体育館にて太鼓の音が鳴り響く。そんな中で、ある一人の男がもがき苦しんでいた。まるで水に溺れ、必死に助けを求めるように両手を振り、かくかくと不気味に首を傾け、その様子はおぞましいとさえ見えた。
太鼓の音が鳴り響く。そんな中、総司はもがき苦しむ男の姿を眺めていた。じっと、無感情に、男を助けようとする様子は微塵もない。
何故なら男はもがき苦しんでいるのではなく、踊っているのだから。
「ハッ!」
ヘンテコな決めポーズと共に男は踊りを終える。そして男は総司と先程まで太鼓を叩いていた少女に不敵な笑みを浮かべた。
「良い仕上がりだろ?」
一体、何を言っているのだろうか。総司は咄嗟にその言葉に返事を返せなかった。
しかし、もう一人は総司とは違った。
「うそつき!また私に嘘をっ!嘘を吐きましたねっ!」
両手を下にブンブンと振りながら、怒り心頭の様子で怒鳴る少女は藤原千花。ここに総司を連れてきた張本人である。
「嘘って何だよ」
そして心底不思議そうに千花を見るこの男は白銀御行。先程まで千花が叩いた太鼓の音に合わせてもがき苦しんで…ではなく、踊っていた張本人である。
「踊りに苦手意識はないって言ったでしょ!?」
「別に苦手意識なんてないぞ」
「うそっ!こんなのはコンプレックスであるべきです!ちゃんと劣等感を感じてください!」
凄い。あの千花がツッコミ役をしている。それと白銀相手に。
謎の感動を覚える総司。二人の会話から蚊帳の外だったが、千花が総司の方へと勢い良く振り向いた。
「総司君はどう思いますか!?」
「はい?」
「会長の踊りですよ!」
「いや、どうも何も…、あれは踊りじゃないだろう?」
「総司!?」
先程の白銀の踊りについて千花が聞いてくるが、どうも何も総司は先程のあれを踊りとはどうしても捉えられなかった。
食い下がろうとする白銀だが千花に止められ、その千花は総司に続きを促す。
「なあ白銀。どうやったら水のない所で溺れられるんだ?」
「どういう意味だ!?」
「苦しそうに一生懸命俺達に助け求めてたじゃん」
「求めてない!」
何と、白銀は溺れていなかったらしい。どう見ても溺れて助けを求めている様にしか見えなかったのだが。
「会長。私は悪魔払いをするエクソシストの気分でした」
「ソーラン節を踊ってたんだが!?」
「ですから、あれはソーラン節じゃないんです!踊りですらない何かなんです!」
ちなみに何故白銀がもがき…じゃなく、よさこいを踊っていたのかというと、もうすぐ行われる体育祭にて白銀、総司達二年生はソーラン節を踊る事となっているからだ。
それを知った千花は何故か不安がりだし、白銀を呼んで踊らせてみた所、こうなったという訳である。
更に聞けば、春頃のバレーの授業の時、全校集会で歌う校歌も白銀は上手くできず、歌えず、千花に特訓をつけてもらったらしい。
それを聞いた総司は納得した。何故なら、自棄に二人の特訓に入る流れがスムーズすぎると感じたからだ。
そう、白銀のソーラン節の特訓がこの瞬間、始まったのである。白銀がもがき苦しむ様を見た、おにと書かれたハチマキを額に巻いた千花が一喝する。
そしてその光景を体育座りで眺める総司。もう黙って帰ろうかと何度思った事か。
その後も特訓は続き、日を跨ぎ、何故か特訓が行われる度にその場には総司の姿があった。
時折千花や白銀に意見を求められるだけで居ても居なくても変わらないと思いつつ、二人の真剣さに口を挟めない、そんな日々が続いたある日の事だった。
「どうだ?俺的には及第点かなって思うんだけど」
一曲踊り終えた白銀が監督する千花に問い掛ける。
そう、踊り終えたのだ。断じてもがき苦しみ終えた訳ではない。何度でも言おう。白銀は踊り終えたのだ。
(何だろう…。この胸に込み上げる感動は)
初めのあの溺れている様にしか見えない踊り(?)から、白銀は急激に成長を遂げた。その姿を見続けてきた総司の胸は熱くなっていた。
人の成長というのは、ここまで感動するものなのだと、この時総司は実感したのだ。
「まだまだです!一応人に見せても腰を抜かすような下手さではなくなりましたが、点数をつけるとしたら四十点といったところです」
しかし千花はまだ納得いってない様子。
これが音楽の分野だからだろうか、ここまで千花が真剣になる所を総司は見た事がなかった。
「いいですか?ソーラン節はニシン漁の鰊場作業唄や沖上の動作が元となっています。その中に込めた大漁への願い…。海に生きる男達の美しさ、逞しさを動きで表現しなければならないんです!」
さすがは音楽の分野で天才と言われた事だけはある。その説得力は総司ですら気圧されるものであった。
「良いですか会長!引っ張られる網の気持ちを理解してください!そうすれば網を引く男を表現できる筈です!」
「網の気持ちなんてわかんねーよ!」
しかし実際に言葉を向けられてる方としては堪ったものではないだろう。総司ですら千花の表現論についてけなくなっていたのだ。千花の教えを受け数日で普通のソーラン節が踊れる様になった白銀の音楽センスでは千花の表現論を理解するのはまず不可能だろう。
「なら、実際に網の立場になってみればいんじゃね?」
「は!?どうやって!?」
「海に舟出して、海に白銀落としてから引き上げるんだよ」
「!それは良い案です!早速今日行きまし「行かねぇよ!?」」
まあ総司自身本気で言った訳ではないし、白銀もそれを悟ってはいたのだが…。千花の食い付きが思いの外良すぎたせいで本気で白銀は総司の案を拒絶した。
「もう!そんな事じゃプロダンサーにはなれませんよ!」
「何でいつの間に目標がプロになってんだよ!俺は体育祭で恥かかない程度で問題ないんだよ!」
「おーい、二人とも落ち着けー」
「大体体育祭の集団ダンスで表現とかそういうレベルのものは必要ないだろ。そこそこ形になってれば…」
「…」
まずい。確かにぶっちゃけ、総司も体育祭の集団ダンスにそこまで高いレベルを要求するのはどうかと思っている。
しかし、千花にそんな事を言えばどうなるか。
「あーもう限界です!!毎度毎度何で私が会長みたいなポンコツのお世話しなきゃなんですか!!」
結果、藤原火山が噴火する。
それもそうだろう。音楽家に喧嘩売ってるも同然の台詞だ。さすがに総司も庇えない。
「もう二度とやりませんから!何かあっても私を頼らないでくださいね!」
「あ、ちょっ、引っ張るな。転ぶ、転ぶ」
憤慨したまま千花は総司の手を引いて部屋を出ていく。総司は引っ掛かりそうになる両足の位置を調節しながら、千花に手を引かれたまま少しの間歩き続ける。
「千花」
白銀を置いて部屋を出てから十数秒、総司は千花の手を掴んだままその場に立ち止まる。千花は総司の手を引けなくなり、同じ様にその場で立ち止まる。
「…総司君もそう思いますか?」
「ん?」
「会長と同じ様に…。体育祭のソーラン節に表現は必要ないって…」
涙で瞳を潤ませながら、千花は総司を見上げる。
やはり、千花は先程の白銀の台詞に相当ダメージを受けたらしい。それでも泣くほどとは。それ程、千花は音楽を愛しているという事なのだろう。
「…まあ、惰性で踊るのはどうかとは思う。ただ、千花は白銀に求めすぎだとも思う」
「そう、でしょうか…」
「よく考えろよ。スタートが例のあれの奴があそこまで踊れる様になったんだぞ?十分じゃないか?」
「…ぷふ」
落ち込んでた千花が不意に吹き出す。あの白銀のもがく様を思い出したのだろう。目の当たりにした時点では恐怖しか感じなかったあれも、今では笑い話に出来るまでになった。白銀には悪いが。
「でも、まだ出来ると思ってしまうんです」
「…」
「それは、会長への押し付けなんでしょうか…」
千花はピアノの天才と呼ばれていた。全国大会で多くの年上学生を抑えて最優秀賞をとった経歴もある。
そんな彼女だからこそ、白銀の感覚は解らないのだろう。音楽の天才には音楽の凡才の感覚は解らない。
まあ、白銀は凡才以下だと思うが。あの踊り(?)は酷すぎた。
「今頃、白銀は一人で練習してると思うぞ」
「え?」
千花にあんな事を言い放ってしまった白銀だが、今頃千花を怒らせた事を気に病みながら練習しているだろうと総司は考えていた。
白銀は元来心根が優しい男である。あのかぐやが惹かれる程に。
「…総司君、私もう一回行ってきます。ついてきてくれますか?」
「おう。白銀に引き揚げられる網の気持ちってのを教えてやれ」
「はいっ!」
意気込む千花と共に元来た廊下を戻る総司。しかし先程までいた室内に白銀の姿はなく、それなら生徒会室にいるのでは、と思った二人はすぐに生徒会室へと向かう。
「先程の男度胸なら~の部分ですが、胸はこう張って…腰はここまで落とした方が格好の良い形になります」
しかして、二人の予想通り白銀は生徒会室にいた。総司の言葉通り、ソーラン節の練習を続けていた。
ただ、かぐやがそこにいて、白銀にソーラン節を教えているという点のみ、総司の予想から外れていたが。
「…」
「…」
感情をなくした瞳で白銀とかぐやを眺める千花。そんな千花を苦笑しながら見る総司。
これはいけない。
総司は今すぐここから逃げ出したい衝動に駆られた。
「え?え?ちょっとちょっと?これどういう事ですか?教えてもらってるんですか?踊りを?」
折角良くなった機嫌が再び急降下。
「かぐやさんは舞踏やってましたもんねぇ~!かぐやさんに教わるのは正解ですよ~?…さあ、続きをどうぞ」
本来、作業をする白銀が座る椅子に腰を下ろし、両足を組み、頬杖を突く千花。
「…白銀、お前、良い政治家になれるぞ」
「いや、意味が解らないんだが…」
まあこんな事を言っている総司だが、実際に白銀が意図してかぐやに教えてもらってるとは思っていない。
恐らく特訓を再開したところに偶然かぐやが来て、教えてもらう流れになった、といった所だろう。
しかしそれを今の千花が悟れる筈もなく。千花は自身の音楽に対する考えとは真逆の考えを以て白銀を教授するかぐやと衝突する。
「私の教え方の方が…会長の未来を考えてるのに…。ここまで教えてきたのは私なのにぃ…」
まるで子を盗られた母親の様である。かぐやと白銀の二人を見ながらえぐえぐと涙を流す千花。
その後も千花とは真逆の音楽感を白銀に植えつけていくかぐや。
「ちがうううううううううううう!!!」
遂に千花が爆発した。涙を流しながらかぐやの考えは違うと熱弁する。
そして千花は白銀へと歩み寄り、白銀の左腕を掴むとぐいぐい引っ張り始めた。
「会長は私
「達?」
「何を訳の解らない事を言ってるの!今私が教えてるんです!」
千花の言葉に引っ掛かる点があったのは今は置いておいて、二人は白銀の左右の腕を握って引っ張り合いを始めてしまった。
「いたいいたいいたいいたいいたいいたい!!!そ、総司!助けてくれ!!!」
「え?え…と」
当然、引っ張られる白銀の体には激痛が奔る。そして近くにいる総司に助けを求めるのも当然の流れだ。
しかし総司としてはこの中に飛び込むのはめんど…もとい気が引けた。ここで無理に二人を止めても恐らく千花とかぐやの間に確執が残るだろう。
それならば思う存分やらせた方が今は良いのではなかろうか。
「…おい白銀。今なら解るんじゃないか?」
「な、何が!?」
「引き揚げられる網の気持ち」
「そ、そんなの解るはずが…っ!?」
白銀の目が何かに気付いたかのように見開いた。
(え?解ったの?そんな馬鹿な)
先程の総司の台詞は適当に考えた誤魔化すためのものである。本気でこの状況で白銀が引き揚げられる網の気持ちを理解できるなんて思っていなかった。
しかし、今の白銀の反応は──────
「はぁ…はぁ…」
「…はぁ…」
白銀を巡った争いは十数分を要した。
そして、この時間の中で白銀は。
「ふっ!」
「な、何てソーラン節!!」
引き揚げられる網の気持ちを理解したのだった。
「ありがとう総司。お前があそこでアドバイスをくれたお陰だ」
「…そうか。それは良かった」
「え?総司君、何かしたんですか?」
笑顔でお礼を言ってくる白銀に良心が痛む総司。
それと同時に、実はこの男、音楽の天才なのではないだろうか、と最初の印象が揺らぎ出したのだった。
原作の話とほとんど変わってませんけど…、会長の踊りを見た総司を書きたかったんや…