現在、かつて無い程のスーパー
カブブームだ。
1980年代の史上最高金字塔
二輪劇画である『バリバリ
伝説』(1983〜)での描写。
この歩惟ちゃんの発想と発言は
何も特別で変なものではない。
1970-80-90年代はこれが社会
的常識だったのだ。
ごくたま〜にオートバイ乗りが
シャレやゲタ代わりにカブに
乗る事はあった。
だが、1981年の半ノンフィク
ション劇画『ケンタウロスの
伝説』でも、決闘で港にバイク
を沈没させた主人公のケン坊が
足代わりにカブに乗っていたら、
ガールフレンドのあかねはダサ
ーいという嫌そうな顔で観てい
た。
そして、ケン坊が「これも捨てた
もんじゃないぜ」とウイリーし
たらあかねは「そのカブ気に入
ったわ。乗せて」と言う。
特別な事をしないと乗りたくも
触れたくも無い、というのが
ホンダスーパーカブへの世間の
一般的評価だったのが真実の歴
史なのである。
スーパーカブ自体は耐久性や燃費
等素晴らしい車だ。
だが、趣味で乗る二輪ではなく、
徹底した実用車だった。
ところが、今世紀に入って、数奇
者がカブをいじったりして趣味性
を広げた事をアピールしたら、
たちまち人気が出た。
そして、例によって俺も俺もと
それに大衆が乗ってブームとな
った。
そこにホンダが調子こいて「カブ
はオシャレな乗り物」などという
歴史上ありもしなかった概念を
でっちあげてキャンペーンした。
また、それに乗せられた人間が
ドワーッと増えた。気持ち悪い
程に。
私はそういう流れがとことん
嫌いなのだ。
ブームだから乗るの?
流行だからやるの?
と。
スーパーカブ自体はメンテ性に
難あれども良い二輪かと思う。
60年以上前にはそれこそスー
パーだっただろう。
だが、カブが趣味的に乗られ
始めたのはここ10数年の事だ。
それまではずーーーっと何十年
も実用バイクでしかなかった。
ホンダが、「これいいの?」と
いう程にイタリアのベスパに
似せたカブエンジン車を作って
発売した事があった。
あれは、「お、いいね〜」とは
思ったが、スーパーカブ本体を
良いとかカッコいいとか乗りた
いと思った事は私は一度も無い。
元々2スト志向というのもある
が、カブの使い方は実用二輪と
して本領発揮だ、と思っていた
からだ。
社会的貢献と乖離したところに
カブの魅力は無いと思っている。
ホンダのクロスカブ等の展開は
新ジャンル開拓としては評価で
きるが、カブそのものを都会の
湾岸に停めた写真で「カブは
オシャレ」とかいうのは、非常
に違和感がある。あんこのぼた
餅に醤油まぶしてイカしてるよ、
みたいな。
広告の絵柄はカッコよいが、
車はカブである。
カッコいいわけない、というの
が本当なのではなかろうか。
だが、最近のブームでは、王様
が裸だとか指摘することが憚ら
れる程の「ブーム」だ。集団
催眠のような。
カブに限らず、どんな二輪でも
各個人が楽しむのはよい事だろ
う。
ただ、カブにしか乗ってないの
に「オートバイ乗り」と自称し
たりするのは、それはちょっと
違うのではと思うには思う。
ただ、こうした感慨の表明は、
少し何かを批判したらディスり
としか理解できない「ディスり
か、ベタベタヨイショか」しか
頭が働かない現代ステレオ脳
のネット民たちには真意など
理解不能だろう。とことん頭
悪いし。批判と非難の区別識別
さえできない脳力だし。
カブの実用性が高く世に再評価
されてカブが復権したのではな
く、仕掛け人によって作られた
擬似カッコよさ(虚像)と、その
ブームという流れに乗ってカブ
に触れるのが私は心底嫌なのだ。
それはスタンス、スタイルとし
て私はそれを拒否する。
ハーレー乗りや快速オートバイ
に乗る者たちが、所Sベースのよ
うにシャレと遊び心でボロボロ
のカブを自分でバラして直して、
足として乗る、とかはカッコいい
と思う。イケてるね、やるね、
と。
だが、カブ本体をオシャレとか
都会的とか洗練された二輪とか、
それは無い。真実無い。全く無い。
無い物を虚構の作られた虚像で
カッコいいと思い込んで乗るの
は、私は非常にカッコ悪いと
思っている。
いわゆる、ダサい、だ。それの
極み。ブーム乗っかりなどは更に
クソダサだ。
そういうので二輪と触れるのは、
スタンスとアプローチとスタイル
がダサすぎてオハナシにならな
いと私個人は思っている。
もう一つ。
カブの持ち主ならば特別な存在、
的な最近の作られた同族意識と
集団性も私は嫌いだ。
カブとは、特殊な物ではなく、
人々の暮らしの中に密着し、必
要不可欠なタウンビークルとし
て人々の日々の暮らしに役立っ
て来た車だからだ。
それを趣味として乗るのはよい
として、持ち主が特殊同族意識
を持つようなスタンスは、私は
好きにはなれない。
カブの役目って、趣味の余事に
使われるのが本懐なのか?と
強く思うからだ。
働く車ではないカブなどは、私
は好きにはなれない。
♪燃える男の 赤いトラクター
それがお前だぜ
気に入ったぜ
などと言いながら耕運機で街中
走って、それがカッコいいか?
という話。それはそうなのか?
と。
そして、現今のカブ主なる存在
には、鉄道てっちゃんたちと同
じ、何か説明のつかない言い知
れない違和感を感じるのである。
その集団的同族意識性において。