なんてキャッチ―なことを書いていますが、
私、樺澤潤の祖父「一二三九兵衛」にまつわる戦後最大のミステリー?です。
文献は、
1945年8月の家計簿、1日早く知っていた終戦【戦後70年シリーズ1】 _ SUISHI'S PHOTO
という、戦時中にsuishiと呼ばれていた方の家計簿に謎が生じたことから始まります。
気になる記述が8月13日。
「参謀本部駿河台分室(俘虜放送)一二三少佐殿より」
戦争中、日本陸軍は文化学院(2018年まで墨田区に現存)を強制接収。
表向きは「駿河台技術研究所」の看板だが、実態は、対米謀略ラジオ放送の参謀本部だった!
特に1943年から1945年8月14日まで、連合国軍の戦争捕虜を連れてアメリカに向けた「日の丸アワー」俘虜放送(つまり生け捕りにしたこと晒す)を決行!
当事suishiはNHK海外局演出部に配属。1945年8月当時、俘虜放送の担当参謀であったのは私の祖父、一二三九兵衛少佐。
一二三九兵衛少佐は陸軍中野学校出身、つまり、今でいう、日本のジェームズボンドであり戦後最大のスパイであるゾルゲに匹敵諜報機関の出身のする超一級のスパイであった!
8月13日、suishiは一二三少佐から100円(現在の日本円で50万円)という当時としては大金を受け取っている。このことが一体何を意味するのか???
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・・・とまあ大袈裟には書きましたがww 一体、私の祖父は、50万円の大金を何に使用するために渡したのですかね?
でもそのヒントは↓↓
こちらは、陸軍中野学校の対外謀略ラジオ―史資料 だが、祖父について書かれています。
つまり、米軍・日本軍ともに隔てなく、その50万を振舞ってあげて「生き金」として使ってくれたのでしょうね!!!
私、樺沢潤の出生にもまつわる都市伝説にも値しますが、当の「一二三九兵衛」お爺ちゃんは、孫にはとても優しい好々爺でした。
反対に写真左で楽しそうに手を叩いている、祖母の一二三富美子と、なんと私は、浪人時代、祖母の家で「二人暮らし」
祖母は、まさに「がばいばあちゃん」みたいな人で、毎日ケンカ、そして、夕方にハーモニカを僕が吹いてあげたり、不思議な生活をしていましたww
祖母の話は、もっと奥が深いのでまたの機会に!(^^)!