穢れなき虜囚   作:Yan0kana

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GOOD MORNING

ヒマワリ畑の中を走り回る夢を見たんだ。酷い夢だった。自分の三倍はありそうなドデカいクマに追い回される夢だった。背の高いヒマワリに囲まれて先なんざ見えやしない。今自分がどこに居るんだかもわからない。荒い息遣いだけが聞こえて俺は自分の気が変になったんだと思った。デカいヒマワリをかき分けかき分け、走りまくった。だが、クマってのは凄くて、俺のことを鼻でも脚でもしっかり補足したまま、びったりくっついてきて離れない。撒こうなんて考える余裕もなくなっていった。

 

「ウッ!?うわあああああ!?」

 

そして、散々逃げ回って、遂に力尽きて後ろから首筋をガブッ!…だ。

 

痛みが来なくて不思議に思うと、代わりにヌルンッ…て感触が背筋を駆け上がって、吃驚した俺は大声上げて目ぇ覚ました。顔中ぐしゃぐしゃのガピガピ。涎と涙と、色々だ。とにかく酷い面で目を覚ましたってこった。

 

「あら、起きたのねジタン。おはよ。」

 

暗がりの中で起きた俺の視界一杯に生っ白い壁が広がってた。腫れぼったい目で混乱した俺の頭はその温かい壁に顔を突っ込んで、二度寝と洒落込もうとしてたんだが、そんな俺の頭の上から声が降って来た。

 

驚いて顔を上げるとそこにはデカい双子山…に阻まれた誰かの顔。声は聞き馴染んだ女の声だった。

 

「どうして俺の部屋にチェキがいるんだ…ん?むむ??」

 

「どうしたの?まだお眠かしら?」

 

「え?なんだ?これ。」

 

「ほら、おいで?」

 

「え、あ、うん。」

 

やっと自分の居場所が何処なのか分かったのは、頭から被ってたシーツをポーンと放ってからだった。さっきの状況をまとめれば、俺はシーツに潜り込んでチェキータの温くて白くてすべすべのお腹に頭を突っ込んで眠ってたって訳だ。なあんだ、さっきの山はあいつの乳か。道理でデカい訳だ。安心した俺は寝ぼけ頭のままで、仰向けで手招きするアイツにぴったり密着して、頭を抱かれながらまた目蓋を閉じた。甘くて安心する匂いだ。

 

「久しぶりだったけど、中身は変わってなくて安心したわ。」

 

しばらくして、今度こそ頭の寝ぼけが取れた俺は自分のやってることに驚いて、飛び起きた。いきなり胸から飛び起きた俺にも、アイツはちっとも驚かないでいつものニヤニヤ顔だ。足が絡めてあるせいで起き上がれなくて結局逆戻り。ポヨンッ…なんて、危なげなく俺を抱きとめるチェキはやはり俺より遥かに頼もしい。受け止めるなり言われた言葉で、俺の頭は混乱した。変わる変わらないを心配されるほどの中身が俺には昔あったってことか?にしても、昨日のことはさっぱりだ。いや、なにか夢を見たんだが、それ以上は何も思い出せない…。

 

「中身ィ?なんだそれ?」と、俺は探るようにアイツに聴いても。

 

チェキータは「ふふ、いいんだよ、ジタンはそのままで。」と言うだけだ。男の頭をクンクン嗅いだり、兎に角困った奴だ。それを甘受している俺もまったくどうかしている。ましてやこいつは既婚者じゃなかったか?今は離婚してるらしいが。俺は間男にはなりたくない。その旨を伝えるも「何も心配いらない」の一点張りで放そうとしない。

 

「…ま、いーや。ところで、なんで裸なんだよ!」

 

今更ながら俺とチェキータは、二人とも全裸だった。朝っぱらから事案発生か?にしては俺もこいつも落ち着きすぎだし、おまけに絡まったままの足をどうにもしないでいる。俺は動かそうにもがっちり固められてて動かせないだけだが。

 

俺の追及にもチェキータは何を考えているのかさっぱり悟らせない、ぽやんとした表情だ。蕩けるみたいな柔らかい顔してなーにが「ふふ、どうしてかしら。」だよ!俺は身動き一つとれない。抱き枕状態だ。

 

一向にらちが明かないので、昨日何があったのか聞き出そうとして見る。

 

「昨日は酒飲んで寝た筈なんだが…部屋に忍び込んだか?ニンジャみたいに!」

 

そういってもチェキータは「ふふふ…。」と笑うばかりだ。腕に力が入ってアイツの乳が俺の胸板で潰れて凄いことになっていた。アイツの腕の中で俺とチェキの乳が押し合いへし合い状態である。胸が苦しい…くはないな。俺の胸も、何時鍛えたのか知らないが分厚い。お陰で筋肉と脂肪で俺達の間はみっちり隙間なく充満してる状態だ。柔らかいのは好い。だが熱いったらない。

 

「なあ、昨日俺、なんかしたのか?」

 

俺は目と鼻の先で見せつけられる、チェキの人懐っこい笑みに耐えられなくなって、自分が悪いことをしたような気分になって来た。アバウト過ぎて俺も肝心なことを聴けるとは思ってないが、それでも、沈黙よりマシだと思ったのだ。

 

しかし、俺の疑問に答える代わりにチェキは、俺の腰を足でガッチリ抑えてから、こんなことを言い出した。

 

「…そんなことより、そろそろ時間じゃないの?」

 

「え?」

 

何言ってるのか思い出そうと頭を働かせたのと、答えが向こうからやって来たのは同時だった。

 

扉が結構な力でノックされたかと思えば、向こうからレームの声が聞こえて来たのだ。

 

「お~~い!ジタン!まだ寝てんのか?もう船が出ちまうぞ~?」

 

レームの声に俺はすっかり全部を思い出して、それから今度こそ、この心地良くも食虫植物の如き危険を孕んだ拘束から抜け出そうと藻掻いたのである。

 

「あああ!?な、なら早く言ってくれよ!それじゃ、またなチェキ、このことは次逢った時に聴くことにする!だ、だから離してくれ!」

 

俺はそう叫んだ。叫んだと言っても耳に痛くない程度にな。俺の叫びを聞いたチェキータは腕と脚にググ…と力を籠め始めた。いや、逆だよ逆。俺の言葉に相槌を返しながら、チェキータはミチミチに俺を拘束して、甘ったるい声で囁き始めた。

 

「ええ~…ねえ、行くの止めない?草臥れたおじさんよりも、お姉さんと一緒の方が、きっと毎日楽しいよ。」

 

自分のことをお姉さんというチェキータは間違いなく美人である。現場の痕跡から言って、多分俺は昨夜何らかの過ちを犯したものとも思われる。しかし、俺も給料を貰う身であり、何よりも今以上に安全な子守とくれば受けない手はないのだ。故に、俺は心を鬼にして、と言うよりも切実な業務遂行の必要に駆られて、彼女を説得したのだ。

 

「頼む、この埋め合わせは今度!今度会った時にするから!だからご勘弁を!な?チェキ、頼むよ!」

 

俺は情けなさ骨髄だった。だが、そもそもチェキのことは嫌いではないし、この場で簡単に誘惑に呑まれるようではそれこそ男が廃る、とも考えたのである。最後まで言い切って頭を下げると、下げた頭を撫でられた。

 

頭を上げるとチェキータがはにかんだ笑みを見せて「なら仕方ないね、約束だよ?また逢おうね。」と言ってくれた。

 

「勿論だ、すぐに会える。子守だぜ?危ないことなんて何もないよ。心配すんな、不器用な俺でも流石に子守じゃ死にたくても死ねないさ。」

 

カッコよく言ったつもりだった。が、実際はクマに正面から抱き竦まれてサバ折りされてる状態だからまったく格好良くない。若干フラグっぽいことはさておき、俺の言葉にはにかんだ笑みを消したチェキは、黙ってうなずくと俺の首に顔を埋めて来た。あれ、しくったか?

 

焦るも、首から顔を上げたチェキが耳元で「そっか…じゃあ、いってらっしゃい!」と言ってくれたのでなんとか成功判定を下せそうだ。

 

俺は勢いよく頷くとがちがちにチェキに固められた自分の体を見下ろして「おう!それはそうと、急がないとそろそろ本格的にマズい。頼むから手足と乳をどかしてくれ。」と懇願したのだった。

 

 

 

まったく格好良くない朝をなんとか乗り切って、解放されるやシャワーを浴び、昨日の料理の残りをぱくつきながら、すぐに荷物をまとめた俺はレームの元へと駆け足で向かった。部屋を出て直ぐのところで待っててくれたレームを見ると申し訳なくなった。

 

俺達が速足で部屋を後にする時、チェキータが平然と「あはは、またね~ジタ~ン!遅れちゃだめだよ~!」と部屋から半袖シャツとショーツだけの恰好で身を乗り出して手を振って来たので、俺は顎が外れるかと思った。尚、手は振り返した。

 

困惑しつつも歩きながらアペンディックスに固定してある樹脂製ホルスターに護身用の拳銃を差し込み、レームに謝っておく。この拳銃…FNファイブセブン…といい、俺の私物は何故か全て俺が注文したことになってた。記憶にないのに。

 

銃のサイトにはトリチウムを埋め込むだの、レーザーを内蔵式にしろだの…この銃一つとっても、俺がごねた所為で細かい拘りがあるとレームが言ってた。俺の注文通りに作った結果らしい…だが生憎ここに来るまで生粋の漁師生活を一か月近くしていた俺にそんな知識は皆無な訳で…悉く謎である…。

 

「朝から何が何だか…おーいッ!レーーム!今行く。遅くなった!」

 

合流したレームはいつも通りに煙草をふかしていた。この男は例え俺が寝坊しても常に頼もしい。俺達は右手の平を見えるように手を上げて「おう」と挨拶を交わした。足元が忙しなくロビーに向かっていること以外はいつも通りである。

 

「いや、まあいいんだけどよ…そういや、チェキータ何処か知らねえ?フロイドさんが探してたんだけど…。」

 

下の階に向かうべくエレベーターに乗り込んですぐにレームが言った。

 

俺は一応は夫婦だったのに夫婦らしからぬこいつにガツンと言ってやるつもりで言ったのである。

 

「アイツなら俺の部屋にいたよ!」

 

だが、驚かされたのは俺の方だった。レームは我が意を得たりと手を叩くや、腹を抱えて笑ったのだ。

 

ひとしきり笑ってから彼は「へっへへ…アンタも隅に置けねえな。」と言って、俺の肩をどついたほどである。

 

俺はこいつがそういう癖を持っているのか、それとも単に変わった奴なのか、或いは俺の方が知らないだけでなにか二人の間に了解があるのか…色々な疑問が浮かんでは消えた。ともかく、どつきたいのはこっちであった。

 

目を覚ませといった感情を込めて「何言ってんだよ!お前の嫁だろ!」と俺が言うと、レームは今度は「そっくり同じセリフ返してぇとこだぜ。」と言い返し、俺の眼は回るような心地になったものである。

 

いよいよ下の階につく頃には、俺は何だかそういえばそんな気もするなあ、などとレームの弁舌に押されて納得してしまいそうであった。チェキとレームが任務以外で一緒に居るところを見たことは無い、だというのに俺の隣にはこっちに来てから常にチェキがいる気がする。

 

結局変わった夫婦だな、とお互いに言い合って話が途切れた。

 

「チェキと言い、朝から退屈しないな全く。」と俺は零した。

 

保養施設を出て直ぐに乗りつけられたドイツ車SUVに乗り込むと、前の席に乗ったレームが糊の取れてない仕事着を俺に渡した。車の中で着替えろと言うことらしい。

 

「そら、着替えたら急ぐぞ。お嬢ちゃん達が俺達を待ってる。」

 

レームは何時ものタクティカルパンツとポロシャツなのに、何故俺だけこのクソ暑い中東で、黒のタートルネックに黒のダブルジャケットと揃いのスラックスを渡されたのか…釈然としない。あとダークブラウンのハンチングも。

 

だが、これもレームの教えてくれたところによると、俺の注文通りらしい。俺の知らない間に、俺のことが俺により勝手に決められている。何だこりゃ…哲学か?…今は止してくれ。俺は考えることをやめてスーツの袖に腕を通した。

 

「お嬢ちゃん、達?双子か?姉妹か?」

 

悩ましい気もしたが、詮索は何となく怖いし、何より面倒くさいので後部座席一杯使って、ベルトまできっちり身に着けてから、レームのお嬢さんたちという言葉のニュアンスをつねってやった。

 

退屈な道中にも関わらず、レームときたら俺の質問で一気にご機嫌である。何が面白いのか知らないが、彼はタバコを噛み噛み言った。

 

「へへっ!見てからのお楽しみだ。」と。

 


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