Cueva de El Castillo

 

モニがクロマニヨン人たちの洞窟の壁画を見に行こう、というのでカンタブリア州にでかけた。
アルタミラは人間の悪い息と湿気で絵が消えかかっているので非公開になっている。
特殊なルートを通じてお願いすれば見られるそうだったが、割と簡単に出来るたとえばルーヴル美術館の時間外絵をみながら散歩(わしは「鑑賞」ちゅうようなダッサイ言葉きらいでんねん)と異なって、えらいたいへんなので、やる気が起こらない。
いま見ると有名でないどころか日本語では何の記事もないみたいでぶっくらこいてしまったが、Cueva de  El Cstillo
の洞窟画を観に行くことにした。
アルタミラやラスコーがレプリカの公開だけになってからは、クロマニヨン人たちが残した洞窟壁画が観られるのは、この洞窟だけのはずである。(他にもあったら教えてね。観に行くから)
ラスコーやアルタミラの壁画と似たよーなのが、というのはつまり炭で描いたバイソンだとか牛さんだとか馬さんの顔だとか、鹿さんだとかの絵がいっぱいあります。
しかし、酸化鉄を吹き付けて印象した手のひらの陰影画が最も有名である。

欧州でもあんまり有名でないのは、多分、発掘が新しくて、まだどんどん発掘している最中だからでしょう。
カンタブリアの洞窟の発掘で(スペインでは)有名な
Hermilio Alcalde Rio
がこの洞窟をめっけたのは1903年だったが、それからなかなか発掘は進まず、というかやらず、いまのような一般の人間がアクセスできるようになったのは2008年です。
行ってみると判るが、1940年代、他の国が戦争をしているあいだじゅう戦争をしていないスペイン人はひまをこいていたので掘りまくっていたのにまだ半分も発掘が終わってない(^^;)

わしは初めアルタミラのレプリカ博物館でごまかしちまうべ、と思ったが、モニさんが、そんなんじゃ嫌だ、というので、結局、これに出かけた。
ビルバオからクルマで二時間くらいです。
バスクとの国境(くにざかい)を越えてカンタブリアの美しい海岸線を見ながら、しばらく海辺をドライブして、80キロくらい行ったところから内陸に向かって田舎道を走ります。
正午を40分くらいまわってしまったので、
途中でド田舎の町の、牛さんのかぐわしい糞の臭いのする(冗談でゆってるのではなくて、わしもモニもほんとうに牧場のマニュアの少し酸味がかった匂いが好きなのです。あんなに良い匂いて、世の中にあんまりないと思う)コーヒー屋で、件の巨大源氏パイとカフェ・コン・レチェで遅い朝食を食べた。
えっ、午後一時前なら昼飯じゃん、ばっかみてえー、と呟いた、そこのきみ、甘い。
この近在のスペイン人が午後1時前なんて殊勝な時間に昼飯たべるかよ。
この辺りでは昼ご飯は午後3時くらいに食べるものなのね。
夕飯は10時でごんす。
スペイン人は並の文明人とは根性が違うのだとゆわれている。

ガイドのスペイン青年と待ち合わせたのは午後1時だったので、その時間にはまだコーヒー屋でわしはでかい源氏パイをぱくついておってモニはパン・オ・ショコラを食べていたのは内緒で待ち合わせの時間に遅れちった遅れちったと考えながら洞窟の前にやってきてみると、スペイン青年はかっこよく探検ルックで決めて洞窟の前で待っているのであった。

洞窟画は、素晴らしかった。

どうしてあんな何も考えていない線がひけるのだろう。
というようなこともさることながら、(ははは、「さることながら」使ったぞ)
バイソンを描いては手のひらを(ガイドにーちゃんによれば)こちらに向けて酸化鉄を吹き付けて印象していったこのゲージツカたちは、何を意図していたのだろう?
あちこちに描かれたバイソンや雄牛や鹿の絵には、すべて、それに被せるように手のひらのネガティブがある。

もっとよくわかんねーなのは、何十と描かれたディスクで、ガイドにーちゃんは、「洞窟の案内システム」ではないか、とゆっていたが、しかし、ここで重要なことは入り口の研究員にーちゃんに確かめてもやはりクロマニヨン人は「数を数える」ということをしなかったはずで、数を数えない人間が、「ディスク」というような抽象的で単一な図柄をたくさん壁に描き込んでゆく、というのは極めて異常なことであると思われる。

わしはずっとクロマニヨン人たちはラスコーやアルタミラやカンタブリアの洞窟のなかで遊びとして絵を描いていたのに違いなくて、なあーにが「呪術」だよ、と思っていたが、呪術はセンスがなさすぎるにしても、遊び、というような言葉が代表あるいは指示できるものではなくて、あのひとたちは、もっとものすごく真剣な作業として絵を描いているのが洞窟の謂わば環境ごと絵を見ていると、どんなアホにも判るのであって、そのことにいちばん驚きました。

人間の宗教を求める心や芸術を求める気持ちというのは、どうも、われわれが教わったようなものではないようだ。
いまは、まだもっと時間がないとうまく表現できないが、どうも人間がもっている宗教や芸術というものの姿は根本的に間違っているように思います。
そんなことではなかったのだ、と考えました。

「あんなにめんどくさがっていたくせに、ガメのほうがコーフンしているではないか」とモニにからかわれながら、わしはもと来た海岸線をまたクルマをとばしてビルバオに戻ったが、帰りは、モニとクロマニヨン人たちの魂の不思議について話し合ったり、普遍や抽象という世界に人間が踏み出した理由をわれわれが誤解していたに違いないことについて考えたりして、あっというまについてしまった。

夕方は、また、Garcia Rivero Maisuarenへ歩いて行って、ピンチョスバーを梯子して歩いた。

チョリソを砕いてマヨネーズベースのソースと混ぜてみたり、ツナソースにアンチョビを載せて強烈で効果的なツイストをいれたり、口の中でハモンがはいったクリームとチーズがとろけるクロケタス、すなわち元祖コロッケをハモンの上に載せたり、辛みの利いたチリソースとチョリソをまぜて焼いたオムレツや、下から順番にどれも揚げ物のイカ、ししとう、タコと載せてつまようじでとめた無茶苦茶うまいピラミッド、小さくてさくさくパリパリした五穀パンにチリや他のスパイスをいれて練ったツナをはさんだピンチョス、ただ赤いチリペッパーと思って油断して食べたら途方もない辛さの唐辛子だった赤い物体を背負ったオムレツ、白アンチョビとオリーブを組み合わせたつまみ、脂身が多いハモンベジョータをはさんだシンプルなピンチョス、バスク人は、まことにピンチョスをつくる天才である。

ねーちんやおばちゃんと冗談をゆいながら、わっはっは、と笑っていると、河を遡航するカヤックやローイングボートを赤く照らしながら太陽が沈んでゆきます。

ピンチョスバーの通りをあとにして、ワインと一緒に食べる甘い物をいっぱい買って、モニとわしはニコニコしてホテルに戻ってきた。

清涼な空気があって、透明な青い空があって、おいしいものや、楽しい会話や、穏やかな天気さえあれば、愚かにも、不覚にも、おもいもかけず幸せになってしまう現生人類というパーな生き物の末裔として、玄関をはいってきたときには確かに深刻な顔でスクリーンをにらんでいたのに、満面に笑みをたたえてリセプションにもどってきたバカップル(モニとわしのことね)につられておもわず笑顔になってしまった、よく見れば人のよさそうなホテルマネージャーに「オラッ!ブエノスノーチェス!今日はなんて良い日だろう」と挨拶しながら、 モニとわしは、踊るような足取りで帰ってきた。

木の実やバイソンの肉を両腕いっぱいに抱えて洞窟の我が家に帰還する、クロマニヨン人の夫婦のように。

とても楽しい一日でした。

(画像は初めのはCueva de El Castilloを発掘するひとびと。二番目は日本語インターネット上にはないようなので気の毒なので彼への特別サービスで載せるHermilio Alcalde Rioの肖像、こういう髭の人てスペインていまでもおんねん、クールじゃ、わしもやりてえー、と思う。次のはクロマニヨン人おっちゃんたちが描いた鹿さん。洞窟内のオリジナルは当たり前だが撮影禁止なので、エントランスにある展示ですのい。残りはピンチョスだす。
初めのだけは文章に出てこないがむちゃむちゃうめー、パンコントマテにハモンをのっけったピンチョス、残りはほぼ文章に準じておる)



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