「あのー…。大丈夫、ですか?」
「…大丈夫だよ?どうして?」
「…いや、何となく」
白銀が声を掛けてくる。しかし何故、そんなにも気まずそうなのだろう。早坂はさっぱり解らない。自覚もない。自身が今、どんな顔をしているのか。
「…」
白銀から視線を移す。部屋の奥、茶髪の女子と話す金髪の少年を見る。
あの金髪はウィッグ、掛けている眼鏡は伊達。そう、あれは変装した総司である。総司は早坂の視線に気付いているのか否か、隣の少女と話し続ける。
総司の表情は無表情より少し柔らかい程度だが、少女の方は楽しげに華やいだ表情をしている。
「…」
あぁ、イライラする。もしかして、総司は忘れているのではないか。自分達がここに来たのは、白銀を他の女から守る事、或いは出来たらこの場から白銀を連れ出す事。
それなのに総司は白銀を全く気にする事なく先程からずっと隣の少女と話している。もしや、案外この合コンを楽しんでいるのではなかろうか。
「…」
なるほど、そっちがそのつもりならこっちにだって考えがある。早坂は総司を睨んでいた鋭い視線を切り替える。苛立ちに震える心を静めつつ、白銀の方へと振り返った。
「ねぇねぇ白銀君。君は歌わないの?」
「え?いや、俺は…」
「まあ、君が来たくてここに来た訳じゃないのは解ってるけどさ、折角なんだし楽しんじゃおうよっ」
努めて明るく白銀に言う早坂は、パネルを持って白銀との距離を詰め、二人でパネルの画面を共有して見る。ともすれば、二人の肩がくっ付きそうな程にその距離は近かった。
流石の白銀も思春期男子、早坂との距離の近さ、そして早坂から香る女の子特有の香りに思わず頬を染める。
すぐにブンブンと首を振って正気を取り戻す所は流石と言えるが。
「白銀君?」
「…悪い、ハーサカさん。俺、やっぱり帰るよ」
「…」
あぁ、そうなるか。早坂の胸中に一筋の冷たい風が流れる。それと同時に笑みが溢れる。
(良かったですね、かぐや様)
脳裏に浮かぶのは主人のこれでもかと安堵する顔。
早坂も一人の女。それとなくアピールした直後に男に帰るなんて言われればそれはそれでショックである。しかしそれ以上に、この結果が嬉しくもあるのだ。
主人が選んだ男が、この程度のアピールで流される様な軽い男でなくて良かった。
「そうですか」
「…その」
「応援してますよ。白銀くん」
「っ…。ありがとう」
罪悪感を抱いてるのだろう、複雑な表情を浮かべる白銀に微笑みかけて言ってやれば、白銀は早坂にお礼を言ってから部屋を出ていく。
その後ろ姿を見届けてから、早坂はポケットから取り出したスマホを操作して、白銀が退室した旨をかぐやにメールで報告する。
さて、早くもこれでミッションコンプリートという訳なのだが、どうしようか。自分も帰ろうか。というか、帰りたい。これが早坂の本音の一部である。
しかし、だ。
「…」
総司の隣にもう一人女が増えていた。何を話しているかは周囲の盛り上がりに紛れて聞き取れないが、二人の少女の表情から会話はそれなりに進んでいるらしい。
「あれ、君一人?さっきまでいた奴は?」
総司の方を眺めていると、早坂の隣に遠慮なしに腰を下ろすチャラけた雰囲気の男。茶色に染めた髪をワックスで立たせ、服装もかなり着崩した典定的なチャラ男だ。
「えっと、さっきの人は何か合コンだって知らないで来てたらしくて。好きな人がいるし、その人にこういう場所に来てたって知られたくないって帰ったの」
白銀はそこまで明言した訳ではないが。この言葉を本人が聞けば即座に否定するだろうが、早坂の言葉は事実である。
「あはははは!それで置いてかれたの?可哀想ぉ~」
「…」
笑い出すチャラ男。早坂は外向けの笑顔を崩さぬままジュースの入ったコップを手に取り、ストローを咥える。
尚、笑顔こそ浮かべているが内心の気分は最悪なのは言うまでもない。
「ま、とりあえず歌おうぜ?ほら、何歌う?」
「え?えっと…」
チャラ男が距離を詰めてくる。更に腕をソファの背凭れの上、それも早坂の背後に置き、端から見れば二人はかなり密着している様。
早坂が上体を反らして距離を取ろうとしてもチャラ男はへらへらと笑いながら更に詰めてくる。
「そうだ!俺とデュエット歌わね?俺、最近彼女にフラれちゃってさぁ。ほら、失恋した同士って事で!」
別に失恋した訳ではないのだが。何なら、絶賛片思い続行中なのだが。勝手に失恋認定しないでほしい。ちょっと傷つく。
というか、近い。ぐいぐい来すぎ。彼女にフラれたと言ってたが、その彼女は良い判断をしたと思う。もっと良い男はいる。探すんだ、彼女さん。
「ほらほら、何歌おっか?」
「あは…、ぐいぐい来ますね…」
「そりゃ君みたいな可愛い子がいたら男ならぐいぐいいくでしょ!」
だがその彼女…というより、元彼女さんを心配している場合ではない。これ、地味に危ないのではなかろうか?身体的にも。
かなり面倒そうだがそれとなくお断りさせてもらうか、しかしこういうタイプはかなりしつこい。無理矢理、という事だってあり得る。
「おい、ハーサカ」
「え…」
さて、どうやってこの場を乗りきろうか考える早坂の頭上から声が掛けられた。
早坂とチャラ男が見上げる。こちらに目を向ける、チャラ男と負けず劣らずのチャラ男がそこに立っていた。
「そ…」
「ドリンクバー行かないのか?空だぞ?」
金髪のチャラ男は早坂の手元にある空のコップを指差しながら言う。早坂は視線を落とし、それからすぐに顔を上げて立ち上がる。
「待って、私も行く!」
すでにドアノブに手を掛けていたチャラ男を追う早坂。チャラ男が扉を開け、それに続いて早坂も部屋を出る。背後から早坂を呼び止める声が聞こえてくるが無視。
ばたん、と扉が閉まり、先程まで耳にガンガン響いた大音はほとんど聞こえなくなる。聞こえてくるのは廊下に流される歌と、他の部屋の盛り上がりから聞こえる僅かな音。
そんな空間の中で歩く早坂は、隣を歩くチャラ男を見上げて口を開いた。
「良かったんですか?さっきの子達は」
「何が?」
「楽しそうだったじゃないですか。多分、狙われてましたよ?」
「…まあ、いつものお前やかぐやとか以外の同年代の奴と話すのは新鮮だったさ。でも別に楽しくはなかったぞ」
「…鼻の下伸ばしてませんでした?」
「な訳ねぇだろ。てか、お前ずっと俺の方見てた癖に解らなかったのか?」
苦笑しながら早坂を見下ろすチャラ男…もとい総司は早坂に問い掛ける。
どうやら、総司の方を何度も見ていたのはバレていたらしい。早坂は悔しさを感じながらも努めて無表情を保って答える。
「私にはそう見えたんです」
「…お前の目はいつから節穴になったんだ?」
「総司様が自覚してないだけじゃないですか?」
違う、そうじゃない。言いたいのはこんな事じゃない。
解ってはいるが、早坂の意志に反して口から出てくるのは総司を貶める言葉ばかり。
「はぁ…」
「何ですか、そのため息は」
「いや、何言っても無駄だなと思って」
「…」
でも、総司にも悪い所はあるのではと早坂は思う。ハッキリ言葉に表さない自分が悪いとは思うが、もう少し色々と察してくれても良いのではないか。基本的に敏い癖に。こういう時だけ鈍いのはずるいと思う。
「…総司様。今、久々に埋め合わせカウンターが増えましたよ」
「は?何でだよ」
だから、こうして総司をちょっと理不尽な目に遇わせるのも仕方ないのだ。
「そして今ここで埋め合わせを所望します」
「いや、今ここでってどうやって…おい、まさか」
「はい、そのまさかです」
総司が恐る恐るといった様子で問い掛け、早坂はその問いに笑みを浮かべて答えを返す。
「いやいやいや、まてまてまて。まず何で埋め合わせしなきゃならんのだ」
「私の目の前で女に鼻の下伸ばしてたからです」
「だから伸ばしてないって」
「それと…」
「?」
「…もう一つは、秘密です」
早坂が速足で歩きだし、総司の前に出る。そんな彼女が向かうのはドリンクバーではなく、受付だった。
そんな早坂を総司は止めようとせず、ため息を吐いてただついていくだけだった。
時は少し遡る。まだ総司が二人の少女に挟まれ会話していた時である。
何を話したのかは知らないが、白銀がカラオケルームを出ていったのを見て、総司もこれで任務完了という事は了承していた。しかし、この後どうしようかと悩んでいたのも早坂と同じだった。
帰るべきか、残るべきか。一度、早坂と話がしたい。この後の事、そしてさっきから自分を睨むのは何故なのか、そこも含めて話し合いたかった。
そんな総司が見たのは、チャラ男に迫られる早坂だった。擬態の笑顔を浮かべてチャラ男に対応する早坂。それに気を良くしたチャラ男が早坂との距離を更に詰めていく。早坂が引いているのに気付いてないのだろうか、それとも気付いた上で迫っているのか。
どちらにしても、早坂が困っている。その事実だけで総司には十分だった。
四宮総司は、身内には甘いのである。
「ちょっとドリンクバー行ってくる」
そう言い残し、二人の返事を待たず立ち上がった総司は出入り口の方へ足を向ける。
そして──────
「おい、ハーサカ」
早坂に助け船を出したのだった。
部屋を出てからは何故か早坂に埋め合わせをする事となった。理由は、先程のカラオケルームにて話しかけられた二人に鼻の下を伸ばしていたから。いや、伸ばしていないのだが、そう見えたらしい。意味が解らない。
埋め合わせの内容はここで二人で歌う事。断ったら後で何を課されるか解らないし、それくらいで早坂の機嫌が直るのなら安いものだと無言の了承をした総司は今、先程のカラオケルームからは離れた部屋にて早坂と二人でいる。
「…楽しそうに歌いやがって」
自分に理不尽を課した張本人はそれはそれはとても楽しそうにマイクを持って歌っている。笑って、小躍りなんてして、本当に楽しそうに歌っている。
そんな顔をされたら何も言えなくなってしまう。
今回の理不尽は許容してやるか、なんて思ってしまう。
「ふぅ~…。何か?」
「いや?随分楽しそうだなと思ってな」
「えぇ、とても楽しいですよ?総司様の奢りで好き放題歌えるんですから…」
「…」
ただ、理不尽は理不尽。総司を無理矢理この部屋に連れ込んだだけでなく、カラオケの料金も払わせようとするその度胸に、総司は応えなくてはならない。
(…くくく)
内心でほくそ笑む。総司の右手にはスマホが握られていた。カメラレンズを早坂の方へと向けていたスマホの 位置を正して画面を見る。
パパパ、と指で操作。そしてある事を確かめてから総司はご満悦に笑う。
「総司様、曲流れてますよ?」
「おっと…」
早坂に言われ、総司は一度スマホの画面をタップ、自分の傍ら、ソファの上にスマホを置く。そしてテーブルに乗ったマイクを持って歌い始める。
リズムに乗った総司の歌声が響く中、傍らに置かれたスマホは未だ画面を光らせていた。
そこには、楽しそうに笑顔を浮かべてマイクを握る早坂の顔が映されていた。
※帰宅後
「あらあら…、お可愛い笑顔ですね、早坂?」
「…総司様」
「ピュ~ピュピュ~」
情景は想像してください(笑)