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安藤優子、フレンチブルドッグとの暮らしで学んだ「生きる構え」

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今、一緒に暮らしているのは、フレンチブルドッグの「リンゴ」(メス、7歳)です。普段は、リンと呼んでいます。性格は、天真爛漫そのもの。でも、意外に慎重な面もあります。例えば、 嗜好性(しこうせい) の強い「犬好み」なおやつであっても、食べたことがないものには絶対に手を出しません。おかげで、散歩中の「拾い食い」には無縁で、助かっています。

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「リンとの散歩は心がのびやかになります」(東京都内で)和田康司撮影
「リンとの散歩は心がのびやかになります」(東京都内で)和田康司撮影

朝の散歩は、1時間をゆうに超える健脚ぶりを発揮して、私が「もう帰ろうよ」と、リンに懇願することもしばしばです。リンがいなければ、朝に夕に、長時間の散歩をするなんて到底できません。と考えると、リンは、私の立派なトレーナーでもあり、バディ(仲間)でもあります。

我が家ではこれまで、リンを含めて3匹のフレンチブルドッグと暮らしてきました。初代と2代目の愛犬については次回以降にお伝えしたいと思いますが、犬との暮らしには、気付きはそこかしこにあります。まずは「今を生きる」ことです。

生活を共にしてきた3匹は、「ご飯」「散歩」「おやつ」や、指示用語の「お座り」「待て」「伏せ」は、早くから理解してくれました。でも、「明日○○しようね」という未来形の言葉は、理解していないようでした。ドッグトレーナーに聞くと、「動物は今を生きているので」とのお答え。納得です。

朝、ご機嫌に起きて、元気に散歩へと繰り出し、ご飯を食べて、昼寝をし、気が向けばおもちゃで遊んで、また寝る。夕方近くになると、再び散歩へ。帰宅してご飯を食べて、満腹になって寝る――。基本的に、毎日その繰り返しです。

でも、そのルーチンの一つ一つに、全力を尽くしているように思えます。「今この瞬間」を生きることに集中しているのです。人間のように「明日は○○があるから、今日はこのくらいにしよう」という力の案配はないのです。

私は長年、テレビ報道の生放送に関わってきました。生放送は、極論をいえば「今」しかありません。「今」に全力を傾ける――。シンプルだけど、究極の「生きる構え」は、犬と暮らす中で教えてもらいました。

そして、当たり前の日常を積み重ねられることが、どれほどに尊いか。単純な日常を 嬉々(きき) として(私にはそう見えます)繰り返すことが、本当はどれほどの奇跡の上に成り立っているか。しみじみ幸せだと思います。

「兄妹」 しつけのバトン

これまで、我が家では「リンゴ」(メス、7歳)を含めて、3匹のフレンチブルドッグ(以下フレブルと呼ばせてください)と暮らしてきました。2005年に我が家にやって来たのは、「マルゴ」(オス)です。どこか仙人のような趣のある犬で、友人から「なんか哲学者みたいだね」と本気で言われたことがあります。これがフレブルとの出会いでした。

よく、「なんでフレブルを選んだのか?」と聞かれます。特に存命だった頃の母には「なんでもっと器量良しにしなかったのか?」と言われたことがありました。母にとっての「器量良し」は、鼻がシュッとしていて、手足の長い、たとえばかつて私が幼い頃に飼っていたコリーのような犬種だったのでしょう。鼻ぺちゃで、ちょっといかつい体形のフレブルは母の器量良しのカテゴリーからかなり外れていたようです。

でも、私はそんなフレブルと暮らすことを選びました。そして以来3代目のリンゴまでずっとフレブルの魔力に近い、魅力にとりつかれています。外見に似合わず意外なほどの活発さ、でも頑固、でも天然ボケで、寝れば大きないびき――。我が家におおらかな笑顔を運んで来てくれました。

「リンゴはお気に入りのおもちゃを来客がある度に見せびらかします」(東京都内で)和田康司撮影
「リンゴはお気に入りのおもちゃを来客がある度に見せびらかします」(東京都内で)和田康司撮影

どんな犬種を飼われている方も同じかと思いますが、その犬独特の「人格」ならぬ「犬格」を真っ () ぐに感じるときに、何ものにも代えがたい (いと) おしさに包まれます。バディ(相棒)としての手応えを感じるのです。

マルゴと暮らし始めて、知人から「もう1匹 兄妹(きょうだい) を」と勧められるままに、「いちご」(メス)を迎えました。それまで孤高の仙人のようだったマルゴが、突然熱心な「教育兄さん」に変身したのです。おもちゃを持って来て遊び方を教え、トイレも、マルゴ自らがやって見せてしつけていました。

何事にも動じないのんびり屋のいちごは、兄の、時には厳しすぎる「指導」にもめげず、「まるいち」コンビとして、マルゴが14年に天国へと旅立つまで、それはそれは仲の良い「兄妹」として片時も離れることなく暮らしました。

それ故に1匹残されたいちごの落胆と寂しさは半端ではありませんでした。マルゴの旅立ちから2年後に我が家にやって来たのがリンゴです。いちごは、みるみる元気を取り戻して、甘えん坊で妹体質だったはずが「いちごねーさん」として大張り切りで、マルゴ顔負けのしつけ係に変身したのです。マルゴがいちごに教えたように、いちごがリンゴに伝え、「兄妹」のきずなは引き継がれていったことに感動しました。

そのいちごも1年前に旅立ち、今リンゴは「末っ子」として我が家の愛情を一身に受けています。リンゴもいつかお姉さんとしてしつけ係になる日が来るのでしょうか。

豊かな表情 目で会話

よほど天気が悪くない限り出かける毎朝の散歩は、「リンゴ」(メス、7歳)と私が一番密に心を通わせる時間です。散歩が大好きなリンゴと早朝からたくさん歩きながら、新しい飲食店の看板やメニューをチェックしたり、行列になっているパン屋さんをのぞいたりと、あれこれ「会話」をしています。

「リンゴは、花より団子派です」(東京都内で)和田康司撮影
「リンゴは、花より団子派です」(東京都内で)和田康司撮影

リンゴは、私のポケットに大好きなおやつが入っていることを分かっていて、「そろそろおやつ?」と時々アイコンタクトをしてきます。その目ヂカラの強さ。

この目ヂカラに代表されるのが、フレンチブルドッグ(以下、フレブルとします)の表情の豊かさです。

人と一緒にいるのが好きで、留守番を察知すると、例えようのないほど落胆の表情を見せます。まるで「世界で一番不幸な存在です」と言わんばかりの目をして訴えるのです。

その正反対の表情を見せるのが、来客を迎えた時です。家に来てくれる人は誰でも大歓迎。分け隔てなく大喜びで、家中を駆け回ります。歓迎の印に、お気に入りのおもちゃを出してきて、見せびらかします。その時の目はキラッキラで、ひときわ輝きます。愉快な気持ちにさせてくれる笑顔です。

「犬に笑顔があるの?」と聞かれることがありますが、あります! リンゴの「お姉ちゃん」のいちご(2022年2月にお空へ)は、夏休みに避暑地の高原に連れて行くと、そこらじゅうを宙を飛ぶかのごとく走り回り、満足そうなとびきりの笑顔を見せてくれました。今でもその写真を見ると、私も胸がきゅんとして笑顔になります。

フレブルは、鼻ぺちゃで、生まれつき鼻の穴が狭く呼吸がしづらくなることがあります。呼吸が上がると、口が大きく開き、口角が笑っているように上がります。それで余計に笑顔に見えるのかもしれません。

呼吸が上がりやすいので、夏場の暑さは大敵です。真夏の散歩は早朝5時前に出て、太陽が本格的に昇りきらないうちに帰ります。夕方の散歩も、コンクリートは熱が冷めにくいので、真っ暗になってから、道路の温度を確かめて出かけます。首には保冷剤を入れたスヌードを巻いたり、背中や胸付近に保冷剤を入れたベストを着こんだり。あの手この手で「涼」を求めます。

一方で、短毛ゆえに寒がりでもあります。真冬にはダウンベストを着せ、できるだけ日差しが届いている時間に散歩できるように工夫します。そして、リンゴは(いちごもそうでしたが)小さいバスタブで、ぽちゃんとお風呂に浸かるのが冬の朝の日課です。

手がかかります。でも小さなバスタブで「ふあ~」とため息をついているリンゴを見ていると、こちらも温かい気持ちに包まれます。

頑固者 生きている証し

今一緒に暮らしているフレンチブルドッグ(フレブル)のリンこと「リンゴ」(メス、7歳)は、最近、散歩のコースについて断固としてゆずらない主張をするようになってきました。

「リンゴは私にとって大切な相棒です」(東京都内で)和田康司撮影
「リンゴは私にとって大切な相棒です」(東京都内で)和田康司撮影

昨年に「姉貴分」のいちご(メス)がお空へと旅立ってからの傾向です。たぶん、脚力が弱ってきていたいちごのペースに合わせた散歩で、リンなりに我慢をしていたのだと思います。

散歩大好き、いつまでも外にいたいリンは、家が近づくと、できるだけ遠くへ行くようにコース取りをします。こちらに余裕がある時はいいのですが、仕事に出かける時間が迫っている時はけっこう難儀をします。

自分が行きたい方向に行けないと、そこで動きをパタッと止めて座り込みます。そうなると 根競(こんくら) べです。「帰ってご飯たべよう」と言い聞かせたり、おやつで釣ったり。それでもダメな時は少し離れて「じゃあね、バイバイ」と言ってみたり。おちゃめな反面、意外に頑固なんです。

最初にマルゴ(オス)というフレブルを飼うことにした時、片っ端からいわゆる「フレブル本」を読みあさりました。どんな性格なのか、どう育てればいいのか。書かれている一文で気になったのは、「フレブルは飼いやすい犬種」というものでした。

当初は「飼いやすいんだ」と単純に思っただけでしたが、いざ実際に暮らしてみると、食物アレルギーがあったり、関節に異常が出やすかったり、皮膚疾患にかかりやすかったりと、そんなに簡単に飼えるわけではないことが分かりました。

これまで3匹のフレブルと暮らしてきましたが、今のリンもふくめて3匹共に食物アレルギーがありました。食べられる食材が限られるため、我が家では手作り食とドライフードを併用する方法に、試行錯誤の末たどりつきました。急に具合をこわして夜間救急に駆け込むことも日常茶飯事でした。つまり、「飼いやすい」わけではないのです。

「飼いやすい」とはどういうことなのでしょうか。「ムダに () えない」「かまない」などは、愛情を注いだ上でのしつけで矯正できる気質だと思います。でも、単に「飼い主の意のままになる」という意味であったとするならば、それはちょっと違うと思うのです。

「意のままにならない」のは、ペットがぬいぐるみではなくて「生きている」命そのものだという証しだと思うのです。

今、私はリンという大切な命を預からせてもらっています。キラキラした瞳をまっすぐに投げかけてきて、断固として自分の行きたい方に行こうとするリンに、だから結局、「ホント、頑固だね~」と言いながら根負けして、苦笑しています。

(このコラムは、読売新聞で3月に掲載されたものをまとめて再掲載しています。)

プロフィル
安藤優子( あんどう・ゆうこ
キャスター、ジャーナリスト
1958年生まれ。テレビのニュース番組のキャスターとして、取材やリポートを重ねる。著書に「自民党の女性認識『イエ中心主義』の政治指向」(明石書店)など。

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