第2話 稲尾の屋敷

 夏。

 アブラゼミの大合唱が響き渡る駅前のベンチで、漆宮燈真しのみやとうまは白髪を風に揺らしながら座り込んでいた。ページを広げた文庫本に目を落とし、暑さから目を背けるように小さな文字列を目で追っていく。

 長旅を終えて降り立ったこの魅雲村みくもむらは、『村』というにはその規模が非常に大きく、人口は二万を超えている。

 山間部にある湖の沿岸部に作られた自然豊かな村で、高地ということもあって夏でも涼しい。風光明媚で温泉街もあることから、景勝地・避暑地としても機能するだろう。

 しかし、この村が有名になることはなさそうだと、燈真は本から顔を上げてそう思った。


「いらっしゃーい! 今なら二等級術師お手製の護符が大特価! 疾病退散無病息災、これ一つで今年は安全だよ!」

「日傘〜、日傘はいかがでしょう〜」

「かき氷一つ四〇〇円ね! おすすめはいちご味だよ!」


 ござに広げた護符の呼び込みをするのは提灯お化け、日傘の売り子は傘を擬人化したような……おそらく唐傘お化けの少女。かき氷を売っているのは若い一つ目小僧だ。

 燈真は我ながらすごいところに来たものだとため息をついた。


 魅雲村——ここは人口の七割が妖怪で構成される、妖の都である。

 人間でありながら——厳密には微かに妖怪の血が混じっており、それゆえに日本人でありながら白髪青目なのだが——ここに来た理由はいくつかある。

 その一つが最強の退魔師になるための修行、だった。


 電車を降りて少ししたら迎えにいくと、先方から連絡をもらっていたのでここで待っているが、そろそろくる頃だと思ってエレフォンを取り出した。

 ちょうど『もうすぐつく』というメールが届き、燈真は本をボディーバッグにしまって立ち上がる。

 差出人の名は、椿。母が昔世話になった家の娘である。娘といえど妖怪なので母よりずっと年上らしいが……。


 燈真はベンチから立ち上がった。駅のひさしから出て日光を手で遮りながら、遠くを見る。

 人類が悪化の一途を辿る地球環境の修繕のため、三十年ほど前に世界各地に埋め込んだ環境改善維持パイル〈フィヨルド〉は、この裡辺りへん地方にも一基、存在している。

 西暦二〇七五年、芽黎がれい二十七年現在、分け合って科学技術の水準は平成末期ほどにまで落とされているが、ごく一部はオーバーテクノロジー指定された技術が使用されていた。その最たるものがあのフィヨルドである。

 あの摩天楼めいた巨大な環境杭のおかげで地球の環境は改善されつつあり、五十度近い気温に陥ることも減っている。ここは高地なので元々その心配もないが、一昔前は異様だったのだ。


 と、目の前に一台の車が止まった。

 シルバーグレーの大きなSUVで、助手席の窓が開いて一人の少女が顔を出す。


「あんたが燈真でしょ? 私は椿姫。暑いんじゃない? 早く乗ってよ」

「ああ、ありがとう」


 手早く要件を伝えられた燈真は言われた通り後部座席のドアを開けて乗り込んだ。シートベルトをすると、運転席の栗色のボブカットの女性がアクセルを踏み込む。

 助手席側の子は白髪に、先端が紫色をした狐耳の妖狐だった。邪魔になるからか、尻尾はかなり縮小させて顕現させていたが、もふもふしたものが微かに座席の合間から覗いている。顔立ちからして燈真と同世代に見えたが、妖怪なので実年齢は計り知れない。

 運転手は化け狸の女性だ。外見は三十代半ばから四十路ほどか。落ち着いた大人という感じで、バックミラー越しに見える緑色の目も、柔らかく優しげだ。


「外、暑かったでしょう? 家に冷たい飲み物があるから」

「ありがとう……ございます」

「敬語なんていいのよ。余計なところに気を遣って修行に集中できないんじゃ大変でしょう? ああ、でも退魔局では敬語やなんかは大事ね。家族じゃなくて社会人の他人を相手にしてるわけだし」


 それはそうだ。燈真は「確かに」と頷いた。


「ああ——私は山囃子伊予やまばやしいよ。ご先祖様が山で腹太鼓を打ち鳴らしていたからとかって理由で、この苗字を授かったみたい」

「っていうことは、やっぱり狸の妖怪?」

「ええ。月白御前げっぱくごぜんと一緒にいたから、守鶴だなんて大仰な呼び名を明治くらいに付けられてね。あと、出身が伊予国だったから隠神刑部とも間違われたり」


 さすが妖怪、人生——否、妖生経験が時代を跨ぐのも普通らしい。


「どうせなら、分福とかのほうが可愛らしくてよかったわ。でしょう?」

「はあ……」


 車は中心街を離れ、田舎風景の川沿いを上がっていった。道脇にある喫茶店のような店を燈真が見ていると、椿姫がふふんと鼻を鳴らした。


「目敏いわね。あそこのモンブランは最高に美味しいのよ」

「モンブラン……嫌、俺はコーヒーが気になった。甘いもの苦手だし」

「え、女の子って別に甘いもの嫌いキャラ好むわけじゃないのよ」

「キャラ作りじゃない。義理の母親が……あの阿婆擦あばずれがやたらとゲロ甘いもんばっか出すから嫌いになったんだ」

「そういうことか……」


 十歳くらいの頃、父が再婚した。翌年には子供を産んでいたし、元々繋がりはあったのだろう。燈真はあの女を忌み嫌い、同時に義母も燈真を鼻つまみ者扱いしていた。

 ゲロみたいに甘いものを食わせてくるのが嫌で、燈真は自炊まで覚えたほどだ。決して上手い料理はできないが、それでも一人暮らしに困らないスキルは身についた。そういう意味では、いい反面教師である。

 そういった理由もあり、燈真は将来結婚するなら料理が上手い女性と心に決めていた。それ以外の家事は、ぶっちゃけ夫婦共同でどうとでもなる。ただ食事だけは本当に妥協したくなかった。


「つくわよ」


 椿姫が言った。車は山麓に入り、目の前には築地塀が現れる。センサーか、それとも何かの術か。門が自動で開き、車は中に入っていく。

 御影石のタイルに玉砂利が敷かれており、植えられた松の木は手入れが行き届いていた。ガレージのそばにも青々とした葉を茂らせる木が植えられている。燈真は植物は詳しくないので、わかりやすい葉の形をしていないと何が何だかさっぱりだ。


「木が気になるの? あれはね、ソメイヨシノよ。確か江戸の終わりくらいだったかしらね。この辺で腕利だったお侍さんが苗木をくれたのよ」

「エピソードが濃いなあ」


 伊予はふふ、と微笑んだ。


「妖怪的には、大正くらいまでなら『ああ、そういえばこの前』だなんて感じになるわよ。私は長生きだから、戦国時代までは『あー、大変なこともあったなあ』って感じだけど」

「ごめん混乱が増した。椿姫もそうなの?」

「ん? 私は平成生まれだからわかんない。今六十七歳だし、若いでしょ?」

「んあぁもっとわかんなくなった」


 車をガレージに停め、燈真たちは降りた。迎えに来る前に買い物もしていたらしく、伊予がエコバッグを後ろから取り出したのをみて燈真も手伝う。


「あら、ありがとう。どこかのお狐様も見習ってくれないかな〜」

「うぅ……汗かきたくなかったのに」


 渋々椿姫もエコバッグを肩に引っ提げた。合計四つ、うち二つを燈真が率先して持った。これから世話になるのだから、当然であると思ったのだ。


「ただいまー」

「お世話になります」

「みんな、燈真君よ」


 玄関と思って入ったら、土間だった。芽黎二十七年の現代では絶滅したとばかり思っていた光景である。

 しかしここから見える屋内は改装されていると見え、現代風な作り。時代のいいとこどりだ。

 燈真たちは水道で手洗いうがいを済ませ、炊事場に上がった。そこで荷物を置いてから、再び土間を挟んで居間に向かう。


「あんたの草履もあるから後で出してあげる。めんどくさいでしょ、いちいち靴履くの」

「助かる」


 居間の前の襖を開けた椿姫は、「まーた飲んでるなあ」とムッと頬を膨らませる。


「酔ってはおらん。第一、妾から……いや、妖怪から酒をとってはならんだろう? 古今東西の妖怪が酒を好く。常識だぞ」

「んなわけないでしょうが。ほら、燈真よ」

「漆宮燈真……です。お世話になります」


 長い座卓の上座に座る、見目麗しい女性。狐耳、九つに揺れ動く太く長い尻尾。椿姫と同じ、紫紺の目。豊かな乳房を覗かせる和服姿にも関わらず、健康的な魅力しか感じない不思議な雰囲気。

 圧倒的な——まだ教習期間を終え、五等級資格しか持っていない見習い退魔師の燈真でさえ感じる妖気でありながら、接しやすさも兼ね備えている。


浮奈うきなの子か。くっく、生意気そうな顔がなんともよう似ておる。よう来た。妾がこの家の主人、稲尾柊いなおひいらぎだ。またの名を月白御前という」


 月白御前——その名に、燈真はごくりと息を呑んだ。

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