https://blog.goo.ne.jp/0345525onodera/e/3a9cc907ca37c483e8563cb8771936bd
<転載開始>
「はだしのゲン」はなぜ教材から消えたのか、今週の「クロ現」でその背景に迫る
2023年7月31日 18:16 <label class="NA_popup_open" for="score_popup">258</label> 12
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原爆が投下された広島で暮らす少年が、戦中戦後の苦難な時代を生き抜こうとする「はだしのゲン」。累計発行部数は1000万以上にのぼり、世界各国で読み継がれてきた。2013年度からは広島市の平和教育副教材にも同作の一部が活用されていたが、それが2023年度より削除されたことで波紋が広がっているという。「クローズアップ現代」では「はだしのゲン」がなぜ教材から削除されたのか、情報公開請求で入手した膨大な改訂記録、議論に関わった市教育委の担当者や教員の証言から迫っていく。
管理人注:本日このテレビを見ましたが本質には予想通り一切触れていなかった。
以下は拙稿に寄せられたコメントです
フォロー⑥英国MAUD(ウラン爆発の軍事応用)委員会の会期中1940年4月10日ー1941年7月15日、天皇裕仁は英国の名誉職ではない正規軍のフィールドマーシャル(管理人注:英国陸軍元帥)
http://digital.nls.uk/british-military-lists/pageturner.cfm?id=88820098
ご丁寧にNHKがちゃんと放送しています。飛んできたのはエノラゲイのみでラジオゾンデを何個かパラシュートで落としています。放射能の記録装置なのですがちゃんと密約で日本軍が回収してくれているのです。エノラゲイを急遽爆弾倉つきの爆撃機にすることなどありえないことでしょう。
B29:エノラゲイ最後の乗組員の証言
広島原爆投下機、B29エノラゲイの乗組員で最後に生き残ったヴァン・カーク氏は、日本の取材AERAに対して気になる意味不明の言葉を残した。
その言葉とは「物事には諸説ある。一部は事実だし、真実でない情報も紛れ込んでいる。実際に何が起こったかの詳細は、あなた方は決してみつけられはしないさ」と・・・・。
これはB29-エノラゲイが広島に原爆を投下したのではない秘密の暗示だった。
当時の広島上空を飛んでいた紫電改のパイロット本田稔氏は言っています
http://datasea.seesaa.net/article/465501669.html
原爆について~閲覧注意
https://rakusen.exblog.jp/26284880/
映像は1953年5月25日米国での15キロトンの核爆発(広島と同じ規模)
羊,山羊を飼育する畜産民は,子羊が生まれると,一年以内に雄は種付け用を少し残し,後は殺して食べる。ごくわずかの雄を去勢して群れの先導役にさせる。それを人間支配の技術に転用するのが去勢の意味。シオン長老の議定書(プロトコール)第18議定書より
われわれが公衆の中から選んだ行政官たちは、奴隷のように従順な資質であるかどうかを厳しく監視され、支配技術に長けた人物にはさせないだろう。(シオン長老の議定書第2章)
これが人間支配のやり方。雄を去勢して群れの先導役=各国のリーダーの意味。ですから山本太郎議員のように安倍総理ばかり責めてはだめなのです。
スイスの国際赤十字が原爆患者に薬を与えようとするのを日本赤十字社が拒否するのである。私は次章でこの顛末を書き、彼らを、原爆患者に薬を与えるなと拒否した連中に、たった一人で天誅(てんちゅう)を下す。鬼塚英昭 原爆の秘密[国内篇] 第四章 悲しき記録、広島・長崎の惨禍を見よ 中p200-206より
1945年終戦時,皇居に人々は集まり泣いたことになっている....これは電通の仕組んだ事前に用意しておいた予定稿だったのです。泣いている連中はすべて金で買われたサクラ。8月15日を選んだ理由はカトリックの聖母被昇天。
『聖母被昇天の祝日に起きた主な出来事
イエズス会結成(1534年)
第1回十字軍中東エルサレムへ向け欧州から出発(1096年)
アスンシオン建設(1537年)
フランシスコ・ザビエルら、日本到着(1549年)
イエズス会が京都に建設した聖母被昇天教会、通称「都の南蛮寺」の献堂ミサが行われる(1576年)』Wiki
日本人は、原爆が核兵器ではなく、人の体と脳と遺伝子を代々破壊するために生活圏で行った生体核実験だったことを知らない。
<転載終了>
>原爆は1935年には今の北朝鮮の巨大な研究所で作られていました。
★ 核分裂反応を確認するだけの「実験装置」でしょ。
>それはどんどん改良されて1945年の時点では旅行カバンに入る大きさのものまでできました。しかし他国も遅ればせながら開発に邁進していましたが、
★ 旧ソ連製のスーツケース型核爆弾が、開発されたのは1970年代。理研の二号研究と海軍のF号研究以外に記録は残って居ません。
シベリアに抑留され、酷寒の中で、強制労働に従事させられる、同胞の待遇を良くする為に、大袈裟な作り話も、使わざるを得なかった、と思われます。
(続く)
genkimaru1
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