トップスターは別として、ほとんどのジュニアの子達は普通に学校に通いながらレッスンを続けていることと思う。そういった生活の中で、彼らは犠牲にしなければならないことに少なからず直面していると思う。
少なくとも、私はそうだった。
私は当時六大学付属の中学校に通っていた。オーディションの通知が来たときは嬉しくて学校に見せびらかしに行ったものだ。まさか受かるとも思っていなかったので、誰彼ともなく見せびらかしていた。
ところが、合格してしまった。もちろん飛び上がるほど嬉しかったが、同時に大きな岐路にも立たされてしまったのだ。
当時通っていた中学は、芸能活動の一切が禁止されていた。私自身は、迷うことなく公立への転校を即座に決意した。しかし、家族(唯一母親だけは賛成してくれた)や担任は当然のごとく反対した。そのまま行けば、たいした苦労もなく名のある大学まで進むことができるので、それを投げ出すなんて、と。しかし、私は「高校や大学なんて勉強さえすれば後になってもいつでもいける。しかしジャニーズには人生に一度しかチャンスは来ない」と頑として聞く耳を持たなかった。そうして押し問答が続いているうちに、最終的には「せめて中学だけは」という意見を私が飲む形で、話をつけた。
しかし、私にとってその譲歩は大きな苦悩だった。その時私は中学2年の終わり頃。つまり、あと1年はレッスン以外の一切の芸能活動を禁止される条件をつけられていたのだ。以前にも書いたが、ジャニーズでの成功には運を逃さないことが最も欠かせない条件だ。レッスンなどいくらしていても目の前にある仕事を見逃さなければいけない重圧は耐え難いものがあった。私はとにかくレッスンに没頭するしかなかった。
初めての仕事は中3の末にようやくやってきた。すでに私は自由な都立高校に進学することを決めており、夢をいっぱいに膨らませていた。しかし、本当の苦悩はここからやってくることを当時の私は知る由もなかった。
つづく
少なくとも、私はそうだった。
私は当時六大学付属の中学校に通っていた。オーディションの通知が来たときは嬉しくて学校に見せびらかしに行ったものだ。まさか受かるとも思っていなかったので、誰彼ともなく見せびらかしていた。
ところが、合格してしまった。もちろん飛び上がるほど嬉しかったが、同時に大きな岐路にも立たされてしまったのだ。
当時通っていた中学は、芸能活動の一切が禁止されていた。私自身は、迷うことなく公立への転校を即座に決意した。しかし、家族(唯一母親だけは賛成してくれた)や担任は当然のごとく反対した。そのまま行けば、たいした苦労もなく名のある大学まで進むことができるので、それを投げ出すなんて、と。しかし、私は「高校や大学なんて勉強さえすれば後になってもいつでもいける。しかしジャニーズには人生に一度しかチャンスは来ない」と頑として聞く耳を持たなかった。そうして押し問答が続いているうちに、最終的には「せめて中学だけは」という意見を私が飲む形で、話をつけた。
しかし、私にとってその譲歩は大きな苦悩だった。その時私は中学2年の終わり頃。つまり、あと1年はレッスン以外の一切の芸能活動を禁止される条件をつけられていたのだ。以前にも書いたが、ジャニーズでの成功には運を逃さないことが最も欠かせない条件だ。レッスンなどいくらしていても目の前にある仕事を見逃さなければいけない重圧は耐え難いものがあった。私はとにかくレッスンに没頭するしかなかった。
初めての仕事は中3の末にようやくやってきた。すでに私は自由な都立高校に進学することを決めており、夢をいっぱいに膨らませていた。しかし、本当の苦悩はここからやってくることを当時の私は知る由もなかった。
つづく
興味深いブログに出会えてラッキーです☆これからも覗かせてもらいますね。
それにしても理解のあるお母さまですね
ちなみに元カレが、元ジュニアでしたよ