これまで、僕の最後は単にコンサートを降りる、と言ってジャニーさんの逆鱗に触れ、首になったとふわっと思っていました

でも、よ~く思い出してみると、そこに行くまでに様々な「段階」がありました

僕と、忍者のメンバーとの中では恐らくダントツに僕の方が合宿所に行ってます

そして、ジャニーさんと2人きりで仕事や目指す方向など何度も語ったものです

錦織君に憧れていましたから、僕もジャニーさんに積極的に舞台の話など教わったり、自分の意見を言ったりしてました

そういう環境の中で、ヤンヤンだって、合宿所で僕から直接ジャニーさんに「最近テレビの仕事がないから、なにかくれないっすか?」ってねだって、じゃあ、ヤンヤン出なよ、ってなった

その当時は、ジュニアの中ではジャニーさんと相当仲が良く、お互いの意思統一も出来ていた

だから、誰よりも早く、次にジャニーさんがデビューさせたいメンバーや、そのグループの方向性まで情報を得ていたんです

たとえば、えんちゃんは最初7人制男闘呼組だったし、序列的に、柳沢君、正木、僕、塩入、早藤、藤沢あたりはほぼ当確メンバーだったし、高木はその次の序列、他の2人は圏外だったはずです

江端たちは最初から別枠扱いだったし、守谷君は男闘呼組、木暮君、平本君、内海兄、といった、1966年組はまた別枠だった
ここの世代は少年隊やシブがき隊とかぶるので、ジャニーさんの頭の中では67年組は67年組、66年組は66年組でグループとしては同列だけど分類はしていました

だから、系列的「アイドル路線」としては、僕らか、66年組かしかなかったと言えます

そういう中で、どうやらジャニーさんは僕らを先に出したいという情報を、ジャニーさんから得ていました

情報と言っても、ジャニーさんの場合は日常会話の中での思いつきなので、僕は単に会話の中でアンテナを張っていただけです

それを、僕から塩入と早藤に話したんです。何かのリハーサル中に

それで、「それは嫌だね」となったんです。方向性が嫌だった

僕はとにかくキラキラ系を望んでいたので、和風バリバリなのは嫌だったんです

さらに、決定的だったのはそこに柳沢君が入ってきて(つまり66年組)、彼がリーダーとなる

もうそれはムリ、グループならリーダーは譲れない、そう思いました

そこのところを、合宿所で、ジャニーさんに談判すればよかった
これまでそうしていたように

たまたま、その時に限って電話で話をしてしまった

今大人になって考えれば、あまりにも無礼極まる方法です。ワガママにもほどがありました

それでクビになりますが、その時点ではまだ少年隊もデビューしてない

少年忍者が出るのはさらにその後です

まあ、ジャニーズですから、競争心はあるに越したことはないのですが、天狗だったとしか言いようがありません。

悔しいし、お恥ずかしい話ですね