渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

のりもの

2023年08月19日 | open



ゴールドラッシュの前に既に
誕生していたのよね。

一方、日本は明治以降に電車
大国ともいわれる世界有数の
国となった。
1890年には上野で初めて電車
が走り、実用運行は1895年に
京都で開始された。
アメリカではまだピースメーカ
ーの無縁火薬仕様が登場してい
ない頃だ。
やがて東京市内などは東京市電
が縦横無尽に都内を走り、首都
のどこに行くにも路面電車が利
用できる先進都市となった。
これは1960年代末期まで続く。
地下鉄も昭和初期に上野浅草間
に開通した。

初めて実用化された京都の電車。


日本から消滅したのりもので、
トロリーバスという物がある。
横浜や東京池袋などで多く走っ
ていた。
これは、電気バスであり、路面
電車のような電線が路上高くに
あって、バスがそこから電気を
って軌道のない路面を走る。
排ガスゼロ。
あれはかなり環境的にも良かっ
たと思うが、結局、電線設置が
周辺建物再建築の邪魔になる等
の事情と自動車の普及によって
都市部から消滅した。
電気バスだが、法律上は無軌条
電車といって電車扱いだった。
私の小学生時代には横浜のトロ
リーには親しんだ。
丘の上の三ツ沢スタジアムでの
サッカーの試合の見学などはト
ロリーバスを使っていた。




1970年前後か。


今、日本全国でトロリーバスは
一箇所しか存在しない。立山黒
部の短距離を走る。
2025年に廃止予定。残念。

戦後、初めてのトラックバスの
キャブオーバー化と都バス・は
とバスの低床化を開発したのは
父だった。
日本のモーターリゼーションに
はそろりと貢献した人だった。
葬式もそろりとやる予定だった
が、物流運輸業界から300名程
が葬儀に参列してくれた。
今でも父が考案した機器は、現
役でほぼ全ての運送車両に装着
されている。それ無くば運行で
きない程の物流革命を起こし、
それは今でも重宝されて使用さ
れている。道を走ればそれを見
る。人々の安全と省力化を願っ
て作られた輸送車両の特装機器
だ。郵便局まで使っている。
父は大正時代に日本初の純国産
車を作った工学士の一番弟子だ
った。歴史には埋もれているが、
父が作った数々のモノは、現代
でも広く使われ、人々の暮らし
の向上に役立っている。

人の暮らしにのりものは欠かせ
ない。
人の暮らしはのりものと共にあ
る。
のりものはいい。
それは、人あってののりものだ
から。
のりものが主体ではなく、人が
主体。
人の為にいろいろ人が考え、作り、
それを使う。
そこ。
それがのりものの魅力であり、
使命でもある。
人不在で机上夢想だけで作られた
乗り物は人間疎外の表象でしか
ないので、人間を危険に晒す。
最近の「世界チャンピオンでも
転ぶオートバイ」という物など
はそれに当たるだろう。
人間という開発ライダーを廃止
してコンピュータデータのみで
二輪を作り始めてから、日本の
オートバイは世界最悪の危険
物体に成り下がった。
必ず転ぶ二輪車。
人も死ぬ。
そういうのは人間が乗るのりも
とはいえない。
ロボットでも乗せておけ、とい
う物でしかない。
机上でのみモノを作った開発者
たちが、それに乗って本気で走
らせてみればいい。
死ぬから。
そういうのは人の事を考えたモノ
ヅクリとはいえない。
人第一。物が先行してはならない。


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