ようこそ愉悦至上主義者のいる教室へ   作:凡人なアセロラ

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―――ごめんなさい。


共同戦線(3)

 

 試験最終日。

 最早全てが終わったと言える。4クラス合同で行われた優待者試験。グループディスカッションにて様々な話し合いが行われ、次第にその方針は黙秘へと近づいていった。

 勝利するために残された手段は優待者を当てること。各グループに一人いる優待者、その法則を見つけ出すこと。

 

 オレたちは敗北したのだ。

 唯一マイナスが無かったのはCクラスだけだ。龍園だけが優待者の法則を見つけ出し、マイナスされたCPを相殺した。

 

 だが、BクラスとDクラスは、多大なCPをAクラスに奪われることとなった。

 

 敗北のきっかけである士郎と坂柳のチェスゲーム。

 士郎は僅差で負けたのだ。あの、Dクラスで最も突出した能力を誇る言峰士郎という人間が、負けた。

 

 その事実はオレが思うよりも大きな影響を及ぼした。

 士郎の敗北はDクラス内に大きな絶望を齎す。堀北は自らの憧れが敗れたことにショックを受けていたようだ。洋介や櫛田もそうだ。士郎が負けたということは、Aクラスには士郎を上回る頭脳を持った生徒がいるという証明になる。

 

 実質的なリーダー格同士の衝突による格付け。

 最早、Dクラスはどう転んでもAクラスには勝てない、そう印象づけるのに十分な結果だった。

 

 

 

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「敗北、か」

 

 士郎が小さく呟いた。噛み締めるように歯切れ悪く漏れた声音からは一抹の後悔を漂わせている。

 

「―――見事でした言峰くん。間違いなく、貴方は私が知る中で最も手強かったチェスプレイヤーです」

 

 紅く輝く水平線を背に立ち上がった坂柳が微笑んだ。その表情には嘲笑が含まれている。だが、それと同時に敬意のような感情を想起した。

 

 カツン、と杖先から軽快な音が弾む。

 坂柳は脱力したように座り込む士郎の隣まで歩み寄ると、鈴のように透き通った声音で諭すように口を開いた。

 

「契約は履行してもらいます。このゲームの勝敗は、今試験の勝敗でもある。互いに法則を見抜いた身として、貴方には何もしないでいてもらいます。助言、試験への参加、些細なヒントさえ与えてはなりません。龍園くんも既に法則を見抜いている以上、Bクラスに情報を与えてイーブンにされても困るのです。私がAクラスを掌握する為にも格差を見せつけなくてはならないのですから」

 

「ああ、約束は守るさ」

 

「利口ですね。厄介な相手だと思ってましたが⋯⋯存外、蓋を開けてみれば可愛らしいものです」

 

 雪原のように透き通る白い少女の細い指が士郎の髪を撫でた。まるで、利口な犬を相手にするように、嘲った言動。

 士郎にその敗北を刻み込むかのように坂柳は頭を撫でる。

 

 その光景は互いの立場を明確に表している。

 勝者と敗者。揺るぐことの無い格差だった。

 

「それでは、しっかりと敗北を噛み締めてください、敗者の言峰士郎くん」

 

 坂柳はひらひらと手を振って立ち去っていった。この場にいた側近たちも追従して消えていく。

 それにしてもやけに煽るな。明らかに過剰に煽っている。士郎の性格上、煽ったところで意味が無いことなぞ、坂柳も知り得ているはずだが。

 

 今回の勝負以外にも何か目的があるのか? 

 

「―――ハッ、くだらねぇ」

 

 龍園はニヤニヤと嫌味な笑みを立ち去っていく坂柳に向けていたが、士郎にそう野次を飛ばすとCクラスの生徒を伴って同様に立ち去った。

 

「言峰が負けたのか」

 

「うん、残念だけど。坂柳さんは士郎くん以上の強敵みたいだね」

 

「今回の試験で優待者の法則を見抜けていないのは俺たちだけか」

 

「坂柳さんに全部奪われる前に対策しないとっ」

 

 暫くして、一之瀬や神崎たちBクラスが立ち去る。

 残されたのは呆然と立ち尽くすDクラスの生徒だけだ。

 

 オレはゆっくりと隣に立っていた堀北に視線を向ける。

 

「―――」

 

 その表情は目に見えて青ざめていた。自らの憧れの敗北。

 それが何を意味するのか。

 

 流石にかける言葉が見つからなかった。

 洋介や櫛田も似たような反応を示している。

 

 そういえば、こうやって敗北を実感するのは初めてなのか。

 最底辺からスタートしたとはいえ、あくまでその時はまだ敗北したとは言い難い状況だった。まだ勝機はある。そんな風に考えれていたからだ。

 

 その後も中間試験を乗り越え、須藤の暴力事件を解決し、そして初めての特別試験でも完勝を飾った。

 

 オレたちは初めて敗北の苦渋を味わっている。

 

 そして何よりも言峰士郎という存在の敗北は、信じ難いことだったのだ。

 これが特別試験だったのなら、まだDクラスそのものが足を引っ張っていたから、と各々で言い訳が出来た。

 ただ、今回はだれも介入、干渉のできない一対一での競い合い。真の優劣を決める戦いだった。

 

 最早、言い訳はできない。

 今全員の心に刻まれたのだ。

 

 言峰士郎は坂柳有栖に劣っているのだと。

 

 ―――そういう風に刻み込まれた。

 

 言峰士郎は坂柳有栖以上の事が出来ない。成果を挙げられない。

 

 やられたな。

 どうやら下地は完成したみたいだ。

 

 今この瞬間を持って、士郎が入念に続けていた擬態が完成した。

 つまり、これからだ。

 

 あの破綻した人格を持つ人間が胎動を始める。

 産声をあげようとしている。

 

 取り返しがつかなくなっていることに、誰一人として気付いていない。いや、一人だけいたな。

 

 龍園だけはオレ以上に士郎を理解していたはずだ。

 

 ―――ふと、士郎が動いたのを見て思考を打ち切る。

 今のオレには例え、士郎が何をしようが関係ない。ただ親友としての関係を続けていればいい。

 

 士郎の悪逆非道をオレは咎めない。むしろ肯定すらするだろう。

 何故ならオレたちは河川敷で殴り合い仲を深める不良のように、互いの欠点を教えあったソウルブラザーというやつである。

 

「―――すまない。負けてしまった」

 

 伏し目がちにそう零した士郎を見て、堀北が駆け出した。その背中を追うものはいない。

 苦笑しながらそれを見送った士郎に佐藤が抱きついた。

 

 オレから送る言葉はない。Dクラスも何も言うつもりがないらしい。

 

 士郎たち二人を置いて、オレたちは立ち去った。

 まずは、法則を見つけなくてはならないのだ。

 

 

 

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「そうか、言峰は敗れたのか」

 

「予想外の出来事で、Dクラスは騒然としてますね」

 

「当然だな。Dクラスにとって言峰は最早希望に等しい。他クラスに劣ると言われ続けた不良品共の中で、唯一対抗出来る、いや総合的に勝っている人間だった」

 

 茶柱は紫煙を吐き出しながら苦々しい表情で零す。

 

 夜。暗い海面に浮かぶ月。

 幻想的な風景を目に焼き付けながら、オレは人気の無いバルコニーに立っていた。隣にはDクラスの担任教師である茶柱が煙草を咥え、手摺に身を預けている。

 

 優待者試験での勝利は見込めないだろう。

 坂柳は既に法則を見抜いており、龍園も気付き始めている。Dクラス内で唯一、優待者の法則を知っていた士郎という対抗馬も、先のチェスの勝敗から口を封じられてしまった。

 

 無人島試験での勝利が一転、BクラスとDクラスの惨敗という結果で収束しそうだ。

 

「茶柱先生は士郎について知っていたのですか?」

 

「―――いや何も聞かされていない。私が知ることが出来たのは僅かな経歴だけだ。言峰士郎という類まれない才能を持った、天賦の才を与えられた優等生。私はその外面しか知らされなかった」

 

「では何故、あの時士郎の扱いに気をつけろ、なんて堀北に?」

 

「大人になると、人は言葉の裏に敏感になるんだ。取り繕われた賛美にどのような利害を含んでいるのか、悪意を隠しているのか。そんなことばかり考えてしまう。純粋な子供時代とは違い、我々は経験を積めば積むほど、新たな人間関係の構築が難しくなるんだ」

 

 灰が僅かに舞った。

 底なしの闇へと落ちていく灰を視線で追い掛け、再び茶柱へと目を向ける。吐き出された紫煙が夜空に掻き消えた。

 

「集団として最適化された筈の言葉が、人間だけが持つ高度な知能がより我々を苦しめる。コミュニケーション能力というものは存外、社会に出て最も必要なものなのかもしれない」

 

 学力、知力、身体能力、判断力。

 学生時代に必要とされ、社会に出てからはあまり重要視されなくなる技能。きっと、安定して人生を送るのに必要なのは人との繋がりを保つコミュニケーション能力なのだろう。

 

「最も人を集めるのは何か。信頼だ。例え、どんなに優れた人間であろうとも、この社会は異端とされれば排除する。そういった先例はお前も知っているだろう?」

 

「ええ、人間だけでしょうね。そういう集団意識があるのは」

 

「劣等感、猜疑心、我々人間に与えられ、その関係を破綻させるものだ」

 

 まぁ、つまるところ。

 茶柱が言いたいのはそういう事なのだ。

 

「アンタは士郎について初見で看破したのか」

 

「―――いいや、私が最初に抱いたのは疑心ではなく劣等感だった」

 

 恐れではない。

 茶柱という一人の人間、その感情が言峰士郎の真実に辿り着いただけという話だ。

 

「私以上の能力を持っていながら、私以上に人の上に立つことに優れている人間。それも齢15の子供だ。私自身、人より劣っていると認識しているからこそ、底に孕んだ嫉妬がアイツに目を向けさせた」

 

「表面上ばかり見ていた楽観的な奴らとは違い、その内面を覗こうとしたアンタが答えに辿り着いた」

 

「ああ、洗いざらい調べたよ。どうにか言峰士郎の欠点を探し出してやろうと、何故Dクラスなのか、その不良品たる所以を見つけ出そうとな。その結果、理事長に釘を刺される破目になったが」

 

 月夜を眺め、茶柱は笑う。そこにあるのは自身への嘲りだろうか。

 

「他のDクラス共はどうした」

 

「状況は最悪です。無人島試験での勝利が高めつつあった士気を一気に崩された。お通夜ムードですね」

 

「他にも引っ張れる者はいたと思うが」

 

「堀北は立ち直るまで時間がかかりそうです。自らの憧れが敗れたんだ。彼女にとって兄の失墜と同等の絶望だとは思いますよ。洋介や櫛田も受けたショックは小さくない。何より、今この状況で優待者の法則を見つけようとしている生徒が一人もいないことがなによりの証明だと思いますけどね」

 

「フッ、やはりこうなったか⋯⋯」

 

 茶柱は小さく笑った。

 

「予想はしていたんですか?」

 

「ああ、だが、言峰の行動原理が未だ謎のままだ。何を求めて動いているのかが一切分からない。今のままではただの愉快犯としか思えん」

 

「士郎の中学時代の話を聞くことは―――」

 

「―――ダメだ。話すことはできん。他の生徒も同様にな」

 

 ゆっくりと振られた首。まぁ期待はしていなかった。

 茶柱はDクラスを見放したかのような態度をとるが、職務は真っ当にこなしている。

 何より、オレには目の前の女が本気で言峰の身を案じているのが理解出来た。

 

「奴にとって今回の敗北が何を意味してると思う」

 

「実力差では?」

 

「しらばっくれるな綾小路。周りに人はいない。隠す必要も無いだろう」

 

「⋯⋯意識の植え付けですね。生徒や教師に上限を与えた。言峰士郎の限界を教えたんだと思いますよ」

 

「だろうな。これで何かあった際、坂柳にできないことは言峰士郎にも出来ないと思わせることが出来たわけだ。才能の限界をあの言峰でも、本物の天才には勝てないと、植え付けた」

 

 士郎はいったいどこまで計算していたのか。計り知れないその神算鬼謀に笑うしかない。

 

「ともあれ、これからだろう」

 

「―――何を」

 

「これで準備が整った。最早、言峰にとってここは疑われることの無い楽園になった。外部からの介入もなく、内側はあいつを疑うことすらしない」

 

「一つだけ、謎が残されています」

 

「謎?」

 

「何故、オレや龍園、軽井沢に自身の本性を教えたのか、です」

 

「アレは成り行きでは無かったのか?」

 

 いや、あれは士郎が仕組んだことだ。

 あの場面を作り出すのが目的だったはず。

 

 そうでなければ、何故オレたちが誘導されたのかが分からない。

 

「なら、わざと見つかったんだろう」

 

「だからその理由を」

 

「理由を求めることの方が間違っているんじゃないか? 人間がとる全ての行動に理由があるとは思えん。言峰にもそれは当てはまるはずだ」

 

「⋯⋯士郎は細心の注意を払っていた」

 

「邪魔して欲しかった―――そんなわけないか」

 

 茶柱は煙草を灰皿に押し付けると、吐き出すように零した。

 

 だが、オレはその言葉に答えを見つけたような気がした。

 士郎は良識を持っている。善行の尊さを知っている。故にそれを繰り返してきた。後付けに備え付けられた良心を活かそうとした。そうすることによって内に秘めた悪意を隠した。

 

 ―――言峰士郎は、邪魔して欲しかったのか。

 

 自分の中で、すとんと腑に落ちた。

 別に士郎に善良さを求めている訳では無い。例え、万人が憎む悪人であろうともオレという疎外された人間の手を取ってくれたことは何も変わらない。

 

 オレを案じて洋介との関係を取り持ってくれた。佐倉や椎名といった友人を与えてくれた。

 言峰士郎がどういう人間であろうとも、オレたちが親友であるという事実は何も変わらない。

 

「お前はこれからどうするつもりだ綾小路」

 

「特に何もしませんよ。オレは今で十分満足している」

 

「言峰を止める気は無いと?」

 

「逆に聞きますが、何故止めないといけないんですか」

 

「なに?」

 

「オレの親友が悪人であっても、社会が勝手に悪人と呼んでいるだけだ」

 

 軽井沢の件で止めようとしたのは洋介に頼まれたからだ。たまたま互いに譲れないものがあっただけ。

 他の生徒がどうなろうとオレの知ったことではない。

 

「ふ、ふふ、そうか。そうだな。お前はそういう人間だった」

 

「アンタはオレについても知っているんだろう?」

 

「ああ、知っているとも。担任教師の権限だ」

 

「アンタは止めるつもりなのか?」

 

「⋯⋯私には無理だった。既に遅かったんだ。選択を間違えた時点で、最早、その手を取る機会は失われている」

 

 端末からチャイムが鳴り響いた。

 茶柱の視線を受け、画面を表示する。送られてきたのは試験に関するメールだった。

 

『鼠グループの試験が終了しました。結果発表をお待ちください』

 

 続けてメールを受信した。

 

『虎グループの試験が終了しました。結果発表をお待ちください』

 

『兎グループの試験が終了しました。結果発表をお待ちください』

 

『竜グループの試験が終了しました。結果発表をお待ちください』

 

『馬グループの試験が終了しました。結果発表をお待ちください』

 

『羊グループの試験が終了しました。結果発表をお待ちください』

 

『猿グループの試験が終了しました。結果発表をお待ちください』

 

『鳥グループの試験が終了しました。結果発表をお待ちください』

 

『猪グループの試験が終了しました。結果発表をお待ちください』

 

 ほぼ同時に八つのグループが終わった。恐らく結果3の裏切りだろう。実行したのは坂柳だ。

 それから数分遅れて端末が振動した。

 

『牛グループの試験が終了しました。結果発表をお待ちください』

 

『蛇グループの試験が終了しました。結果発表をお待ちください』

 

『犬グループの試験が終了しました。結果発表をお待ちください』

 

 これは、Cクラスか。なるほど各クラス三人ずつ優待者がいたようだ。つまり、Aクラスがプラス300CP、Bクラスがマイナス150CP、Cクラスが変動なし、Dクラスがマイナス150CPか。だいぶ引き離されたな。

 

 完敗という表現がふさわしいほどに敗北した。士郎を欠いたDクラスではこの結果も仕方の無いものだ。

 

「坂柳か」

 

「でしょうね。坂柳は士郎と同じで法則を見抜いていた。いつこうなってもおかしくはなかった」

 

「追い打ちをかけてきた。Dクラスを本格的に機能不能にまで潰そうとしているようだ」

 

「オレはこれで失礼します」

 

 そろそろ部屋に戻った方がいい。士郎たちも就寝準備をしているだろうし。

 

「―――綾小路」

 

 背後から茶柱に呼び止められた。

 オレは振り返らずに言葉を待つ。

 

「私は間違っていただろうか」

 

「⋯⋯」

 

「本当は分かっていたんだ。言峰士郎という人間を知った時にやるべきことが」

 

 その声からは悲壮感が漂っている。どうしようもない理不尽に抗えず、絶望を齎された、負けた人間の声音だ。

 

「あの日、あの時に、私は―――」

 

 

 

一緒に死んで(殺して)やるべきだったんだ⋯⋯」

 

 

 

 オレは何も答えなかった。

 

 

 

 

 

 

 





四巻終了です。
ここまで長かったですが、これで導入が完全に終わりました。
次回から完全愉悦モードに入ります。

4.5巻はVS坂柳(後編)、櫛田でお送り致します。

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