土岐家之墓@雑司ヶ谷霊園
テーマ:歴史・国際情勢
昼飯後には、本教寺の近くにある雑司ヶ谷霊園 (ぞうしがやれいえん)へ寄ってみた。
写真にあるのは、鎌倉時代以来の武門として有名な土岐氏(ときし)の墓。
私は土岐頼遠
と土岐頼芸
くらいしか知らないが、近くにある石碑によるとこうだ。
土岐氏の初代は、土岐美濃守源光衡(とき・みののかみ・みなもとのみつひら)。
しかし土岐美濃守源頼芸(とき・みののかみ・みなもとのよりあき)の代を最後に、
守護大名としての土岐氏は途絶える。
土岐頼芸は、斎藤道三 (さいとう・どうさん)に国を盗られた人物として有名だ。
道三には、父の代から油商人として築いた富や、生まれ持った軍略の才能があった。
芸術家肌の土岐頼芸に取り入り、その忠実な部下として政治や軍事を取り仕切る。
しかしこの土岐頼芸という男、画家としては一流だが大名としては三流だった。
政治と軍事の実権を持った道三が野心を露わにするや否や、なすすべもなく国を追われた。
以後は諸国を放浪し、最後はかつて自分の国であった美濃で死んだ。享年81。
その後の土岐氏は、どうなったか?石碑によると、土岐氏最後の人物は高井松亭源静。
「みなもとのしずか」だなんて、まるでドラえもんみたいだ。
この女性が慶応3(1867)年に61歳で亡くなり、土岐氏の系譜は途絶えたらしい。