嘘松扱い飽きたからツイートに貼ったやつ再掲
https://d.kuku.lu/54bc6vt23
1枚目、2枚目 センター得点 当時のものは捨て、2023年に問い合わせて再開示してもらったもの
3枚目 学位記、医師免許
4枚目 銀座のクラブの名刺とロゴ入りライター 店用ライター渡されるのはホステスだけ
5枚目 診断書 なぜ手元にあるかというと一回書いてもらってから自立支援申請の有効期限が切れて再発行してもらったから
6枚目、7枚目 ダイエットビフォーアフター
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そこそこ栄えた地方都市の中心部、医師家系出身。
0歳から徹底したグレン・ドーマン式英才教育を受ける。
1歳〜2歳で平仮名、カタカナ、アルファベット、音符をマスター。絶対音感教育によりヘルツ単位で聴き分けられるようになる。
これがどういう感覚かというと、現代のポップスやボカロって大体調律が440Hzなのに対し、クラシックは442〜443Hzが主流なんですけど、続けて聴くとその違いが気になってしょうがなくて中身入って来ないくらいの感度です。
これが何の役に立つのかというと、同じドレミファソラシド(音階)でも取り方の微妙な違い(音律)があり、平均律、純正律、ピタゴラス音律などを場面によって使い分けることで綺麗に聞かせる効果があります。
ちなみにグレン・ドーマン自体は脳障害児へのめちゃくちゃ怪しいトンデモ治療法を提唱する結構やばいやつです。昔NHKで「奇跡の詩人」と題した狂気しか感じられない番組が放送されネットで大炎上しました。大人になってからググってびっくりした...
文字が読めるので幼稚園の親と先生の連絡ノートは内容全部読んで立ち回ってましたし、ミッション系だったので聖書が全員に配られるんですがそれも読破していました。
物心ついてからは楽器でプロを目指していたのでずっとそれだけに集中していました。
毎日学校から帰ってきて3〜4時間ぶっ続けで練習、休日も一日7時間や8時間延々と練習。放課後遊びに行ったこともなかったし、長期休みも極力どこにも行かず毎日練習。もしくは旅行先に楽器を持ち込む。
テレビ・漫画・雑誌・ネット・クラシック以外の音楽・市販のお菓子などありとあらゆる娯楽は禁止。指を傷つける可能性があるため料理や裁縫、球技などの授業は見学。
楽器は1000万近くするものを買ってもらい、有名な先生の所へ飛行機で通いました。毎年コンクールに出まくり対策に追われ、常に地方大会(全国を4ブロックに分ける)でベスト3にはずっといたし、10歳でギャラの入る仕事をもらっています。
そんな感じで忙しかったので勉強の塾に行ったことはありませんでしたが、小学校から塾の公開テストだけ受けていました。
一番上のクラスの子達に混ざって一人だけクラス欄が空欄で毎回上位にいたので、塾の子たちの反感を買ったらしく、みんなが私を抜かすために勉強して全体の成績が上がっていく、という現象が二つの塾で起こったらしいです。
私の名を取って「ぷしこちゃん現象」と名付けられ先生方は喜んでいました。
無双だった人生は中学のイジメで急転直下。
ストレスで重度の強迫性障害になり、日常生活すら成り立たないレベルになります。
強迫性障害の症状は人によって幅広いのですが、代表的なのは極度の潔癖症で手洗いや消毒を執拗に繰り返すってやつです。ただの綺麗好きと違うのは、好きでやっているのではなく自分でも苦痛でやめたいと切実に思っているのにやめられないこと。それと何時間も手を洗い続けたり、シャワーを何十回も浴び直すなど程度が尋常じゃないことです。
私はイジメが始まった後、世界中に味方が一人もいない状況で毎日神様に助けて欲しいと祈っていましたが、それがエスカレートして涜神恐怖というものになりました。
症状は自分の意志に反して神様を冒涜する言葉やイメージが頭に浮かんでしまう
→「ごめんなさい」「許してください」などと手を合わせて唱えたりお辞儀や土下座などをしたりという懺悔の行為がやめられない
というものです。
この他にも「よく分からないが今の視線や動作は神様を冒涜している気がする」とか「歩数が不吉な数字だったから歩き直す」とか「今頭の中で目を潰してくださいと祈ってしまったから『嘘ですやめてください』と打ち消す祈りをやらなきゃ」とか意味不明なバリエーションがたくさんありました。
別に宗教やスピリチュアルを信じていたわけではないんですが、幼少期に聖書を読破して知識が無駄にあるのが裏目に出たようです(?)
自分でも支離滅裂なのは分かっているんですが、何をしていても儀式をしなければという恐怖から逃れられず、その所要時間は一日の半分近くにのぼっていたと思います。
食事や入浴も数分ごとに中断して懺悔。睡眠時間も削って夜中に何時間も懺悔。土下座のしすぎで額から流血。
これに加えて、音楽が致命的な打撃を受けました。元々私はテクニックはそんな大したことないけれど、曲にものすごく入り込んで感情移入し、表現のダイナミックさで芸術点を稼ぐ芸風だったんです。
それが、音楽を聴いても弾いても何の感情も湧かなくなっていき、武器だった感情移入ができず全く曲に入り込めなくなっていきました。最初は明るい曲が弾けなくなって、それから全てダメになった。
謎儀式のおかげで練習量が減った上にこれなので、才能も努力も無効化された私は最弱、みるみるうちに転がり落ちていきます。
で自殺未遂して中学を中退。
全く死にたくはなかったんですが、誰か何かに死んで詫びなきゃいけない気がしたということは覚えています。
転校した公立中は「廊下に💩をして片付けない人がいると全校集会が開かれる」「壁からアスベストが発生していると書かれて塞いであるのに何度も穴が開けられる」「外で通りすがりの大人の知的障害者に群がり大声でからかう」といった最悪の民度。そんな所に強迫性障害が治っていない、いつでもどこでも毎分毎秒懺悔の祈りの奇行を繰り返す私が入ろうもんなら結果は...お察し。
高校受験はそれでもまだ受かると言われていた藝大付属を受けましたが不合格。それが1月下旬でした。
他の音高の出願はもう間に合わないし、泣く暇もなく落ちたその日の東京のホテルで普通科の勉強に切り替えたのを覚えています。
たまたま家から近くて校則がゆるかったのが偏差値73くらいの進学校だったので1ヵ月半ガチって滑り込みました。
10代後半は、人生を捧げていた演奏家の夢がみるみる潰えていくのをただ呆然と眺めていた記憶しかありません。
なんとか以前の感覚を取り戻そうと努力はしたし、いつまででも諦めず粘り続けるつもりでしたが、私が諦めるより先に周りの大人が私を諦め、続ける費用を打ち切られたことで終止符を打たれます。
そして失意のうちに高卒引きこもりニートに。
それでもギリギリ進学校の高卒になれたのは、幼少期から徹底した「絶対に最低限しか勉強したくない」という強い意志の上で磨いてきた一夜漬けスキルのお陰です。
地頭が良くて授業だけ聞けば分かるとかではなく(まず授業も聞いてない)、ガチで1日で伸びるタイプで、一度日付を間違えて一夜漬けをし損なったら順位が200番下がった(400人中)ことがあります。
高卒後は一応親の手前予備校に在籍しましたが、行きたい大学も全然なく、遊びに行ってるようなもので痴情の縺れにより3ヵ月で退学。
そんな感じだったのでニート2年目は親がブチ切れてあの悪名高い北朝鮮予備校に投獄されます。わざわざ家から遠いのに一番厳しくて一番ボロい寮を選んで。
北朝鮮予備校の寮は部屋が四畳あるかないかで、あるものといえば小学校にあるタイプのガタついた机だけ。お風呂もトイレも洗面所も共同です。
壁が薄くて暖房も冷房も意味をなさず、雨が降ればシミが浮き出てくる。隣の人の咳まで聞こえるし、夜中にトイレに行こうものなら流す音で階全員を起こしてしまうので、申し訳なくて膀胱炎になったくらいです。
スマホは没収でネットもテレビも新聞もなく、外界の情報から完全に遮断された軟禁状態。毎週部屋のチェックがあり、他の人の部屋に入るのも禁止。門限は18時、破ると一発で退寮処分。
毎日2回大声でスローガンを唱和し、洗脳された結果通学時間も惜しくなった寮生たちは歩くことなく毎日全速力で走って登下校します。
寮生は強制自習時間が平日は4時間、休日は7時間あります。
継続的に勉強した経験があまりにも皆無すぎて、その4時間を真面目にやるようになったら1ヵ月と持たず手が腱鞘炎になり、常に湿布まみれで肩や腰に来て寝返りも辛い状態に。
秋頃にはあまりの辛さに発狂して授業からそのまま寮に帰らず、着の身着のまま新幹線で脱北し、実家に匿ってもらっていましたが度重なる電話によって親も洗脳されてしまい再び拉致されるなどしていました。
そうして8ヵ月の受験勉強で臨んだセンターが98%と奇跡の出来だったので、上から順に受けてみようとなり理IIIに特攻。
中受からそうでしたが模試は基本的に受けていませんでした。短期集中型の私が一番伸びるのは最後の模試が終わった後なので意味がないからです。
しかしセンター後にインフルエンザでダウンし、まさかの直前期に伸びられなくなり二次で死亡。元々が一日で数百人抜く計算でやっているので、その時期が一日でも削られると致命的です。結局後期の医科歯科に落ち着きました。
医科歯科はセンター+面接+小論文なのであまり準備しなくてもいけたんですが、受かった後の同級生みんな「圧迫面接怖かった」と言っているのに、私はアスペすぎてどの辺で圧迫されたのか最後まで気付かずドヤ顔で喋り続けて受かったので選別方法が間違ってると思います。
大学から一人暮らしでしたが、あまりにも箱入りというか幽閉というか...な育ちすぎて、「タイツが伝染した」「洗剤が切れた」みたいな時の対処法すら分からず家に電話するレベルでした。売ってある場所と値段の相場を知らないので、一体何万かかるのか??と焦るんですよね...
ネット禁止されてたからググる方法も分からないし。
お米を炊くのも洗濯機を回すのも初めてでした。
でもそれより何より、生まれて初めて与えられた自由!
とりあえずまずは人生初のコンビニのスナック菓子やカップラーメンを食べて感動しました。カップ麺の作り方もその時まで知らなかったです。
その中でも特に実家でネットを一切禁止されており、ググる方法もあやふや、YouTubeの存在も知らない、という状態から初めてパソコンを手にした喜びに溺れ、ゲーム廃人となりオンラインカジノでワールドランキングを争う日々。
徹夜に次ぐ徹夜、出れない一限、留年チキンレースの幕開けです。
あらゆる手を尽くしても出席日数が足りず、「磁気不良で学生証をタッチしても反応しなかった」という言い訳がしたくて磁気を破壊しようと学生証をレンジでチンして、焦げてしまいバレたことがあります。
基本は一つ落単したら留年なんですが、私一人のために幻の再々試が出現したり…
いざという時のために常に土下座と賄賂の準備はできていました。
国試はビデオ講座や予備校のテキストを一切使わず、例によって模試も一度も受けませんでしたがセーフでした。
そのまま初期研修医になりましたが、治安の悪さで有名な地域にお金欲しさで行ったのが間違い。肉体的なグロは平気なんですが、なんというか社会的グロというか...社会の底辺、人間の闇、この世の深淵の吹き溜まり。
生活保護やホームレスの患者は当たり前に多かったですし、逮捕されて警官付き添いで手錠を嵌められたまま来る人とかもいました。子供や高齢者の虐待案件は日常。一番エグかったのはトイレで14歳の女の子が出産して、父親は知的障害を持つ兄だった、産まれた子は事情を内緒で養子に...というケースです。
どこにも救いがなく生きる希望なんて全く持っていない、死にたい人たちを無理やり生かす仕事を毎日していました。
同じ病院の医者もちょっと民度低い感じで、裏で患者の悪口言いまくり、特に精神疾患のある人をプシコ、プシコと馬鹿にして笑っていました。(精神科案件→psychology→そのまま読んでプシコという蔑称)
1年目の6月の時点で既に鬱になり、ドクターストップがかかっていたにもかかわらず1年近く働き続けた結果、発狂して精神科に医療保護入院(本人の同意がいらない入院、要するに強制送還)することに。
意識がなくなる注射を打たれ、起きたら手足と胴をベッドに縛り付けられ尿カテが入っているという恐怖体験をしました。
動けないので食事も毎回看護師さんのアーン♡だし、トイレ(大)はオムツです。
そして研修後年収2500万の内定が決まっていたのをやむなく辞退。
どのくらい縛られていたのか、一週間〜二週間だったかと思うんですが、その間ずっと身動きも取れず隔離室で天井を眺め続けていました。
拘束が解けてからびっくりしたのはたった2週間で歩けなくなっていたことです。歩こうとしたらよろけて、ヨボヨボの老人のような歩幅とスピードで捕まり歩き。人間の筋肉ってほんなに早く劣化するんだ...と衝撃でした。
拘束の次は隔離室、外から鍵がかかっている個室に入り物は全て没収です。自分で持ち込んだ物はもちろん、元々あった時計とか椅子まで全部没収されて文字通り何もない部屋にずっと一人。
隔離室でも大人しくしていれば持ち込みできる物が段々増えていくんですが、家具が戻った後、暇潰しとしてはスマホより先にまず紙の本が与えられます。持ってきていないので精神科のロビーに置いてあるやつ。
そのチョイスが、「ノルウェイの森」「卒業(東野圭吾)」「ソロモンの偽証(宮部みゆき)」「ブラックジャックによろしく(精神科編)」
...いや人死にすぎだし自殺率高すぎん??
たぶん患者が持ってきてロビーに置いて帰るから病んだ本ばかりになるんだろうと思ってますが、どうなんでしょう。
隔離室から出ると2ヵ月ぶりにスマホが与えられ、失踪以来の友人知人に連絡を入れる。
この時点で部屋の鍵がなくなり、病棟内を自由に移動できるようになります。
最初は二人部屋だったんですが、もう一人が独りで一日中ずーっとブツブツ謎の呪文を唱えていて怖かったです。単語は日本語なのに全然日本語じゃないの。看護師にチクったら次の日いなくなっていました。
行動制限がなくなりスマホも手に入ったらもうこっちのもんで、しばらく仕事も家事もしなくていい天国の暮らしをダラダラと送って、合計4ヵ月で退院。ちなみに診断は双極性障害の躁鬱混合状態でした。
退院した後もしばらく寝たきりニートでした。どのくらい寝たきりかというと、徒歩1分のコンビニまで行けなくて食糧を毎日ウーバーしていたレベルです。お金ではなく気力がなくて各種支払いをできず、電気や水道が止まったり、携帯が止まったけどスマホを見る気力もなかったので止まったことにしばらく気がつかない、という感じでした。
美容整形は大学生の頃から始めました。バイト三つ掛け持ちして週8とか9で働いて、月30万くらい稼いでそれを全部永久脱毛に使う、みたいなことをしたのが始まりでした。
全身永久脱毛10回、ホクロ除去4個、歯科矯正(全体ワイヤー1回、部分マウスピース1回)、二重全切開、上眼瞼脱脂、目頭切開2回、タレ目形成、涙袋ヒアルロン酸、タレ目ボトックス、鼻プロテーゼ、鼻尖形成、耳介軟骨移植、鼻翼縮小、鼻柱下降、鼻骨削り、頬と顎の脂肪吸引、糸リフト8本、エラボトックス、人中ボトックス、口角ボトックス、額ヒアルロン酸、唇ヒアルロン酸で約400万です。
整形経験者が見ればわかると思うんですが、キャンペーンとか使いまくって破格の安さに抑えています。
整形の効果はそれなりに感じていますが、まだ完璧ではないのでまたやると思います。
学生の頃、3回くらいしか会ってないのに「君は整形依存になるタイプだから気をつけて」と言い当てた形成外科の教授はすごいなと思います。
銀座のクラブで働いたのは正直、面白いから...というとあれですけど、もうどうせ正規のレールから逸れまくったなら、中途半端に医師免許にぶら下がらず全く違うことをやってみよう、という躁の勢いでした。
この時点で整形は既にしていたんですが、高級クラブどころか中級クラブも門前払い。お店の紹介を頼んだスカウトさんに、「君は顔のこことここを治さないと、正直銀座のクラブはきついと思う」とハッキリ指摘を受けます。
その指摘された箇所が元々やりたかった整形と完全に一致していたため、自分の美的感覚に自信を持てて、やるなら今だ!とさらに100万課金。整形前に落ちた所より遥かに格上の老舗高級クラブに受かることができました。
で数ヵ月働いています。楽しいことも大変なこともあるけど、客層がいいぶん医者よりマシかな...と思っています。