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| 社名 |
近畿医薬品製造株式会社 |
| 所在地 |
〒635-0103
奈良県高市郡高取町清水谷714 |
| TEL |
0744-52-2022(代) |
| FAX |
0744-52-4377 |
| 代表者 |
代表取締役 齊藤 宗男 |
| 社員数 |
30名 |
| 資本金 |
1,000万円 |
| 創業 |
明治41年8月(齊藤仁寿堂薬舗) |
| 設立 |
昭和23年7月 |
| 関連会社 |
近畿薬品販売株式会社 |
| 業務内容 |
医薬品製造販売業、菓子(健康食品)製造業 |
| 取引銀行 |
南都銀行 高取支店、りそな銀行 橿原支店 |
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| 弊社は明治41年の創業以来約100年、安全で有効性の高い医薬品づくりを目指して参りました。人間には本来自然治癒能力がありますが、和漢薬に流れる“穏やかな効き目”の考えは、この実証と経験に裏付けされたものです。弊社はこの点に着目し、最先端の医薬技術の中に治癒能力を活かすことを基本に、医薬品開発・医薬品製造を行って参りました。奈良県や富山県には和漢薬の長い歴史がありますが、その伝統を引き継ぐとともに、長年にわたり培ってきた経験に実証からくる安全性重視の姿勢を貫き、今後とも人々の幸せと健康に寄与するよう努力していきたいと考えております。 |
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| 弊社初代社長は、齊藤家第16代齊藤徳一で、齊藤家は大永5年(1525年)本家車屋利平の弟初代角兵衛が分家し、爾来農を業として代を重ねて来ました。齊藤家第11代車屋角兵衛(後々代角兵衛)が天明の頃から藍染料の集荷、卸販売を始め、第12代車屋伊六(後代伊六)を経て第13代車屋角兵衛(第4代角兵衛)が文化の頃から油並びに生薬類の集荷、販売をも併せ生業とし、第14代車屋伊六(明治伊六=齊藤伊六)に至り、明治維新(1868年)を迎えました。そして、第15代齊藤徳次郎を経て、齊藤徳一が祖先の業を継ぎ、明治41年(1908年)齊藤仁寿堂薬舗を興し、配置売薬の製造・販売を始めました。その後順調に発展を続け、昭和15年頃にはその営業範囲は、北は樺太・千島列島、南は沖縄に至る日本全土に及び、遠く満州、台湾の日本人住宅をも得意とするに至りました。終戦後、昭和23年(1948年)近畿医薬品製造株式会社に改組し、販路の恢復に努力し、現在に至っております。齊藤家は、創建以来全て長男が家督を継いでおりますので、齊藤徳一の長男齊藤徳男も、昭和46年(1971年)3月、25年間勤め上げた大阪薬科大学教授の職を辞し、齊藤家第17代を継ぎ、同年4月社長に就任致しました。そして、齊藤徳男の長男齊藤宗男も、昭和50年3月北海道大学薬学部(薬剤師免許取得)を卒業後、第18代齊藤家を継ぐとともに、昭和56年(1981年)12月1日第3代社長に就任し、現在に至っております。 |
| 明治 |
41年(1908) |
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齊藤仁寿堂薬舗として創業 |
| 昭和 |
23年(1948) |
6月 |
齊藤徳男薬学博士の学位授与される |
| 昭和 |
23年(1948) |
7月 |
近畿医薬品製造株式会社に法人改組、初代社長 齊藤徳一就任 |
| 昭和 |
35年(1960) |
4月 |
齊藤徳男医学博士の学位授与される |
| 昭和 |
36年(1961) |
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釧路、帯広、北見、根室、札幌及び青森に出張所を設置 |
| 昭和 |
46年(1971) |
4月 |
第2代社長 齊藤徳男就任 |
| 昭和 |
48年(1973) |
4月 |
小林薬学工業(株)と提携、OTC市場へ販売開始 |
| 昭和 |
52年(1977) |
8月 |
渡辺貿易(株)を通じて香港、台湾方面へ医薬品の輸出を開始 |
| 昭和 |
53年(1978) |
5月 |
製品管理社屋新設 |
| 昭和 |
55年(1980) |
3月 |
製造工場(GMP適合工場)新設 |
| 昭和 |
55年(1980) |
12月 |
ビタミンC安定化の製法特許(特許第1023622号)取得 |
| 昭和 |
56年(1981) |
12月 |
第3代社長 齊藤宗男就任 |
| 昭和 |
62年(1987) |
11月 |
品質管理室(製品研究及び試験室)増設 |
| 平成 |
元年(1989) |
5月 |
配置薬直販部門強化のため、近畿薬品販売株式会社設立、初代社長 齊藤宗男就任 |
| 平成 |
5年(1993) |
6月 |
資本金増資 |
| 平成 |
14年(2002) |
2月 |
台湾向医薬品12品目輸出許可取得、本格的に輸出開始 |
| 平成 |
16年(2004) |
8月 |
薬事功労県知事表彰受賞 |
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