高崎経済大学に何が?

2007-04-17 00:00:29 | 市民A
高崎市立高崎経済大学二年生の女子学生が(20)が、ゼミ担当教員准教授からの留年通告を受け、自殺したのは2007年1月15日。それから3ヶ月経ち、大学は、その担当の准教授の中路敬氏(38)を懲戒免職にし公表する(4月9日)。大学の説明では「大学院並みの厳しい課題を与え、ある課題ができないから即留年、とはおかしい」とのこと。

教員の懲戒処分について
 本学学生が平成19年1月に自殺した事件について、平成19年4月9日付で演習担当教員を、教育的配慮を欠いた指導を行い、また、教育公務員としてふさわしくない行為があったため、免職処分としました。
 併せて、同日付で学長及び経済学部長をそれぞれ、指導監督を怠ったとして減給処分としました。
 大学として、このような痛ましい事件が二度と起きないよう、教職員が身を引き締め一体となって、教育・研究環境の一層の改善を推進して参ります。
 平成19年4月13日 高崎経済大学長 木暮 至


さらに、留年通告メールを送って、学生からの「自殺を予感させるメール」を黙殺した行為も明らかになっている。一方、中路氏は、不当解雇として高崎市公平委員会に不服申し立てをすると言っているようだ。

この件は、准教授の氏名はジャーナリズム上で明らかにされていない。また、事件の細部が報道されていないのだが、「加害者の人権保護」という一環だと思っていたわけだ。そのため、よくあることだが加害者側に責の7割があり、被害者側に責の1割があり、まだ表に出ていない第二の加害者に責の2割があるような場合、加害者側の報道がなされない場合、被害者バッシングが起こるということになる。ネット上の意見など見ていると、先週はそういう被害者バッシングが行われていたが、事態が少しずつ明らかになるにつれ、「被害者の身勝手」→「加害者の過剰な厳しさ」→「教育を超えた異常な人格」→「採用した大学の管理責任」という方向に向い始めたようだ。どうも人名が表に出てこないのは、この変質性の部分にジャーナリズム側が病的なものを感じているからではないだろうか。

その前に、「准教授」という地位についてだが、教育基本法が変わり、「助教授」が廃止になって「准教授」になったことを、この事件で初めて知った人が多いようだが、一般的な教授コースである「助手→講師→助教授(准教授)→教授」が変わらなければ、呼称変更に深い意味があるのかどうかは、よくわからないし、深過ぎる意味が隠れているのかも知れないが、この話は本題と関係ないだろう。


まず、この中路氏の担当していたゼミだが、内容は「経済学」ではなく「経済学史」で、「基礎ゼミ」の一つだった。そして「基礎ゼミ」が「必修科目」だったそうだ。だから、単位が取れないと、この1科目だけのために留年になってしまうわけだ。そして、この学生の場合、そういう「この1単位だけのための留年」になりそうになっていたらしい。学生は「数ある基礎ゼミ」の中から1つを選び、10~20人程度の少人数教育を受けることになっていた。だから、勉強が嫌いな学生は、易しいゼミを選び、勉強が好きな学生は難しいゼミに挑戦することになっていた(まさか留年の危機があるとは知らず)。

そして、昨年6月に出題された「ゼミの課題」だが、報道されているのは、「アダム・スミスの行った重商主義批判の論点を説明するなど10題の中から5題を選んでリポートする」と「新聞社説10本の要約とそのコメント」というのだが、誰しも、「それくらいなら、まあ、なんとか時間もあるし、できるではないか。やはり女子学生が悪いのではないか」と思いそうである。

しかし、実際は、アダム・スミスは最も易しめの問題で、リカード、ワルラス、マルサス、マーシャル、ケインズ第一公準、第二公準、それに経済数学の問題などが並んでいたそうだ。

さらに、中路氏は、レポートに「ボールペンによる手書き」を指定し、「修正液使用禁止」とし、字が下手な場合、糾弾していたそうだ。「女」という字を書かせて、「字が崩れているから、性格も崩れている」とか「家畜」とか「ピンサロ嬢」とか口走っていたそうだ。しかも、レポートに欠陥があると、ペナルティとして、さらに追加の課題を出すということらしく、ほとんどの学生がついていけない状況だったようだ。大学側が大学院レベルの問題といったのは、准教授が「(どこかの)大学院入試問題を使った」と説明したかららしい。

しかし、38歳にもなって、どうしてこんな社会性の欠けた幼児の様な発想の准教授が存在するのだろうか、というのが疑問になる。第一、教えているのは「経済学」とは言い切れない「経済学史」である。私も、遥か以前に経済学を選考していたので、当然ながら経済学史のことは知っているし、上記の問題に対する解答は、およそわかるし、多くの経済学者の著書は日本語訳で読んでいる(准教授は、度々、引用の出所を原書中に求め、さらに留年メールも英語だったそうだ)。が、これらの諸学説というのは、社会科学の宿命として、A→B→C→・・・と発展していくものである(社会が発展するのではなく、経済学に新説が追加されるという意味)。だから、こんな経済学史などやらずに、サミュエルソンの経済学の教科書(大学生向け)を読めばすべて終わり、という考え方もある(もっとも、日本人には経済学者は一人もいなくて、すべて経済学史研究者だという厳しい考え方もある)。

そして、これらの多岐にわたる諸学説を理解するためには、マクロ経済やミクロ経済の大枠を理解してからの方がいいのだが、この大学では2年生の段階ではそれらについて教え切っていないそうである。つまり、基礎ゼミの内容は他の講義との体系性がとれてないわけだ。

さらに、注意深く課題を見てみると、この中に欠けている経済学者がいることがわかる。「マルクス」である。さらに、ケインズ以後の現代的な経済理論が含まれていない(教えていないかどうかは判らない)。

彼が前職の茨城大学助教授の時には、同様のゼミを3年生・4年生に行っていたのだが、その時に「経済学史」の重要性について記したコメントを見つけた。一般的には高崎経済大学よりも入学難易度が高いと思われる国立大学の3年・4年に行っていた講義をそのまま2年生に使いまわしたようなことではないだろうか。

経済学史 中路敬

 なぜ、経済学史を学ぶのでしょうか?21世紀に生きている私たちが、何十年・何百年も前に死んでしまった経済学者の主張に耳を傾けることなど、何の価値もないように思われます。しかし、経済学を知るためには、経済学史を学ぶことが、実は最も手っ取り早い方法といえるのです。
 数学や物理学とは異なり経済学には、たくさんの学派があり、これまで数え切れないほどの論争が繰り広げられ、現代においても論争がやむことはありません。言い換えれば、経済学はひとつではないのです。また、一見新しい経済学が生まれてきたかのように見えても、じつは、それは、何十年も前に主張されていたことの繰り返しだったり、ただ単に(難しそうな)数学で書き表しただけだったりと言うこともしばしばあります経済学史を学ぶことで、みせかけの新しい理論に振り回されなくて済むのです。つまり「経済学者にだまされない」というわけです。
 さらに経済学史を学ぶことで、経済学という宇宙の時空を超えて旅し、その世界全体を見渡せるわけですから、論争のいわば公平なレフェリーの役割を担えるということにもなります。経済学史の勉強は、まさに経済学の勉強の王道なのです(・・・と同時に、つねに正統派経済学を批判的に眺めるという意味では、ウラ街道を突っ走ることにもなります)。
 経済学史研究者が経済学者の中で一番エライというわけではありませんが、経済学史を知ろうとしない経済学者・理論家は、ほぼ間違いなく二流以下といってよいでしょう。経済学史を知ればこそ、新しい理論や思想の発展にもつながるのです。
 3年次ゼミでは、近代経済学もしくは古典派経済学に関する基本文献(ゼミ生と相談して決定します)を輪読し、討論することによって経済学・経済学史に関する理解を深めていきます。また、随時レポートを書く訓練もします。要するに「よく読み、よく考え、よく話し、よく書く」ゼミにしたいと思います。
 4年次の卒論ゼミでは、各自がもっとも関心を持った経済学者もしくは経済学派の理論・思想・政策論を取り上げ、卒論を作成します。卒論は、400字詰め原稿用紙50枚以上(手書き不可)で、基本的に日本語文献・邦訳のある文献を扱ってもらいますが、邦訳を使った場合でも原著のページの確認ぐらいはしてもらいます。


ここから、中路氏の経歴をなぞってみる。

まず、生まれは1969年1月。いわゆる団塊ジュニア世代は、狭義では1971年から1974年生まれとされるので、2年上である。大阪生まれだが、広島大学経済学部に修士課程まで在籍。その後、九州大学で博士過程を履修。経済学博士。九州大学で2年間の助手を務めた後、2001年に茨城大学准教授となる。

ここまでで、気がつくのは、どこかで3年余分に使っていることだ。団塊ジュニアと同じ舟に乗ることとなる。また、「留年させることなんて何とも思っていない」ということは自分の経験からなのかもしれない。冒頭に書いた、助手→講師→助教授というのが一般的とすれば、彼は、助手→助教授と一つ飛ばしている。これが旧帝大(九大)と旧二期校(茨大)の格差なのだろうか。

さらに、頭に入れておきたいのは、特に国立系の大学の経済学は過去に「マル系色」が強かったことだ。中路氏あるいは彼を指導した教授が、マル経にどれだけかかわっていたのかはまったくわからないが、ソ連崩壊は彼が20歳の時だ。

そして、問題の茨城大学在籍中の事件とは、「勤務時間中にスポーツジム通いが目に余った」「大学院生に対して、退学をうながした」ということだそうだ。一言でイメージを言えば、「自分に甘く、他人に厳しい」。よくわからないが、勤務20年のベテラン教授であれば、多少のサボりくらい許容されるのかもしれないが、まだ新米の内である。

その事件で停職3ヶ月の処分を受け、結局退職。たまたま、高崎市立高崎経済大学の公募に応じ、採用される。


そして、これから起こることが予想されるのが、大学の管理責任である。確かに、大きな大学でもないし、東京に近い関東の経済大学というのは、経営的に苦しいことが予想され、無傷の教授を集めるのには苦労するのかもしれないが、「経済学史」くらいなら非常勤で教えられる先生はゴマンといると思える。

また、言いたくはないが、今後の少子化の中で、大学が生き延びる経営基盤は、授業料だけではなく入学金、寄付金に頼らざるを得ないではないだろうか。それならば、留年など固いことをする意味などまったくないわけだ。どんどん学生の回転を上げる必要がある。超一流大学ではないのだから、自分の大学の評価は、卒業後の学生の活躍によって上げるというプロセスが重要なのである。大学生が楽しい気分で卒業しなければしょうがない。

さて、一旦、採用すると、なかなか解雇することができないのは日本の労働事情である。2006年に彼が採用された時の、基準やその経緯、そして採用後のチェック。また、一科目でも取れないと留年するという制度(他の大学でも、この手の制度はあって、学生・教官とも困っている)を放置していた責任は極めて重い。これから厳しく問題にすべきである。

しかも、未確認だが、この1年で本件以外、何人かの学生が自殺しているという情報も流れ始めているわけだ。

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