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描き起こされた受難 ~思い出語りの掌編~

翻訳
12 /05 2020
Drawn into Trouble - A Brief Recollection
投稿者:Geatena

【第一章】

 私は11歳で、ベッドに横たわりすすり泣いている。夏用ワンピースの裾をめくり上げ、痛む赤いお尻を両手で掴み、怒りに震え、その怒りと同じくらいの悲しみを胸に抱いて、私は足をベッドのマットレスに繰り返し打ち付けている。私は身に覚えの無いことでお尻を叩かれたばかりだった。そして近いうちに、身に覚えのあることでお尻を叩かれることになるのだが、それはまた後の話。私の身体は急ピッチで女性らしく変貌し、成長は完了間近で、母はそんな私が家のフロントポーチのところで友達の女の子たちと冒険ごっこをして遊んでいたところを捕まえるとリビングへと引きずっていき、リビングは人目は避けられるとはいえ音は丸聞こえの場所で、そこで母は木製のヘアブラシの強烈な雨を私のお尻に降らせ始めたのだった。お尻は父お気に入りの詰め物がたっぷり入った「安楽」椅子の腕の上に突き出される格好だ。ママは不潔な絵がなんとかと私に叫んでいたけれど、私にはなんのことかさっぱり分からなかった。「やだっ、ママー!!やめて!」とさけんでも、抗議は無駄に終わった。安楽椅子の腕に伏せることを強いられた私は、お尻と太腿が真っ赤になるまでヘアブラシを受け、友達は皆遠慮なく聞き耳を立て、くすくす笑いながらこっそりと立ち去っていく。

 それでも私は何もしていないはずだった。少なくともこの時は。少なくとも、何が起きているのかなんて私には知る由もなかったのだ。
***

 私は生まれつき絵を描くのが得意な女の子だった。2歳か3歳のころには早くも、親指と人差し指を操り鉛筆やクレヨンを掴むことを習得していた。以降、私にとって世界というものは、心の作用を通じて手近な平面の上に再現されうる存在になったのだった(小さな子供部屋の内側、タウンハウスの壁だって、その平面の一つであることを私は学んだ)。私は人間を描くのが得意だった。同い年くらいの他の女の子たちは、可愛い家に青い空、お花さんやぐるぐる丸の太陽さんを描いて楽しんでいたけれど、私が描くのは人間だった。ダンサー、スキーヤー、ランナー、いろんな顔にいろんな身体。みんな描きたいと思えば私と同じように描けると私は常日頃から思っていたのだが、その年私は、友達の女の子たちが私のお絵かき能力を価値のあるものとみなしていることを知ったのだった。彼女たちは、私が描いてあげるお手製のペーパードールに夢中になった。ついには、ワードローブを一揃い、アクセサリーからペット、恋人までデザインしてあげるまでになったのだ(なにしろバービー人形が登場する前のことだ)。私は自分が描いたペーパードールで遊ぶことはしなかった。<ターザン>や<ロスト・イン・アフリカ>、<マッドサイエンティスト>、その他土曜日夜に放映されるドラマシリーズを自分たちで再演するほうが余程面白かったからだ。それでもドール達を描く時、私はスキルと創造性を発揮することができた。その作業は楽しかったし、友達に褒められるのも嬉しかった。友達はみんなドールに色を塗って切り抜き、自分だけの「コレクション」に丁重に迎え入れていた。

 その年、男子たちも私の絵を描く才能を発見したのだが、彼らが目で見る愉悦とやらを発見していたのも、ちょうど同じくらいの時期であった。第七学年[訳注:中学一年生に相当]の男子数人がペーパードールを描いてくれるように頼んできた時、私は妙だなと思いながらも、彼らの頭の中にどんな改造計画かあるのか、まったく思いつきもしなかった。夏休みの間に、愛らしい女の子の絵は大勢の手に渡っていき、受け取った子供達の中にはエロい男子も多数混ざっていたのである。それらドール達の大部分は収集家御用達のアイテムとなって、いまや父親や夫になった40代男性達の屋根裏部屋コレクションの一部として眠っていることだろう。運命のいたずらか、学校のボーイズルームの床に放置されることになった一体か二体のドールを除いて。そこで発見されてしまったドール達は校長の元に運ばれ、ジーナこと私の輝かしい筆さばきが確認されてしまう。ドール達には(いわゆる)改良が施されていた。12歳男子の想像力の限界を極めた、幼稚かつ卑猥な細部が描き加えられていたのだ、ご丁寧に色まで塗られて。すぐに電話がかかってきて、母は穴があったら入りたくなるような心持ちとなり……そして話は先程の場面へと至るわけである。

***

 自分の腕も私のお尻もボロボロの限界にしてしまうと、母親は息を切らして動きを止めた。顔は真っ赤で、辛辣な表情だ。「なんでぶたれたのか、あなたにはよくわかってるはずです!」私は勢いよく引っ張られ立たされると、お尻をひっぱたかれながら子供部屋へと連行されていった。私はお尻を襲う連打に駆け足を強要される情けない姿で、後ろを振り向ける時は振り向いて抗議の声を上げる。「ママ、待って、やめて!わかんないよ、わたし、ねえなんでママ、い、いだいっ!!」母は私の部屋に向けて、突き刺すような勢いで指を差す。「ちゃんと思い出すまでこの部屋から出るんじゃありません。絵ですよ、絵!晩ご飯までには思い出すでしょうよ。まったく、信じられない……」母は乱暴にドアを閉め、床板を踏みしめ歩いていくヒールの音が廊下に響いた。私はうめき、泣き崩れた(同情もなし、戻ってきてもくれないだなんて)。お尻は本気で痛かったが、それ以上に私のプライドはズタズタだった。私はなぜ懲らしめられたのかまったくもってわからなかった。そしてついに、正義を求める憤りが警戒する理性を凌駕し、私はベッドから起き上がると母と対決するために裏庭へと飛ぶように駆けていった。

 「ママ、酷すぎるんだけど!私、なんにもしてないから!絵ってなにさ?頭おかしいんじゃないの?本気でクソ、なんでぶたれたのかぜんっぜんわかんないんだけど!!」

 母は洗濯物を物干し綱に干している最中で、振り返った彼女の顔には驚きと激怒の表情が浮かんでいた。私は頬を張られた。したたかに。悪態をついたのはまずかった。判断ミスが積み重なっていく。

 「うぐっ……ママ!!なんでお尻叩いたのか教えてよ!」

 私は腕を掴まれ、身体をくるっと回転させられた。真実を知りたい衝動に取り憑かれていた私はいまや我に帰り、退却を始めようとしたが、もう取り返しがつかなかった。母はヴァイス型掴み具も顔負けの握力で私の腕をつかむと、パンツを引きずり下ろした。すぐそばにあって自らの手のほかに使えそうなものは余って垂れ下がっている物干し綱だけで、母はそれを拾い上げ二重に折って手に持った。叫び声を上げる私。

 「ママ、やめてっ!!」

 母はまさに今いる裏庭をお仕置き場所に定め、私の身体から一定の距離を保ったままナイロン製の物干し綱で私の裸のお尻を激しく鞭打ち、その一発一発を食らうごとに私は金切り声を上げた。生尻が蜂の群れに襲われているようだった。到底耐えられず、永遠に続くかのように思われたこの鞭打ちの数はたぶん10発から12発くらいだっただろう。けれど、私は大声で泣きじゃくっていた。母にとってもこの鞭打ちは大仕事だったようだ。私を解放した母の身体は震えていて、彼女が見ている前で、私はダンスでも踊っているかのように足踏みしてお尻の炎をもみ消そうと必死だった。そして私はついに、校長先生からの電話の一部始終、改竄された私の<アート>について細部まで包み隠さず説明されて、「待ってママ、私してない…」とか「ママ聞いて!それ私じゃない、知らないそんなの…」といった訴えはことごとく無視されてしまった。

 そうして、母は最終判断を下した。家に戻って、自分の部屋でパパの帰りを待っていなさい。私は自分の両目が大きく見開かれるのを感じた。私がまた口を開くのを待たずして、母はキッチンのドアを指差したので、私は急いで従った。もうお尻を打たれるのは懲り懲りで、本気で勘弁して欲しかった。今日はもうすでに一度事態を悪化させている。もはや正義だのなんだの言ってはいられない。私はいまや、父親にこっぴどく打たれるのが定めと確信し、恐怖していた。

***

 父からの罰は、なんとか免れることができた。母は校長と話し、問題の絵を回収してきたのである。絵に改竄が施されているのは明らかで、母は与えた罰についてはっきりとは謝ってこなかったけれど(たとえ無実であっても「生意気な口を効き悪態をついたから」罰を受けて当然というのが母の立場だった)、もう十分すぎるほどに私は教訓を学んだという判断が両親の間で下されたのだろう。しかし、ほんとうに私が「教訓」を学んだかどうかは意見の分かれるところだ。

 1年もしないうちに、私自身の性的指向と解き放たれた本性は、前よりも洗練され描写力の高められたエロティックな秀作イラストを多数生み出すことになったからである。それらのイラストもまた、同じように発見されてしまう結果となるのだが、それについてはまた別の話に書こうと思う。


【第二章】

(著者注:以下の短い告白の前日譚はこの掲示板のどこかで読めるはずです。)


 あれから一年後。私は12歳で、そろそろ13歳になろうとしていた。私には完全に成熟した大人であるという自負があり、男の子たちについて知識を蓄え、思わせぶりな仕草を身につけていた。私は絵を描くレッスン的なものを受講した経験を積んでいて、友達の欲しがる幼稚なペーパードール達は描かなくなっていた。絵を描く腕を上げた私の体内ではホルモン物質も活動をはじめていて、それは時折、脳内ファンタジーを丁寧に再現したイラストという形に結実した。それらのイラストを描くにあたり私は警戒を怠らず、描いたものを破棄することも多かった。その年、私は(いろんな意味で)尻周りをガードする技術を習得していて、数多のお仕置きを辛くも逃れることにも成功していた。もう小さな子供ではない年齢で受けるお尻ペンペンなんて、羞恥以外の何物でもない。デニムのお尻には怒りの平手が何度も飛んできたし、きつい打罰を宣告されることも多々あったけれども、実際に執行されてしまう恐ろしい事態は、ほとんどの場合巧みに交わすことができていたのだ。

 それでも、一人でベッドに横たわっていると、子供の頃には育っていなかった想像力が、不思議な作用でほの暗いイメージを作り上げてしまう。支配されたい。厳しいけれど優しくて、雄々しい両の手に支配されたい。私はその両手に束縛され、懲らしめられ、誘惑され、痛くてたまらない躾を施されてしまう。その躾は私のいやらしい快楽の源にほど近い場所に与えられるものだから、お尻に平手を張られるごとに、まっさらな、どうにかなってしまいそうな感覚が炎のように吹き上がるのだ。描かないわけにはいかない。生まれたイメージは解放されたがっているのだから。そして、いまの私にはそれを可能にする力があるのだ……。そうして生まれた絵は、卓越した細部をもって描かれていた。私にはいまや、人体の構造、影の付け方、透視図法と人の見せる表情についての知識が備わっている。しかしながら、それら作品群は「素敵な絵」とは程遠く、視覚に訴えかけるセクシャルなものである。「猥褻」という単語はまだ私の頭の辞書の中にはないし、「緊縛」も知らない。ただし私がすでに「躾折檻」に慣れ親しんでいたことだけは間違いなかった。私は描いたイラストを洋服ダンスの引き出しにしまった日記に挟み込んで保管し、一人の時にそれを取り出して、絵に合ったストーリーを頭の中に展開する。胸に秘めた感情を恥ずべきものだと思っているから、私は怖気付いてしまい紙にストーリーを書きつけることができない。けれど、イラストまでは捨てられなかった。それらのイラストは、今に至るまでたぶん私の最高傑作だったのだが、私はそれを誰にも、当時一番の親友だった女の子にさえも見せなかった。彼女は優しくてロマンチックなことが好きな女の子だった。彼女は私の強迫観念を理解できないだろう。そう私は本能的に感じ取っていた。心を同じようにプログラミングされている人たちが他にもいるのを知って私がびっくりするのは、それから長い年月が経った後の話である。

 それらのイラストが露見するのは時間の問題だった。私は一人っ子で、狭い家での暮らしは金魚鉢の中に住んでいるようなものだったし、その家には両親だけでなく、おじやおば、いとこたちの出入りも絶えなかったからだ。いつともなしに彼らは街の外からやってきて、失職中の縁戚が何ヶ月か居候としてとどまることだってあった。ある年下のいとこの女の子は私に懐いてくれたのだが、というのもそれは私が彼女にある程度のお絵描きやピアノの弾き方を教えたりして優しくしたからで、彼女は長い夏休みの間中、私の後ろを尻尾を振ってついてきてくれるようになってしまった。夢と想像の世界に羽ばたくには時間も一人になる機会も足りず、私はリスクを侵して束の間のチャンスを利用するようになっていった。そしてついに、警戒を緩めすぎたつけが回ってくることになる。

 私はあるイラストを描き直す作業に取り組んでいた。そのイラストは、細部まで描き込まれていてかつ強烈に目に飛び込んでくるような、この上なく暴力的で猥褻なシーンが描かれているものだ。そのイラストにはひとりの女が描かれている。着ていた衣服はすべてずたずたにされて、脚から足首にかけてまとわりついている。背後に立つのはひとりの男。男は女をしっかりと捕らえ、右腕で女の胸周りをかき抱き、彼女の剥き出しの左乳房を鷲掴みにしている。女は自由なほうの手で、大きく開かれた自らの両脚の間に陣取る男の左手、肢体をなすがままにされている根源を取り除こうとしているが、果たせない。女の裸の尻には、したたかに打たれた痕だろう、痣と擦り傷がはっきりと見て取れる。女の髪はもつれ絡み合い、彼女は頭をもたげている。痛みによるものか、絶頂を迎えているのか。おそらくその両方だろう。男の表情は伺えない。彼は下を向いていて、唇はおそらく女の首筋を貪っている。その間も男は両手を使い、女の身体を支配している。二人の肉体は汗でぬらぬらと光っている。男に身体を預ける形で拘束された女は、爪先立ちを余儀なくされている。女の唇は開き、腰まで肌を晒している男の身体は硬く、筋肉隆々である。

 私は細部を詰める作業に集中する。自身の中で脈打つ興奮をさらに高みに引き上げるための調整だ。すぐに私はエロティックな妄想に身を委ねはじめ、一人でも可能な限りを尽くして、頭の中に浮かぶ情景を自ら上演しはじめる。しかし、今回はうまくいかない。今回は、私が思春期の性的妄想に迷い込んでいる最中に、部屋のドアがいきなり開き母が入ってきたのである!先ほどから、母は晩ご飯の洗い物を片付けるなさいと私を呼んでいて、私はといえば、完全に別の世界へと旅立っていたのだ。はじめ、母は小言を言おうとしただけだった。絵を描いているうちに私が「心ここにあらず」の状態に陥るのはこれが初めてではなかったから。しかしいま、頬を見る間に赤くした私は、罪悪感を隠せず、さらに日記の中に戻そうと絵の束をひっかき集めてしまう。判断ミスだ。母が言う。「いま何してたの。あなた何を描いてたの。ママに見せなさい!」

 心臓がお腹に落ち込んだような気分だった。この絵は、だめだ。ママは見ちゃだめ。見るなんて、ほんとうに、だめ。

 「なにも。ほんと、なにも描いてない。その、あれを描いてた。あれを……」

 私の言葉は尻すぼみに消えていった。母の目はすでに、下品極まる、ほんとうにどうしようもない絵の束に吸い付けられていたから。私は顔が燃えるように熱くなるのを感じ、涙をこらえようと目を瞬かせた。勇気を出して母の顔を伺ってみる。

 「ママ、私は……」

 母の表情は、私の未来を正確に映し出していた。彼女はいまや、12歳の娘のかき抱くもっとも陰惨な夢想の中を覗き込んでいて、そこにしかと視認した邪悪の種をいかに浄化するか、その方針を思案している。

 「ベッドに伏せて、パンツを下げる!」

 母により方針が決定された。
 
 「ここで待ってなさい。ママに任せなさい、こんな絵を描こうだなんて二度と思わなくなりますからね!」

 耐え難い思いだった。私はベッドの足側に腹這いになっている。羞恥にまみれ、言葉にできないほどの恐怖に囚われているが、まだ涙はこらえている。母がヘアブラシを手に戻ってくる前からすでに、私は必死に叫んで訴えを始めている。
そして唐突に、その訴えは苦悶に満ち泣き叫びながらの懇願へと突入する。

 「ママっ、お願い…!お尻はいやだっ!」
 
 母は返事もしてくれない。私は剥き出しのお尻を庇いながら、なりふり構わず乞い願う。

 「ねえ、ママ聞いて、お願い!」

 母は「手が邪魔!」と言う。「どけなさい!今すぐに!あんな不潔な絵を……絶対に、二度とあんなことしようと思わないようにしてあげますから。ほら、手をどけなさい!」

 喚き声を上げながら、私が両手をお尻から逃すように辛うじて外したのは、晒した手の平を三回叩かれた後だった。そして、罰ブラシは本来のターゲットを捕捉し、私のお尻は火を当てられたみたいに跳ね上がる。

 「ママ!いだっ!!ま、ママやめっ…う、うああああーっ!」
 
 ヘアブラシが生尻に弾ける痛みがどれほどのものか忘れていた私の頭に、その記憶が蘇る。馬鹿だった、油断した!まって、ほんとに、これよりひどい痛みなんて、ない!焼けつくようなヘアブラシ。振り下ろされるペースは遅くなったが、込められている力は前よりも大きくなっている。怒りは冷静さにとって変わり、母は一生忘れられない教訓を私に残そうとしていた。

 <バシィッ!> (間隔) <バシィッ!> (間隔) <バシィッ!>

 私の泣き叫ぶ声はあまりにも甲高く、自分の口からこの音が出ていることが信じられない。だけれどお尻は燃え盛り、母は同じ場所に何度も何度も、勢いよく繰り返し木製ブラシの背を叩きつける。それが現実だ。ついに私は引っ張り起こされ、ベッドの側面に半ば対面するように立たされる。

 「何か言うことがあるなら」 <バシッ!!バシッ!!> 「言ってごらんなさい!」

 「わああーん!まま、ごめんなさい!ほんとに、ごめんなさいっ!あんなの描いてごめんなさっ……」

 「あんなものを!!いったい何をどうしたらあんなものが描けるんです!!」

 <バシッ!!バシッ!!バシッ!!>

 「う、うあ、うあああーーっ!」

 私はまともに言葉を発することもできなかったが、喋れたところで「どうしたらって、簡単には描けないよ。才能とたっぷりの時間が必要なんだよ、ママ」なんて答えられる訳もない。今の私は母親とほぼ同じ背の高さだが、母曰く「良い薬」であるところの追加の猛攻撃をもはや真っ赤なお尻に加えられたら、立つ足の左右を踏み替えながらなすすべなく跳ね飛ぶくらいしかできない。

 手を止めた母に解放されると、私は身体をベッドに投げ出すとのたくるようにして泣き喚き、左右に転がりお尻をむずと掴んで離さない。どうしようもない醜態と熟れた肉体を母の目の前に晒していることを、私は自覚していた。私お手製の美麗な猥褻画は母の手の中でしわくちゃにされていたが、後に彼女はそれを平らに伸ばして父に見せて、父が私に「お話」する必要があると言い張った。なぜそれを私が知っているかというと、その日ずっと時間が経って辺りが暗くなり始めた頃に、父が私の部屋に入ってきたからである。泣いているうちに寝入ってしまった私は父に起こされた。彼が私のことを少し可哀想だと思ったのは間違いない、というのもその時の父の叱り方は厳しかったけれど母のように激怒していたわけではなかったし、母が望み私に与えられた追加の「念押し」の罰は、膝の上に乗せておざなりに何度か叩くだけのものだったから。その一発一発は、お説教の要点を強調する時に与えられた。要点とは、道徳的に清く正しい状態を私はずっと維持し続けなければならないということだった。その当座は、ヒリヒリ痛むお尻を抱えた私には懲らしめが心の奥底まで染み込んでいて、私はめそめそと泣きながら、今後は二度と道に外れた行いはしません、と何度も誓ったのだった。私はその誓いをずっと守ってきた……そう宣言できたら良かったなとは思う。

 しかし、だ。私がその誓いを守ってしまっていたら、読者の皆さんはこの文章を読めなかったわけで……。そうでしょう? : )

原文リンク
http://thespankingcorner.com/stories/gaetana/index.html
Copyright (C) 1994 By Gaetana
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