JAL123便 520人大虐殺!
1985年8月12日、JAL123便が群馬県多野郡上野村の山中ヘ墜落しました。 合掌
相模湾上空で自衛隊のミサイルがJAL123を誤射したことで、JAL123の後尾翼が破損したことを日本政府のトップが隠蔽するために、着陸提案を全て拒否しました。
eritokyo.jp/independent/ao
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事故の経緯は運輸安全委員会発行の下記資料をご覧下さい。
【運輸安全委員会】
mlit.go.jp/jtsb
【日本航空123便の御巣鷹山墜落事故に係る航空事故調査報告書についての解説】
mlit.go.jp/jtsb/kaisetsu/…
運輸安全委員会では日本航空123便が離陸後、後部圧力隔壁が損壊した事により胴体後部・垂直尾翼・操縦系統が損壊し、飛行性能低下と主操縦機能を喪失したため墜落に至ったと結論付けています。
本事故に関しては様々な『新説』、『陰謀論』が主張されていましたが、同時にそれらは専門家によって全て否定されています。
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