風花雪月場面切抜短編   作:飛天無縫

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 前編の終わりから切れ目なく読んでください。


見えない彼女の華麗なる一日 後編

【それで結局セテスに説教されたか】

「危険なことをして人々を驚かせるなと言われた」

【然もありなん。生徒が真似でもしたら事であろう】

「遅刻はしなかったんだが」

【これからは昼休みの時間も気にせよということじゃ】

 

 暗い道を歩くベレトについていく。からから笑うわしを見上げて、授業はちゃんと間に合ったのに、と首を傾げる姿が愉快じゃ。その授業中に顔を出したセテスに説教されていた時も同じような顔をしておったな。

 

 まだ日も落ちておらぬ時分。松明の僅かな明かりしかない足元でも慣れたように危なげなく歩くベレトは修道院の地下、アビスを訪れていた。

 無論わしも一緒に来ておるぞ!

 訓練所での午後の授業を終えたベレトは後片付けを済ませると、その足で真っ先に地下への入口へと向かったのじゃ。

 その背に声をかけようとしたのか、級長の小娘が目を向けていたのをわしは気付いたがベレトは気付かなかったようで、そのまま人目に付かぬようここに来ている。

 

「こんにちは先生。本日は異常ありですよ」

「こんにちは。何かあったのか?」

「あんたが来たでしょ。こうやってアビスにお客さんが気軽に来るってこと自体が、普通ならありえない異常なんですわ」

「迷惑をかけているか」

「いやいやそういうわけでは。先生はもうここの住人に気に入られてますから、また遊びに来てくれて嬉しいんです。歓迎しますよ」

「ならありがたい。ユーリス達はいるか?」

「教室に集まってるはずでさぁ。いってらっしゃい」

 

 アビス入口の門番と軽く言葉を交わして通り過ぎると、そこは狭くて薄暗い中でも逞しく生きる人間達が開く商店街。上は老人から、下は子供まで、立場の差もなく地下の住民が拠り所とする世界が広がっておる。

 

 すれ違う者達とも声をかけられたり軽く挨拶されたりするベレトは、門番が言った通り住民から受け入れられておるのだろう。アビスがひっくり返るあの事件を収束させた立役者の一人なのだからそれも当然か。

 最終的にこのアビスは変わらず存続という運びになったが、あの時は大わらわだったからのう。

 

 始原の宝杯──セイロス教に伝わる遺物を巡ったあの事件は、このアビスの守り手として活動している灰狼の学級(ヴォルフクラッセ)と名乗った四人の生徒と、それに協力したベレトによって終結させられた。

 僅か二日間の出来事じゃ。地下の更に奥深くに行ったり、謎の襲撃者を撃退したり、彼奴等の恩師を救出したり、祭壇での儀式を阻止したり、巨大な怪物と戦う羽目になったり……とにかく、とてつもなく濃密な時を過ごしたわい。

 

 その最中に母親の遺体を見ることがあったが、ベレトは特に感慨を抱かなかったようじゃ。まあいくら母親とは言え、それまで全く接点のなかった人物を相手に何かを感じろと言われたとしてこやつも困るじゃろう。

 しかし、何故遺体がそのまま残されてあったのか。死んだ人間の体をああも美しい状態で保存しておく技術などというものがあったとは。セイロス教の教義からしても明らかに外法であろう。

 

 事が事だけあって、アビスの存在を黙認しておるレアも見過ごすわけにはいかなかったようで、あやつ自ら地下に足を運んで対応してな。

 機密に当たるところを目撃した人間が灰狼の学級とベレトしかいなかったということもあって、緘口令を敷いたレアの思惑通り、あの事件の内容は誰にも知られておらぬ。

 

 代わりと言ってはあれじゃが、シトリーの遺体をきちんと墓に納めるようベレトはレアに頼んだのじゃ。ジェラルトがよく墓に足を運ぶのを知っておるので、息子としては父が正しく参拝できるようにしてほしかったのじゃな。

 レアはしばらく渋い顔をしておったが、口外しない代償として受け入れて秘密裏に遺体を移してくれよったわい。

 

 そんな感じでアビスで起きたことは、地上には秘密の事件として、地下には『よく分からないけど大変だった事件』として、人々に伝わっておる。詳細を知る者は極少数というわけじゃな。

 

 そうそう。事件の最中に見つけた始原の宝杯は、重要な遺物ということでレアが回収してしまったぞ。すでに天帝の剣を預けるという異例中の異例を押し通したベレトに追加で託すのは憚られたのじゃろう。

 それに四使徒の協力を得ることで初めて使える宝杯は、ベレトが持っていたらまた使われてしまう恐れがあるとかで司祭連中から猛反対されたそうじゃ。灰狼の学級と仲の良いベレトにおいそれと持たせていいものではないから、まあ当然か。

 当のベレトは貴重な品だからと言っても興味がなかったようで、取り戻した宝杯をあっさりレアに渡してたわい。

 

 ちなみに、丸々二日に渡ってベレトが不在だったことで、地上では学級どころか修道院中が大騒ぎだったらしい。級長の小娘なぞ取り乱してしまって色々と大変だったようじゃ。

 担任が行方をくらませただけが理由ではないであろうな。その証拠に事件の処理から解放されたベレトがレアと並んで姿を現した時に、小娘は露骨に顔をしかめておったわい。自覚があるかどうかは知らんが、見事に女の顔じゃったぞ。

 

 ああそうじゃ、レアと言えば。

 

【ところでおぬし、いつの間にレアのことを呼び捨てにするようになった?】

「少し前から。彼女の方から頼んできた」

【ほう、何度かあやつの私室に招かれたことがあったな。その時にか?】

「ああ。仲良くなってきたし二人きりでいる時はそろそろどうか、と言われて。それより前にセテスと茶会した時にもそうしてやってほしいと頼まれたし、さん付けは不満だったのかもしれない」

【大司教と懇ろになるとはやるではないか】

「依頼主と必要以上に親密になるのは傭兵としてどうなのかと思ったんだが……」

【だが?】

「何と言うか……レアは、俺のことをとても気にかけている」

【まあそうじゃな】

「親身になってくれている分、俺の方からもそれなりの態度で返さなければ申し訳ない」

 

 あの様子はとてもじゃないが親身どころの話ではないじゃろう……昼にわしが見たあの嬉しそうな笑顔を考えると、不思議とあやつのことを微笑ましく思えてしまう。

 そのレアと交流を深めるベレトの今後が面白くなりそうで、ついにやついてしまう顔で覗き込むときょとんとして見返してきよる。ええい、鈍い奴め。先は長そうじゃわい。

 

 そう話して地下の教室に立ち入るわしとベレトを迎えたのは、やかましく騒ぐ生徒の声。

 

「──からよう、絵面も少しは気にしろってんだ!」

「笑止!! 体裁を気にしていては大事は為せませんわ! さあ、早くそこに跪きなさい!」

「女に向かってそんなことができるか!!」

 

 喧々囂々の雰囲気を外にまで振り撒いておるのは、一際体格の良い大男と、高飛車が形になったような小娘の二人じゃ。

 他二人の女と見紛う優男と気怠い表情の小娘はやや離れたところで傍観しておる。

 

「あ、先生だ」

「来たか。よう先生」

「ハピ、ユーリス、あの二人は何を?」

 

 近付いたベレトが尋ねると優男の方が意地の悪い笑みを浮かべて応えた。

 

「あんたのせいだぜ。コンスタンツェの奴に研究のネタを与えちまってからあの調子さ」

「ネタ?」

「こないだ言ってただろ、魔法を手じゃなくて足で使えないかって話。生傷絶えないバルタザールにライブをする時に足から魔法を使う実験を兼ねようとして、あの図体に足を向けるためにあいつをしゃがませようとしてるのさ」

「スカートのコニーが足を上げるのははしたないってバルトが叱って、じゃあその場でしゃがめってコニーが言って、女相手に男が下になれるかってバルトがごねてるとこかな」

「そうか。俺の不用意な発言のせいで騒がせてしまったか」

「いやあれは単に研究馬鹿が突っ走ってるだけと言うか……おい、先生?」

 

 二人から話を聞いたベレトは納得したように一つ頷くと騒ぎに向かって足を進めていった。何をするつもりじゃ?

 

「バルタザール、コンスタンツェ」

「ん? おおやっと来たかベレト、この馬鹿を引き取ってくれよ。俺の手には負えねえんだ」

「まあ、馬鹿とはなんですの! 魔道の発展に協力しない貴方が──あら先生、いらしていたんですのね。少しだけお待ちになってくださる?」

 

 ベレトが来たことに気付いた二人の前で、こやつは徐に籠手を外して腰の短剣を抜き……って!

 

【これおぬし!】

 

 わしの静止にも反応せず、抜いた短剣で己の腕を切りつけよった! 平然とした表情のままだが痛みはあるじゃろうに、馬鹿者め!

 

 切り傷からじんわり血が滲み出てくるのを頓着せず、そのまま膝を付いて切った腕を差し出す。まさかとは思ったが、やはり自分の体を実験台に差し出しよったか。

 いきなりベレトが見せた行動に、教室内の四人は呆然としておる。無理もあるまい。自分らの教師が突如凶行に走ったようなものじゃ。

 

 最初に動けたのは高飛車娘じゃった。

 

「おーっほっほっほっほ!! よき姿勢でしてよ先生!! ええ、ええ、それでこそ私が仰ぐ教師にして我が研究の協力者! 貴方達もご覧になりまして? これぞ我ら灰狼の学級の担任教師であるベレト=アイスナーですわ!! 魔法の開発にのみ傾注する私に、魔法そのものではなく使い方の発展という新しい道を示した彼が、身を以て研究に協力する! 当然と言ってもいい姿勢でもその当然を自然と行うことがどれほど難しいか! 改めて敬意を表しますわ先生!」

 

 やかましく高笑いを上げてベレトを絶賛しよるが……そんなことしとらんで早う治してやれい。扇を広げるな。回復魔法をかけよ。

 

「コンスタンツェ、早く頼む」

「ええ、ただ今参りますわ。そのままじっとしていてくださいませ」

「ったく、やっと解放されたぜ……ベレトは甘いな、あれじゃその内つけあがるぞ」

「そん時は俺達で叱ってやればいいだろ。コンスタンツェだって反省できない奴じゃないんだ。先生がいないところでもしっかりやろうぜ」

「とりあえず授業はもう少し後だねー。まあハピは待ってるだけでもいいけど」

 

 やれやれ、なんとか納まりそうじゃのう。変に焦らせよって。

 

 こうして地下の教室でベレトが四人と集まり和やかにしているのを見ると、初めてここを訪れた時のことを思い出すわい。

 あの時はアビス全体に緊張が満ちていたからのう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   * * *

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──初めて足を踏み入れた地下の世界。直前までいた地上の修道院とどうしても比べてしまって、えらく混沌とした気配を感じたのを覚えておる。当時はアビスでも警戒せねばならん状況で、そこに唐突に訪れたベレトが歓迎されざる存在だったのは仕方なかったのじゃ。

 

「おやおや、上からお客さんがお越しのようですよ」

「なよっちい面してやがるぜ。てめえみたいな奴がここに何の用だ?」

「守ってくれる騎士様はここにはいないぜ~」

 

 何とも力が抜けそうなくらい典型的な絡みを受けてしまって、足を踏み入れた酒場の入り口でベレトは立ち往生してしまったのじゃ。

 ベレトからすれば、そしてこやつの強さを知るわしからすれば、囲んできたガラの悪い男共は有象無象と呼ぶにも等しい輩ではあるが、入った途端に囲まれてしまえば無視するわけにもいかず歩みが止まってしまってな。

 

 ──重ねて断っておくが、アビスと言えど普段はここまで剣呑な輩は多くない。ただ、わしらが立ち入った時期が問題でな、あの時は地下全体の空気がひりついておったのじゃ。時期が悪かったのじゃな。

 

 囲まれたベレトは何を考えたか、その場で跳躍して男共の壁を軽く飛び越えると、何事もなかったように店主のところに近付いて酒の注文をしおった。

 

「おいこら、無視してんじゃねえ!」

 

 当然男共にとっては面白くない態度で、追いかけてベレトの肩を掴んで勢いよく振り向かせる。

 ベレトもベレトであの無表情を変えないままなので、意に介しておらぬと思われても仕方あるまい。

 

 そこへ迷惑そうな顔をしながらも店主が注文通りに二つの酒杯を持ってきた。そこから片方の杯を受け取ったベレトが、それをそのまま男に差し出したのじゃ。

 

「ひとまず飲んで落ち着け」

「っ、ざけんな! 地上の奴からの施しなんか受けるかよ!」

 

 ベレトとしてはまずは挨拶代わりに一杯馳走しようとしたのじゃろう。じゃが地下に生きる者の癪に障ったのか、振り払われた手で杯が弾かれて宙を舞う。

 

 その瞬間ベレトは男の掴む手をすり抜けて跳び上がると、今度は男の肩を踏み台にしてさらに高く跳び、宙にある杯を確保するとそれを振り回して零れた酒を床に落ちる前に回収してしまったのじゃ。

 零れた酒の大部分を杯に納めて着地したベレトは、こやつにしては珍しく険を浮かべた目線で男を見やる。

 

「食べ物を粗末にするな」

 

 まるで生徒を叱る時のような物言いじゃの……教師が板についてきたと思えばよいのが、状況を考えるととても相応しい言葉とは言えんな。

 

 これも当然男共にとっては面白くない。

 

「く、クソが!」

「地上のガキが馬鹿にしやがって!」

「畳んじまうぞおらぁ!」

 

 その場でいきり立つ者が徒党を組んで襲い掛かってきおった。

 見た目から推察すれば到底教師には見えないベレトは生徒か何かと勘違いされたのじゃろう。そんな年若い者に注意されても聞く耳など持つまい。

 

 無論ベレトは生徒ではない。それどころか圧倒的に格の違う戦士であり、導く側の教師じゃ。この程度の輩が何人来ようと物の数ではない。

 わしが心配するまでもなくあっさり叩き伏せてしまうと、特に苦労もしてない様子で酒杯片手に立ち尽くしておる。こんなはずではなかったのに、とでも言いたげじゃわい。

 

 だがその後に来た者はそれまでとは気色が違った。

 

「よう、今日は一段と派手にやってるじゃねえか」

 

 他の者とは発する存在感が違う大柄な男が現れたのじゃ。

 

「ば、バルタザール」

「アビス中に響いてそうな音で賑やかだな。今は大人しくしろって言われてたろ?」

「違えよ、あいつだ! あのひょろい奴が地上からやって来て、それで……」

「んなこたぁ知ってる。地上を探ってた仲間が見つかって、それを追ってきた奴がここに紛れ込んだって報告があったのさ。ったく、勝手に手ぇ出しやがって」

「な、なんだよ」

「俺がいないところで始めんなよ……強ぇぞあれは、飛びっきりだ」

 

 ──そうじゃそうじゃ、ここであの大男と初めて会ったのじゃ。

 

 好戦的な笑みを向ける大男を余所に、ベレトは手に持つ酒杯を一度置こうと近くのテーブルに歩み寄ろうとしたところで、それを止めるように大男が声をかけてきた。

 

「お前さんよう、上からやって来ていきなりうちのもんが世話になったようだな」

「先に手を出してきたのはそいつらだが」

「そうらしいな。だが細かい事情はどうでもいい。今のアビスに立ち入った自分の運の悪さを嘆きな……ってのは建前でよ」

「?」

「俺には分かるぜ。お前、強いんだろ。腕が鳴り過ぎて轟いてくるぐらいにな!」

「何のことだ」

「難しいことじゃねえさ。ここんとこ退屈なんだ……いっちょう遊んでけや!!」

 

 大男は猛りを隠そうともせず吼えると、その場に転がっていた椅子を無造作に蹴ってベレトに向けて飛ばしてきよった。足癖の悪い男じゃ。

 

 手が塞がっていたベレトは飛んでくる椅子を咄嗟に足で優しく受け止めると、酒杯をテーブルに置くと同時に椅子を踏むように床へ落とす。

 そこへすかさず突進してきた大男が蹴りを放つ。椅子から降ろさなかった足で踏み切って跳躍でかわしたベレトは、空中で身を捻って大男の上から蹴りを落とした。

 そのベレトの蹴りを大男は十字に組んだ腕で受け止めると脚を掴み、なんとそのまま荷物を振り回そうとするかのようにベレトの体をテーブル目がけて振り下ろしたのじゃ。

 

【いかん!】

 

 思わず出したわしの叫びに反応したのか、脚を掴まれたままベレトが身を捩ると目測は外され、テーブルを避けた体は床に叩き付けられた。大きな音と共に盛大に埃が舞い、こやつの体を中心に古びた床が軋む。

 そんな衝撃を受けても上手く受け身を取ったようで、大男が何かしようとする前にベレトは掴まれてない逆の脚で蹴りを放った。大男の腕の付け根、脇の下に潜り込ませるように爪先で突き込んだ蹴りで腕を痺れさせて、拘束から逃れて立ち上がった。

 

「っつつ……やるな、変わった技を使うじゃねえか」

「そっちこそ、すごい力だ」

 

 素早く向かい合う両者は構えを取る。

 大男のぎらついた笑みを向けられてもベレトは無表情を崩さんが、先ほどの男共とは違って相応の手合いだと認め、強敵を相手にする時の緊張感を見せておる。

 

 しかし、それにしても、じゃ。

 

【おぬしおぬし、ここで戦うのか? 相手にせず逃げてしまえばよいではないか】

(逃がしてくれそうにない。それに恐らく彼はこの地下でも上位の人物だ。ここに来てしまった以上、無視はできない)

【むう、だがそれなら何故剣を抜かん? 先ほどと違って油断できる相手ではないことはわしにも分かるぞ。ここは手加減のしどころではない】

(そうでもない。さっき彼が言っていたが──)

 

「いいねえいいねえ。ここ最近は殴り甲斐のない雑魚ばかりで飽き飽きしてたところだったんだ。ただでさえ最近は地下に籠りがちで鬱憤が溜まってるからよお、たまにはスカッとする殴り合いがしたいと思ってたところさ!」

 

 わしとベレトの話を遮るように大男は口を開く。剣呑な気配を放つくせに声色はやたらと楽しそうで、まるで余裕を表しておるように感じられて只者ではない風格を思わせるようじゃった。

 これは一筋縄ではいかぬのう。

 

「レスターの格闘王の拳、味わっていきな!!」

 

 気勢を上げた大男をベレトは迎え撃ち、酒場の中心で戦いが始まってしまった。

 まさか訪れて早々に荒事に巻き込まれるとは思わなんだ。

 

 そして思った通り、この大男は強く、見事にベレトと渡り合いよった。

 わしの目では追い切れぬほどの勢いで互いの手足が飛び交う。大男の動きは体格とは裏腹にかなり素早く、ベレトの速さに引けを取っておらんのだ。そしてベレトも大男と比べればどうしても見劣りする体格でも、力強さを感じさせる攻撃を次々と繰り出しておる。

 

 一見互角。だが、戦いとはそう長く続くことは稀じゃ。

 

 酒場の中心で始まったこの喧嘩、変わらず中心に留まり、殴って蹴ってを繰り返しておった二人じゃが、徐々に形勢が傾いてきた。

 ベレトが押され始めたのじゃ。攻撃の勢いも手数も少しずつだが弱まっておる。体格が大きく勝る相手に正面からぶつかり続ければ仕方あるまい。

 しかし戦達者であるこやつが馬鹿正直に当たるとは思えん。何か狙いが?

 

 わしの疑問を置いて事態は進む。

 攻め時だと感じたのか、大男が一気呵成に攻め立てた。腰を落として足は踏み締めて、固めた拳を次々に繰り出してくる。連続攻撃でベレトの守りを固めさせ、狙ったのはがら空きの側頭部。

 

「っどらぁ!!!」

 

 大振りの横殴りがベレトを襲う。それまでと比べてもさらに強烈だろう一撃が吸い込まれるように頭部へ迫る。

 その瞬間、一際速い動きでベレトは対応した。

 拳を撃ち込まれる刹那、全身を横向きに回転させて拳をいなす。上下を入れ替える勢いで身を捻ることで横殴りを流し、同時に繰り出したのは、大男の振り切った腕の肩口から逆に頭部を狙う後ろ回し蹴り。

 

 相手が攻撃する瞬間を逆に狙う反撃は、しかし反応した大男の反対の手で受け止められた。

 

「へっ、危ね──ぼぁ!?」

 

 一瞬の安堵を狙い、振り切った腕と防いだ腕、体の前面で交差する腕と腕の僅かな隙間を貫いたベレトの蹴りが大男の顎を下から突き上げたのじゃ。

 

 片手で体を支える逆立ち状態のベレトが狙ったのはこれか。

 自分の攻撃を相手にわざと防御させ、生まれた隙を突いて強烈な一撃を見舞う。大男の作戦を逆にやり返すという、何ともにくい手を取りおって。

 顎に決まった蹴りは、まさに会心の一撃じゃな。

 

 見えない角度から強烈な一撃を食らった大男は衝撃と混乱でふらついた。その間に着地して体勢を整えたベレトは一気に懐へ踏み込み、突進の勢いをそっくり乗せた拳をがら空きの腹へ叩き込んだのじゃ。

 止めにもなったその一撃で大男は大きく吹き飛ばされ、もんどり打って転ばされながら酒場の壁にぶつかると力なく崩れ落ちた。

 激闘による物音が響いていた酒場の中、周りで固唾を呑んで見物しておった何人もの輩は、静まり返る状況を唖然と見つめておる。

 

 うむ。ベレトの勝ちじゃ。

 

【よくやったぞおぬし! まあこの程度の輩に負けていては教師なぞ務まらんがな】

(……)

【ベレト? おいどうした】

 

 わしが褒めてやったというのに反応することなく立つベレトに呼びかける。息を乱してないところは流石だが、このわしを無視するとはいただけないのう。

 するとベレトは徐に振り返って視線を上げた。こやつが見上げた方へわしも目を向けると、酒場の梁の上に一人の影がある。

 

「さっきから見ていたが、次は君か」

「いやいや、俺にその気はねえよ。試すのは一度で十分さ」

 

 ひらりと飛び降りたその影が明かりに照らされて露わになる。見た目は男装の令嬢と言ってもよいくらいの美貌。じゃが今し方聞いたのがこの者の声ならば、この顔立ちで男ということになる。

 

「お、お頭ぁ!」

「もうよせお前ら、この人は並の相手じゃないって今はっきり分かっただろ? そもそも大人しくしてろって言っといたじゃねえか。いきり立ってんなら俺様がすっきりさせてやろうか?」

「勘弁してくれ、俺らが悪かったよ……」

 

 不敵に笑う優男を前にして、周りの男共は途端に委縮してしまいよった。この男、見た目とは裏腹に地下ではかなり上の立場におるようじゃな。

 優男の動きに合わせるように、周りの男をかき分けて二人の娘が姿を現した。

 

「おーっほっほっほ! 無様ですわねバルタザール! 一人先走っておきながらその体たらく、同じ学級として情けないですわよ!」

「まあ一人で当たってくれたから、ハピは楽できていいけどさ。どうせバルトのことだからどんぱちやるって分かってたし」

 

 進み出てきた二人は、片ややかましく、片や気怠げじゃ。優男と並び立つところを見るに、この二人も地下では重役なのか。

 

「おい、起きてんだろバルタザール。いつまで寝てんだ」

「へいよ……いやあ、やられたやられた。思った通り強えな」

 

 優男がぞんざいな口調で呼びかけると、倒れていた大男が何ともない様子で体を起こしよった。盛大に殴り飛ばされたのに、えらく丈夫な奴じゃのう。

 埃に塗れた体を払いながら大男も並び立ち、四人揃ってベレトと向かい合う状況になった。

 

 ──この時、わしらは初めて灰狼の学級(ヴォルフクラッセ)と相対したのじゃ。

 

「悪かったなあんた。地下に来たのは分かってたんだが、見ず知らずの奴を無視するわけにもいかなくてよ」

「構わない。特に困ってない」

「そ、そうかい。あれだけやり合っといて平然としてんのか……それでバルタザール、どうだ?」

「ああ、教団の息はかかってねえ。仲間を手引きする様子もねえから本当に一人だ。何よりこいつは良い意味で面白い奴だぜ」

 

 なんと、これまでの騒動はベレトの内面を見極めようとした手法らしい。

 

「前から思ってたけどさー、バルトのそうやっていきなり殴りかかるところ、どうかと思うよ?」

「何言ってやがる。俺だって誰彼構わず手は出してねえよ。それに相手のことを知りたきゃまず拳で語り合う。普通だろうが」

「うわ~、脳筋……」

「おーっほっほっほ! 武力しか頭にない男なりに磨いた洞察力がその拳というわけですわ。私達はその見識が侮れないと知っております。その証拠に、ご覧なさい! 彼とあれだけ激しく戦ったにしては店の内装も調度も一つも壊れておりませんわ!」

 

 高笑いを上げた小娘が手に持つ扇で指し示したのは、ベレトが戦っていた酒場の中心部。椅子も、テーブルも、その上に置いた酒杯も、どこも壊れておらぬ。

 

 ははあ……激しくやり合っておるようで、ベレトなりに手加減して戦っておったのじゃな。地上でならず者を相手にする時ならともかく、地下という外法の場所に立ち入った余所者の身で好き放題暴れるのは憚られたのじゃろう。

 その辺の気遣いはできるのじゃな。まあベレトも元は傭兵で、むしろそういった流儀には馴染んでおるのか。

 

 小娘に示された内容が理解され、周囲からは驚きの視線がベレトに殺到する。あの四人以外の者共は言われて初めて気付いたのじゃ。

 それに対してベレトが返した言葉は軽いもの。

 

「そこの彼が言ってただろう。遊んでけって。遊びで物を壊したりはしない」

 

 当たり前のように言い放つが、それを当たり前のように行えることがこやつが並外れている証よのう。

 ベレトの発言を聞いて、酒場の中にいる者は一様にポカンとした表情になったが、それを悪いものとして受け止めた者はおらぬようじゃ。

 

「だっはっは! ほらな、面白い奴だろ?」

「平民でありながら自重と配慮を弁えた態度、私は評価しますわ!」

「う~ん、まあバルトの脳筋に付き合えるくらい強くて大人ってことかな」

「確かに面白いなあんた。とぼけた顔して言うこと違うぜ」

 

 先ほどまで戦っていたというのに、当の大男の証言のおかげか、四人がベレトに向ける感情はどうも友好的なものに思えるのう。

 

「名乗りが遅れたな。ここはガルグ=マクの地の底、アビス。そして俺達はアビスに秘密裏に開かれた第四の学級、灰狼の学級(ヴォルフクラッセ)さ」

 

 優男が前に進み出て笑顔を浮かべる。やはりこやつがここの中心人物なのじゃな。

 

「俺様はユーリスってんだ。あんたの名前を聞いていいかい?」

「ベレトだ」

「あん? ベレトっつったら……ああ、士官学校で新しく教師になったって噂の! おいおいなんだよ、レア様の肝入りがあんただったのか!」

「君はレアさんとは知り合いなのか?」

「ちょ、おい、レア様をさん付けって、お友達かよ……まあいいや、腕が立つ上にそれなりに話も通じそうじゃねえか。ちょいと付き合ってくれよ。おいオヤジ、酒頼むわ!」

 

 いきなりベレトと肩を組んできた優男が店主に注文するが、そこにベレトが待ったをかけた。遮って手にしたのはテーブルに置かれたまま放置されておった酒杯。こやつが最初に注文したもの。

 

「俺はこれで」

「……ああ、そうだな。食い物は粗末にしちゃいけねえよな」

 

 んじゃ俺はこれ、と言う優男も手にしたのは、ベレトのものと一緒に出された酒杯じゃ。

 

「そんじゃ、アビスの不思議な客人に乾杯!」

「ずりいぞユーリス、俺にも飲ませろ!」

「ちょっと貴方達、我々の使命をお忘れではなくて!?」

「まあいいじゃん、コニーも一緒に飲んじゃえば?」

 

 ベレトを囲む四人に釣られて、酒場は元の喧騒を取り戻していく。

 

 ──こうしてベレトはアビスとの関わりを持って、直後から始まるあの事件に巻き込まれることになったのじゃ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   * * *

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 地下ではあの四人用にやるいつもの短い授業の他に、何だかんだで小娘の研究とやらにも付き合ったせいで随分と時間を取られてしまったわい。地上に戻った時には日が傾いて空気は冷たくなってきおった。

 

 戻ってからまた色々あったのう。

 地上に出たベレトが温室に向かうと、入ろうとしたところでちょうど出ようとした褐色男とかち合ってな。こやつはベレトに温室作業のいろはを教えた者で、今日は来るのが遅くなったベレトの代わりに水やりとかをしておいてくれたそうじゃ。

 その礼として、今日の夕食当番である褐色男の作業を手伝うために連れ立って食堂に行こうとしたら、青獅子の剣士小僧に捕まったのじゃ。ぶつくさ言いながらベレトを訓練所まで引っ張っていきおったわい。早朝にできなかった手合わせをするために放課後になってからずーっと探しておったのだという。見かけによらず健気な小僧じゃな。

 それで気の済むまで相手をして、息を切らす小僧に片付けを任せたベレトは急いで食堂に向かった。遅れてしまったが今度こそ褐色男の手伝いをするために厨房に駆け込んでいったぞ。

 

 ま、わしまで厨房に行く必要もないから、ベレトとは別れて今は食堂の様子を眺めておるがな。

 わしらが来たのはやや遅い時間帯だったようで、すでに食堂は多くの人々で賑わっておる。注文した夕飯にありついておる者もいれば、談笑に興じる者もいて様々じゃのう。

 

「よっしゃラファエル! 今日も一勝負すっか!」

「カスパル君やる気だな。今日もオデが勝っちゃうぞ!」

「へっ、言ってろ、今日こそ食いまくって俺が勝つ!」

「あのさあ……ご飯の時にまで勝ち負けを持ち込むの、いいかげんやめてくれない? 二人して大食いなんて体に悪いよ」

「リンハルト君はやらねえのか? オデ達は食べ盛りなんだから、いっぱい食わねえと損だぞ」

「どうしてそういう話になるのさ……僕じゃなくて君達のことなの」

「なんだよリンハルト、別にいいじゃねえか。お前が嫌がってた早食いから変えたんだぜ? 先生からも綺麗に食べた方が作った人も喜ぶって言われたし、ソースも残さないようにしてんだ。なあラファエル?」

「おう! 肉のソースの沁みたパンとかうんまいんだぞ!」

「見てて胸やけするって分からないかな……分からないんだろうなあ……」

 

「まったく、また今日もあの者達は……由緒正しき士官学校の生徒でありながらあの振る舞い……食事を満喫するのは咎めはしないが、カスパル君などは貴族だというのに……」

「まあまあ、よいではないか。周囲の表情を見てみたまえ。囃し立てて楽しんでる顔の方が多いだろう? あの二人はあれでよいのさ」

「ふむ、あれはあれで場を和ませる、と?」

「確かに彼らは特殊だろうが、多くの人に目を広げれば変わり者はいるさ。貴族の中にもああいった者がいるのだと慣れておけば、それより多くの平民をいざ導こうとした時に動揺せず受け止められるだろう」

「ここも学び場の一つ、か。流石だねフェルディナント君。他人の振る舞いを広く受け入れる度量は、僕も見習わねばなるまい」

「おや、貴族の中の貴族であるローレンツ君にそうまで言われるとは。私も誇らしく思ってもいいのかな?」

 

「あ、ドロテアちゃん! その爪!」

「あら、ヒルダさん。どうしたんです?」

「あーっと、今平気?」

「ええ、夕飯を注文して呼ばれるのを待ってるだけだから平気ですけど……私の爪が何か?」

「突然ごめんね。貴女が今使ってるマニキュア、ひょっとして新しい色なんじゃないかなーって。うちの実家経由で買うやつだと見たことなくって」

「よく気付きましたね。この間、帝国から来た行商人さんから買ったんです。新商品だと自慢していて、私も綺麗な色だなって思ったから」

「へー、そっか、帝国で売ってるやつか。良い色だね!」

「……よかったら使ってみます?」

「いいの?」

「もちろん、後で部屋から持ってきますよ。ただ、失礼ですけど、ヒルダさんの今のコーデとは少し合わないかも?」

「えっとね、あたしが使うんじゃなくて……マリアンヌちゃん、こっち来て!」

「な、なんですか、ヒルダさん……」

「見て見て、この色! これきっとマリアンヌちゃんに似合うと思うの!」

「爪……?」

「ははーん、なるほど、マリアンヌさんならぴったりかもしれませんね」

「でしょー? この子ったら素材は良いのに、あたしが言ってもなかなか変わろうとしなくてさ。着飾らなくても、ちょーっとお化粧するだけで絶対もっと美人になると思うの!」

「あらあら、そういうことでしたら協力しないわけにはいかないわ」

「あ、あの、えっと……」

「ふふっ、申し遅れました。黒鷲の学級(アドラークラッセ)のドロテアです。よろしくお願いします」

「その、私に関わるのはやめた方が……」

「こーんな魅力的な子を放っておけませんねえ。ええそれはもう」

「ふっふっふ、ドロテアちゃんが話の分かる子で助かったよ」

「ふっふっふ、ヒルダさんこそ面白そうなことを教えてくれて感謝します」

「私、どうすれば……」

「「諦めてね」」

「ええ……?」

 

「あの、ちょっといいですかイグナーツ」

「んむ! ん、んぐ……ふぅ、はい、何でしょうか」

「あ、食事中に突然ごめんなさい。僕、青獅子の学級(ルーヴェンクラッセ)の……」

「アッシュ君ですね。よければ座ってください、隣にどうぞ」

「はい、失礼します。僕のこと知ってましたか?」

「名前だけは……こうして直接話すのは初めてでしたね」

「そうですね。同じ士官学校にいても、学級が違うとなかなか顔を合わせることもないような」

「それで、僕に何か?」

「えっと……イグナーツは『ルーグと風の乙女』という物語を知ってますか?」

「もちろん。読んだことありますよ。ここの図書館でも見ました」

「実は、君にその物語の挿絵を描いてもらえないか、お願いしに来たんです!」

「ええ!? 挿絵って……僕がですか?」

「急なお願いで申し訳ないけど、君は絵を描くのがとても上手だと聞いて、居ても立ってもいられなくなって」

「あ、あの、僕の絵のこと、どこで聞いたんですか……?」

「すみませんイグナーツ、私が話してしまいました」

「イングリットさん!」

「アッシュとの話が盛り上がった拍子に、つい口が滑って……ですが、彼の提案は私にとっても大変魅力的なものでした。私からもお願いできませんか?」

「ま、待ってください、ここでこの話をするのはちょっと……お二人共、後で僕の部屋に来てくれませんか? 詳しくはそこで……」

「「ありがとうございます!」」

「声が大きいですよ~」

 

 うむうむ。民の賑やかな語らいがそこかしこで聞こえるわい。この食堂では特に三つの学級の垣根が取り払われて交流しやすい場所だからのう。

 

 ほれ、向こうでは級長の三人らが顔を突き合わせておるではないか。

 

「……これだ」

「俺はこれ。ほい、どうも」

「くっ……」

「私はここよ」

「そっちは、ここが空いてるぜ」

「ちっ、また……」

 

 テーブルの端に陣取って……ふむ、何やら向かい合っておるのう。

 周囲を観客に囲まれた三人を上から覗き見ると、遊戯に興じておるのが分かる。

 面白いのは金鹿の黒小僧が他二人を同時に相手しているところじゃ。

 食堂の隅とは言え、夕飯で賑わう時間帯にこんなことをしていれば注目されるもので、多くの観客に囲まれたこの一角は奇妙な緊張感があるぞい。

 

 やっとるのは、カード(札遊戯)チェス(盤面遊戯)か。

 黒小僧を挟んで、王子とはカードを、小娘とはチェスをやっておる。表情を見たところ、どちらも黒小僧が優勢で決着目前といった雰囲気じゃな。

 頭の回る奴だとは思っておったが大したものじゃのう。

 

「……これを!」

「ほい、これとこれで上がりっと。お疲れさん」

「くそ、負けたかっ」

「悪いねー。皇女様の方は、これで追い込みっと」

「なっ……まだよ、ここ!」

「はい、これを動かせば、チェック(王手)だ」

「……だめね、負けたわ」

 

 お、程なく終わったか。

 優勢なまま黒小僧がどちらも勝利して御満悦じゃな。苦々しい顔をしとる小娘と王子の前でも憚らず得意気に笑っておる。

 白熱した勝負が終わり、拍手を送った観客が解散してその場はお開きとなったようじゃ。

 

「いやー勝った勝った。それじゃあ約束通り頼むぜお二人さん?」

「ああ、二言はないさ。邪魔しないよ」

「師と二人きりでの食事なんて私でも滅多にできないのに……」

 

 まさか、ベレトと夕飯を共にする権利を賭けて勝負していたのか?

 いや……こやつら、ベレトのこと好きすぎじゃろ。

 

「いくら得意分野とは言え、俺とエーデルガルトを同時に相手取って勝つとは、流石だな」

「そうね。悔しいけど、卓上の勝負では勝てる気がしなくなってきたわ」

「お、なんだなんだ、二人して絶賛してくるじゃないか。実を言うとここ最近絶好調でね。先生の指導を受けてると新しい手がどんどん思い付いて、自分でも成長を実感してるんだ」

「ほう、お前もか。俺も手合わせだけじゃなくて授業として先生の指導を受けていると、今までにない上達を実感する。ずっとあいつの指導を受けてきたエーデルガルトが羨ましくなるよ」

「そうだぞー、これまで得してきたんだから今後は俺達にもっと融通してほしいね」

「あら、嘆願にしてはお粗末ね。師は私の担任なのだから手を引く理由にはならないわよ」

 

 二人の言葉を受けて小娘は自慢気に胸を張る。心なしかドヤ顔になっとるわい。

 

 ベレトは生徒みんなから慕われておるが、中でもこの三人は別格じゃな。

 まあ、わしとしてもあやつが好かれて悪い気はせぬ。自分が目をかけている男がこうも人気者だと自慢したくなるわ。そこは小娘と同じかもしれん。

 

 良い気分になってわしはその場を離れた。喧噪を後にして食堂を出る。扉から漏れる楽しそうな声から遠ざかると、外は一転して静かじゃ。

 今はもう日は落ちて暗くなった空を舞うと、賑やかな場所から急に離れたことで感じる静けさが耳に染み入るのう。

 

 やはり人はよい。

 人は宝じゃ。民の営みが大地を豊かにする。人と人が触れ合い、交流することで、このフォドラの命が育まれてゆく。それを見守れるのなら、幽霊もどきとなった今の身の上も納得できるというものじゃわい。

 わしはきっと見守るためにいるのじゃ。ベレトの近くにしかいられぬが、いずれはあやつも大修道院を出るじゃろう。その時はわしが導いて民の暮らしぶりを見守る旅をするのもよいかもしれんな……そんな将来に思いを馳せながら修道院の空へと浮かび上がった。

 

 ふむ? 見上げれば随分と雲が多いのう。月は高く昇っておるはずだが、今は隠れてうっすらとしか見えぬわい。これは明日まで残りそうじゃ。

 そういえばベレトが朝、明日は曇りになると言っておったか? 図らずもあやつの言った通りになるか。

 

 明日から天気が大きく崩れないとよいのだが……しかし空模様は気紛れに変わるもの。今は穏やかでも、時として大きく荒れることもある。どのように移り変わるかは誰にも分からぬ。

 このフォドラも物騒な世界じゃ。ガルグ=マクは平和でも、いつどこで争いが起こるやもしれぬ。いつか人々が悲しみに覆われる時が来るかもしれぬ。そんな時が来ても民には挫けぬ意志を持って逞しく生きていてほしいものじゃ。

 

 ……はて、何故わしはこんなことを考えておるのじゃろうな。天上から大地を見守る女神にでもなったつもりか?

 はんっ、そんないるかいないか分からないあやふやな存在になぞなりとうないわ。それこそまるで幽霊ではないか! わしは確かにここにおるのじゃぞ!

 

 ええい、もうよい。七面倒なことは考えておれぬ。

 

【ベレトよ、手伝いとやらはまだ終わらぬのか! さっさと夕飯も終わらせてわしに付き合え!】

(おいしい)

【なんじゃ、おぬし咀嚼中か】

(今ドゥドゥーが手伝ってくれたお礼だと言ってステーキの切れ端を分けてくれた。おいしい)

【……っか~~、暢気なことを言いおって! 見回りついでに夜の散歩に行くぞ! あまりわしを待たせるでないわ、早うせんかーい!】

 

 まったく、真こやつは調子が変わらんのう。いつまで経っても目が離せんわい。

 やはりベレトはわしが導いてやらねば、な!




 厳しいストーリーの風花雪月ですけど、ほのぼのとした雰囲気があってもいいですよね。四コマ漫画みたいなノリで書いたので、箸休めみたいな感じだと思って読んでください。
 ちなみにDLCでの出来事はほぼそのまま起こってます。違うのは、
・アビスに来たのはベレト一人
・地上の人にはレア以外に知られてない
・灰狼の学級の四人はガルグ=マク(の地下)に残留
 ということです。この小説ではそういうことにしてます。

作者の活動報告に載せた後書き

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