
坂本治也:パットナム自身が『孤独なボウリング』でソーシャルキャピタル衰退の主要因として挙げているのはテレビ視聴と世代交代でした。インターネットの発達は1990年代以降ですが、アメリカにおいてソーシャルキャピタル衰退が始まるのは1970年代以降の話なので、インターネットは「犯人」にはならない、とパットナムは考えていたようです。
パットナムのテレビ視聴がソーシャルキャピタル衰退につながるロジックは2つあり、まずテレビを視聴する時間がそれまで社交していた時間に取って代わったという時間消費面でのロジックと、もう1つはテレビの視聴自体が心理面や社会行動にマイナスの影響を与えるというTV
malaiseのロジックです。どちらのロジックも厳しい反論が寄せられましたが、パットナム自身はそのように考えていたようです。
世代交代の方は、long civic
generationsといわれる戦前生まれ世代が戦時動員の影響を受け、jかつテレビ無しに社会化された世代であるためにソーシャルキャピタルの面で豊かな世代であるわけですが、それら世代が亡くなって、より下の世代に入れ替わっていったためにアメリカ全体のソーシャルキャピタルが衰退した、とパットナムは考えていたようです。
日本でもかつては近所で醤油や味噌の貸し借りをしていた、と言われますが、これは経済的貧しさやスーパーやコンビニが未発達であったことも影響しており、経済発展とともに環境変化で他者と交流し協力し合わなくても、個人や核家族をベースとして十分自立して生きていける部分が大きくなったと思います。ゆえに、おっしゃるっように、「他者と交流することによって得られるメリット」は前よりも小さくなってきたのかもしれません。
ただし、国際比較でみても、日本の家族友人の範囲を超えた交流や助け合いの頻度は乏しいとの指摘があり、それはかつての「ムラ社会」での嫌な人間関係を忌避する心理から、過剰といえるほど他者に干渉しない文化に日本はなってしまっているように、私には思えます。逆にいえば、他国ではおっしゃるっような「交流することによって発生しうるデメリット」を日本ほど重く見積もらないように感じます。
インターネットの発達がデメリット強調を助長したというよりも、日本では日常生活の中で、また家族との会話の中で、知らず知らずのうちに、よく知らない他者を信頼すべきではない、人を見たら泥棒と思え、知らない人とは話してはいけない、知らない人が困っていても干渉すべきではない、という社会規範を身につけてしまう状態にあるように感じます。
日本人の助け合い忌避については、以前私は一般向け記事としてまとめた文章を書いたことがありますので、以下をご覧頂ければ幸いです。https://gendai.media/articles/-/67142
日本人は、実は「助け合い」が嫌いだった…国際比較で見る驚きの事実(坂本 治也) @gendai_biz
2011年、東日本大震災が発生した直後、被災地の支援・復興のため、多数のボランティアと多額の寄付金が日本全国から集まった。自然と湧き上がった人々の助け合いの気持ちに、激しく心を揺り動かされた人は決して少なくなかったはずだ。あの時、私たちは「やっぱり日本人には、強い助け合いの精神があるんだ!」と再確認できたような気になっていた。
https://gendai.media
また、ムラ社会での連帯と、現代社会における連帯は異なることを鮮やかに示した名著として、山岸敏男『安心社会から信頼社会へ』中公新書、1996年を紹介しておきます。交流することによるデメリットを過度に恐れる日本人は、いまだ「安心社会」の論理しか体感しておらず、「信頼社会」の形成に失敗しているように、私には見えます。