渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

なぜオートバイに乗るか

2023年08月26日 | open



答えを一言で集約すると、「危険
だから」になる。
危険を嫌って避けるのではなく、
危険を承知でそれと接し、危険を
意識的に遠ざけて身近に
二輪その
ものを引き寄せたいから
だ。
そして、生命の尊さを二輪に乗る
事で感じ取る。それ。
危険を味わいたいスリル欲求とか
では全くない。

ほら、山登りって危険じゃない。
ロッククライミングとか特に。
冬山の登山などは危険の極みだ。

だけど、山に人は登る。
危険に対処する万全の装備と体制
で。
それを自覚せずに山を舐めてると
装備もなにもせずに雪山の富士山
に登って滑落して死んだりする。
千数百メートルも転げ落ちて、発見
された時には高層ビルからの飛び
降り死体のようになっている。
山と危険を舐め切っていた結末だ。

オートバイ乗りは危険を求めて
オートバイに乗るのではない。
別なものを求めて危険であるオート
バイに乗る。登山に似ている。

「オートバイは危なくないよ。
楽しいよ。君も乗ってごらん」
などと言う二輪乗りがいたとした
ら、それは最低だ。
オートバイは危険な乗り物である
からだ。
だが、危険を自らの運転制御と
意思で遠ざけて、オートバイ乗り
は危険な乗り物である
オートバイ
に乗る。

真理は決まっている。
止まってエンジン停止している
オートバイは単なる車体だ。
全く危険は無い。
危険を生み出しているのは実は
乗る人間なのだ。その在りよう。
そして、その危険に無自覚な人間
にはオートバイは情け容赦なく
牙を剥く。
そういう乗り物。

それでもオートバイ乗りはオートバイ
に乗る。
その理由は、その者がオートバイ乗り
だからだ。
郵便配達や出前持ちはオートバイ乗り
ではない。必要不可欠な交通手段と
して二輪を利用しているだけだからだ。
だが、オートバイ乗りはオートバイ
にあえて乗る。
電車やバスや飛行機や船舶で移動すれ
ば済む場合でもオートバイに乗って
走る。
理由は、オートバイ乗りだからだ。

世の中には二種類の人間がいる。
オートバイに乗る奴と乗らない奴だ。
オートバイ乗りは、生命を感じ取る
ためにオートバイに乗る。
命の喜びと存在を体で受け止める。


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