き金となって燕国も滅ぼされてしまった。のちに高漸離も暗殺を試みるが、これまた失敗に終わる。

 

 なお、「傍若無人」と言うと粗暴な人間を思い浮かべるであろうが、荊軻は慎重で思慮深い人だった。マウントを取ることも無駄な争いをすることも好まず、つまらない人間と衝突しそうになったら、自分から身を引くのを常としていた。

 

 たとえば、邯鄲(かんたん)にいたときの話だ。すごろく博打の駒の進め方を巡り、魯句践(ろこうせん)という者から怒鳴られたとき、荊軻は無言でその場を後にし、魯句践とはもう二度と顔を合わせることがなかった。後日、秦王政の暗殺を試みた男として荊軻の名が広く知れ渡ったとき、魯句践はようやく荊軻の真意に気づく。荊軻があっさり身を引いたのは、自分を争うに足る存在と認めなかったからだと。

 

 このように見てくると、「傍若無人」は肯定的な意味で使用されることもあり、むしろそのほうが本来の姿であることがよくわかる。

 

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島崎 晋しまざき すすむ

1963年東京生まれ。立教大学文学部史学科卒業。旅行代理店勤務、歴史雑誌の編集を経て、現在、歴史作家として幅広く活躍中。主な著書に『歴史を操った魔性の女たち』(廣済堂出版)、『眠れなくなるほど面白い 図解 孫子の兵法』(日本文芸社)、『仕事に効く! 繰り返す世界史』(総合法令出版)、『ざんねんな日本史』(小学館新書)、『覇権の歴史を見れば、世界がわかる』(ウェッジ)など多数。

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