今まで鉄道で最長距離を乗った
のは、東京駅から三原駅まで
だ。
今は特別便以外三原にはひかり
系が停まらなくなったが、1970
年代-80年代は東京から一本で
三原に行けた。
生まれて初めて新幹線に乗った
のは1965年で、東京から新大阪
までの3時間10分の旅だった。
5歳児の一人旅。
といっても、東京駅で親に見送
られて乗って、新大阪ホームで
大叔父に迎えてもらっただけだ
ったが。
まあ、生まれて初めての列車旅
だった。
大阪府庁勤めの大叔父夫婦は
とても可愛がってくれて、大阪
のいろんな所に連れて行っても
らった。阪神の帽子を買っても
らったのが一番嬉しかったな(笑
広島のババアに知らないうちに
捨てられたけど。
父が家を出たその実家に夏に滞
在中に帽子が無くなった。
私が神奈川に帰ったあとで母が
父の母を問い詰めたら、
「あがーなもん被っとる
もんはここではおりゃーせん」
とか言い放ったらしい。
そして、子ども(俺)が気づかな
いうちにゴミとして捨てたのだ
という。
世の中、誰がクソババアかと
いうと広島の父方のババアよ。
バス乗っても
「そこのけ。
そこはわしが座るとこじゃ」
と言って他人をどかせるような
ババアだったが、まあ、なにも
かも広島パターンだった。
笑い話にもなりゃしねぇ。
まあ、うちなんぞは父方の親戚
は全員そんなもんだ。広島県人
の代表選手みたいなもん。
うちだけでなく、市内全域、地
域的人性はそれ。
親父はそうした地域性が嫌いで
戦後早々に東京に出た。
また、母方(福山)の土地柄も
最悪で、母はそれを毛嫌いし
て成人前に結婚するために
東京に出て父と結婚した。
そして、俺が東京目黒の山手
通り沿いで生まれた。
タイガースの帽子を捨てられた
事を知ったのは成人してからだ
った。
お気に入りで、神奈川でもずっ
と被っていた。
でも、捨てられた事を知っても
別段驚かなかった。
広島県民ならそれくらいごく
フツーの事だからだ。
あー、やっぱりね、という位
でしかなかった。
そういう人間たちしかいない
そういう土地だから、哀しい
思いはする事もあるが、別段
驚きはしない。人の情操など
は皆無の土地だ。
大阪もなにかとディープだけど、
大阪はいいとこ。
俺は好きな街だ。
横浜の次に好きかな。