中学の時だったか読んだ漫画
で、「160km/hを過ぎたら
前にトンネルが広がる」とい
うものがあった。
まだ「200km/hはごく一部の
マシンでしか出せない」時代。
少年らはそれを信じていた。
高校になり、実際に二輪で
走ってみて、すぐにそれが
嘘だと分かった。
さらに後年、ナナハンよりも
速い市販車の350でメーター
を振り切ってもトンネルなど
はなかった。
無論、125レーサーで200km/h
を出そうとも、250レーサーで
240km/h以上出そうとも、トン
ネルなどは一切見えなかった。
160kmといったら100マイルで
あり、1960年代の英国の二輪
の乗りワルたちのロッカーズが
「それ以上を」と求めた当時の
速度境界のTON-UPにあたる。
(TONが100マイルの英俗語。
10ドルを米俗語でテンバックス
と言うようなもの)
だが、TON-UPでもトンネル
などは見えないし、そのさらに
かなり上でも見えない。
あの劇画の作者は、今思うと
かなりファンタジーの出鱈目
を描いていたと感じる。
その後、その作者のほのぼの
学園ラブコメ二輪漫画がかなり
流行ったが、私の周囲の二輪
仲間たちは本気で取り合わな
かった。
主人公も登場人物もヌルすぎて
気持ち悪かったからだ。
それはその数年後の「ドジで
ノロマなカメ」のドラマに触れ
るのに似た感覚だった。
要するにクソダサだったのだ。
意味のない感傷的な文言を並べ
たほのぼのドラマが延々と続く。
学園ものとしても何の進展も
展開もない。実につまらん漫画
だったし、主人公と同世代の二
輪乗りたちからは全く支持され
てはいなかった。これほんと。
後年の「バリバリ伝説」とは天
と地の差だったのである。
160km/hでトンネルは見えない。
見えるとしたら、それは一点の
みを必死の形相で凝視した危険
な走りをしていると断言できる。
実際には200km/hでも路面の
シミやシワまで見えるし、眼前
の視界は30km/hと同じだ。
ただ、その展開速度が違うだけ
である。
多分500km/hで地上を走っても
そうなのではなかろうか。
視界のトンネルなどは存在しな
い。
視界のトンネルとか、それを言
い出した漫画家は、大昔のSF
ドラマのタイムトンネルのよう
な絵柄を妄想したのだろうなぁ。
タイムトンネル(1966)