「チェキータッ!しゃしゃり出るんじゃないッ…私が話しているんだ!」
血相を変えたフロイドがチェキータに人差し指を教鞭のように立てて嚙みついた。
「あらぁ、私だって無関係じゃないわ。それに、何だったらフロイドさんよりも深い関係で結ばれているわ。今だって…ともかく、ここは私に任せてくださいな。貴方に任せていても、多分今のジタン相手じゃ迎えの船が来るまでに話がまとまらない。」
雇主からの一喝など歯牙にも掛けない物言いにフロイドは閉口する。よく見れば、チェキータの表情は喜色と興奮が浮かんでいる。心なしか息も荒い。お預けされた獲物を早く早くと急かす虎のように余裕が無い。いつもなら決して見せない部分が見えていた。赤信号目前の予感。
「くれぐれも、勘違いされるような言動は慎み給え。お互い、死にたくはないだろう?親しくとも限度はある。ましてやミスター・コッポラは今、記憶に何らかの支障をきたしている様子だが、それでもその戦闘力は寸分も衰えていない…あの日に死んだと聞いていたが…やはり、あの人が死ぬはずはなかった。しかし…これではCIAも落ち目だな。」
これ以上引き留めるのは危険。直感的に理解してフロイドはチェキータに渋々交渉を任せることにした。確かに、ジタンへの憧れや畏怖に抗えない自分よりも、彼相手の交渉はジタンにこそ深く突きこむような積極性を発揮できる彼女に任せた方が建設的だろう。
「はいはい、じゃあお話してくるわね。」
フロイドの苦渋の決断など露ほどにも興味が無いチェキータは軽い足取りで凄惨な死体が転がる道を真直ぐジタンに向けて進んでいった。
「ああ…レーム、大人しくしてろよ?さっきは運が良かったな。」
チェキータが小屋の外に出たのを確認してから、珍しく草臥れた様子のフロイドはレームに声を掛けた。
「なぁ…あの話、まさか本当なのか?もしも、死んだはずの男が生きていたとすりゃ…俺は例のあの人に引き金を引いちまったってことになるんだが…。」
レームは我関せずで見守っていたものの、それでも相手が明らかに人間離れした戦闘力を発揮する瞬間をつい先ほど目にしたばかりだ。緊張は最高潮であるし、警戒心も限界突破しかけていた。もしもフロイドの言葉が事実であれば、先ほどの威嚇射撃はもしかしなくとも雇主を守るつもりが、雇主と自分を殺しかけていることも痛いほど理解できた。
そして、声の調子からフロイドは本気だった。血の気が引いて眩暈でも起こしそうになった。
「ふっ…よかったな、恐らくお前は史上初だ。ミスター・コッポラに引き金を引いて殺されずに済んだ男として、歴史書に載るかもしれんな。」
フロイドは常ならばレームにも見せることの無かったニヒルな笑みを浮かべていた。
「へっへへ…冗談キツイぜフロイドさん。」
「…冗談だと思うか?」
茶化そうといつもの調子で言うと、フロイドは蛇のような温度を失った瞳でレームを見つめた。眉も口元も笑ったまま。なるほど、人間どうしようもない状況だと可笑しくなって笑っちまうが、同時に目が笑わないと言うが、それはつまりこういうコトだったんだな。レームは納得した。
「…ホント、冗談キツイぜ…。遺書でも書いておくか?」
「諦めろ。キレたが最後、この地上に存在した記録丸ごと殺される。戸籍からクレジットカードやレンタルビデオの利用履歴まで、全てな。残るのは身元不明の遺体だけ。即死させられ、美しく防腐処理された死体だけが遺される。ミスター・コッポラの逆鱗に触れた愚か者の末路として、鮮明に記憶されるようにな。」
「…そいつぁ、古代ローマ人も真っ青だな…。」
<<カシュンッ!>>
レームは青い顔を隠すように、震える手で取り出したタバコを口に咥えると、先端をライターの火で炙り重々しく煙を吐いた。着火の為に石が起こした摩擦で火花が散る。原始的恐怖と安堵を齎す知恵の灯だ。
<<パクンッ!>>
思い切りよく蓋を戻すと同時に、外が騒がしくなった。
「…一体何事だ?まさかッ!?」
ドアを小さく開けて外の様子を伺うと同時に、再び血相を変えたフロイドが飛び出すより早く、レームは彼を庇って覆いかぶさった。
次の瞬間。日干し煉瓦製の壁が崩れた。
<<ドゴッ!!ガラガラガラガラ……!…>>
「何事だ!!チェキータ!お前、何をやらかした!?」
フロイドらしからぬ剣幕でレームの体の下から怒鳴る声が響いた。
「ごめんなさい…ちょ~っと、これは私にもわからないかな…だっていきなり豹変したんだもの…いいえ違うわね…<元に戻った>が正しいかしら?」
案の定、レンガの壁を突き崩したのはチェキータだった。
「おい!お前さん、一体全体何をどうしたら深い関係からここまで険悪になれるんだぁッ!?」
フロイドを抱え起こしたレームが叫んだ。
「う~ん何故かしら?私はただ本物のジタンか否かを確かめるためにナイフを向けただけよ?」
「それだバカ!!」
本当に理解できないわぁ?と言うチェキータに対してレームが吼えた。フロイドは土埃まみれの自分の身を顧みる余裕すらなくして、崩れた壁の陰から外を見遣っていた。
「…おい、チェキ…豹変したってことは何かキッカケがあるんじゃねーの?」
レームの言葉は御尤もだ。
「確かに一理あるわね。でも、本当に突然なのよ、逃げ足が速い以外は全然だったわ。あと少しで素っ裸に出来たのに、押し倒した瞬間目つきが変わったの。次の瞬間には抜け出されて、そのあと気が付いたら壁に埋まってたってワケ。」
手をひらひらさせながらチェキータは笑って言った。
フロイドは目を回しそうになり、レームはマガジンを引き抜いて残弾を確認してからマガジンを差し込みレバーを戻すと、愛銃M4カービン コルトコマンド―の射撃仕様をセミオートからフルオートに変更した。
「…んん~?聞き捨てならねぇ狼藉を働いてた気がするが…今はいいや、それより奴さんも兵士だろ?てことは何かセルフマインドコントロールで自分自身を切り替えるスイッチがあるんじゃないか?」
土煙で視界が不良な状態で、向こうから悠々と迫っているであろうジタン。彼へ向けて銃口を向けるレームは、チェキータにMP7を手渡しながら言った。
「えぇ、一番あり得そうね…でも、何かしら?条件は…味?色?言葉?…それとも、音?」
チェキータは頷き、レーム同様にチャンバーチェックを行いつつレームの問いにいくつか候補を挙げた。
「音?音っつったって俺がさっき発砲した時は何でもなかったぞ?寧ろ撃たれてんのに反応が無さ過ぎてこっちがビビっちまうくらいだった。」
既に銃の発砲音ではないことは鮮明だった。視線を前方に向けたまま、小声で話を続ける。
「なら別の音じゃないの?私は何も引っかかりそうな言葉とか言わなかったわよ?」
目を細めてチェキータが言う。彼女はジタンが彼女の知るジタンではないことに気がついていた。外見は同じでも、今の彼はチェキータが知る仕事中の彼ではなかった。明らかに隙だらけで、殺そうと思えば殺してしまえるように見えたが…実際には殺せないとしても、彼からはあの痺れるような冷たい気配…殺気すら殺す冷徹さが感じられなかった。
「おと…音…なんか、銃以外で音の出るもん、ねぇ…?」
一瞬ストックに首を預けて悩む素振りを見せるレームだったが答えは出そうにない。
「レーム、その話はあとでね、そろそろ彼の<射程>に入るわ。」
その時煙の向こうに人影が見えた。徐々に濃くなる人影からは、アフリカの熱射をも忘れさせるような冷たさが感じられた。いや…正確には感じさせられていると言うべきか、彼とて本気ではないという訳だ。
そのことだけでも知れたならば上出来だろう。レームとチェキータもまた極めて高度な経験と技術を有する戦闘機械としての素質に富む存在だった。
だが、それでも本気で殺しに来たジタン・コッポラを相手に、殺気や気配を感じ取れるのかと問われれば…それは唯一ジタンにのみ断言が許されることである。