誰が送ろうが、最初はその気が無かろうが、そのあと続いていたと言うことは、結局その気が無きゃ出来ません。
当時、僕には憧れていて、目指そうと思っていたアイドルがいました。田原俊彦さんです。
1年間の規制期間を終えた僕は、シブがき隊を皮切りに、トシちゃん、マッチさん、シブがき隊、そして少年隊のバックを出られるものは片っ端からやり(選べる立場では無いですが)、単発講演をこなしていくうちに、少年隊のツアーのメンバー(最初は大勢)にシフトされてゆきました。
いやなんたってトシちゃんの宝塚コンサートが最大の転機でしたよ
最も憧れる先輩の後ろでその他大勢でも踊れるんですから。それも由緒ある東京宝塚劇場!
あそこの大階段なんて、宝塚の人でも簡単に立てないのに、ひよっこの僕が立って、なんちゃってドキュメンタリーではぼんやり映ってる!
マッチさんの武道館も出させていただき、シブがき隊の新人賞やコンサートも出させていただき、東山君が加入した新制少年隊も本格稼働し始め、そのバックに自分がいる…
あの当時の環境で、これ以上無いですよ。憧れていた大先輩だけでなく、ほぼ全タレントのバックを矢継ぎ早にやらせていただけたんですから。つらいキツい難しいなんて、これっぽっちも思い出せない。とにかくこんなスターたちの一員に加われるということが何よりのモチベーションでした
その、憧れ段階の最大級のモチベーションとなったのが、3球コンサートでしたね
あのだだっ広さ、ドームもアリーナもメッセも無い時代、あれは異次元にいるみたいでしたね~
その頃からなんとなく「憧れ」だった先輩たちが「目標(ターゲット)」になり始めました
特に、少年隊のバックをやらせていただくようになった頃から、錦織君、東山君は無理だけど、植草君なら頑張り次第で抜けるんじゃないかな?という野心も芽生えて来ました
ただ、もう(ジャニーズ)少年隊というグループとして完成していたので、さすがに割って入るのは難しそうだけれども、当時直近のライバルだった連中は「イーグルス」(大沢、光司、宇治、シゲ)になってジュニア枠から外れていたので、この次の席は俺がもらった!見てろよ、1年間の屈辱を晴らしてくれるわ!というややねじ曲がったモチベーションに24時間包まれていました
平日は学校から帰ったら毎日特訓ですよ。レッスンの復習。自費でジャズダンススタジオに習いに行った話はここでは有名ですよね?(レベルが低すぎてすぐ辞めたアソコ)
他のジュニアで、う~んこの人は難敵だな…と思っていたのはやはり鈴木君。あの人は別格。他に印象に残っている先輩はと言うと、柳沢君。ちっちゃいけど完成に近かった。前田君。竹口君。平本君。中本君。守谷君(入ったのは僕が先かも?)、阿部君。木暮君。内海兄。田中。サッと顔と名前が一致するのはこんな感じで、当然他にも先輩はいました。でも、毎回は来なかったり、モチベーションが僕の方が高かったりで、実際の競争相手は先輩ではこんな感じ。同期以降は正木、江畑兄弟、塩入、早藤、藤沢、遠ちゃん、高木、ノブ、新井、そのくらいまでかな?以外とこのちょい上の先輩達があまりガツガツしてなかったので、僕はガンガン食い込んでいきましたよ
入ったばかりの頃は遙かとぉ~くに見えていたフロントセンターが、2年くらいで取れましたから
こんな感じのメンバー環境で、過去最高スキルの少年隊のバック。
バックのジュニアにここまで求めるか!と言う最初のアイドルだったのでは無いでしょうか
「THIS IS IT」に出てくるダンサー達。ものすごい数から選ばれた世界的スーパーパフォーマー。その彼らは、自分のダンス歴などマイケルの前では赤ん坊同然と思っていたと思います。でも、選ばれたからにはマイケルをもり立てるためのあらゆるパーツになりたい、マイケルが今の瞬間何を考えているか、リハーサルでしょっちゅう出すアドリブのキューだし(「下がり初めて!」とか「ここは僕をじっと見て!」などなどなど)にどんな状況でも対応押しようとする姿。これってまさに僕らの時代のジュニアの姿ですよ。少年隊を際立たせるためでありながら自分のパフォーマンスアピールでもある。
ご存じですか?あの映画の中で使われていたステイト・オブ・ショックという楽曲、劇中ではパフォーマーメインの時間に使われていました。あの曲は、毎週ジュニアが基礎練習をするときに毎回使われる曲なんです!ジュニアは全員あの曲から仕込まれていくのです
こうして、ジュニア達はあこがれの先輩が目標に変わり、次の舞台のメンバーに選ばれるかどうかの発表の度に、明暗が分かれるのです。だから落とされないように必死に日々努力する。目標の先輩に少しでも近づこうと知恵を絞る。先輩は技術を見せびらかすことで後輩にハッパをかける(気分はバカにしてるだけなんでしょうけど)。海外から伝わってくる新技は、体中に青あざ作りながらマスターに励む。
「出来ない」「無理」なんて誰も言ったこと無いと思います。
今のジュニア達には、こういう「誰の後ろで踊りたい」「誰の世界観に溶け込みたい」「そこからデビューにつなげたい」というようなモチベーションはあるんでしょうか??
当時、僕には憧れていて、目指そうと思っていたアイドルがいました。田原俊彦さんです。
1年間の規制期間を終えた僕は、シブがき隊を皮切りに、トシちゃん、マッチさん、シブがき隊、そして少年隊のバックを出られるものは片っ端からやり(選べる立場では無いですが)、単発講演をこなしていくうちに、少年隊のツアーのメンバー(最初は大勢)にシフトされてゆきました。
いやなんたってトシちゃんの宝塚コンサートが最大の転機でしたよ
最も憧れる先輩の後ろでその他大勢でも踊れるんですから。それも由緒ある東京宝塚劇場!
あそこの大階段なんて、宝塚の人でも簡単に立てないのに、ひよっこの僕が立って、なんちゃってドキュメンタリーではぼんやり映ってる!
マッチさんの武道館も出させていただき、シブがき隊の新人賞やコンサートも出させていただき、東山君が加入した新制少年隊も本格稼働し始め、そのバックに自分がいる…
あの当時の環境で、これ以上無いですよ。憧れていた大先輩だけでなく、ほぼ全タレントのバックを矢継ぎ早にやらせていただけたんですから。つらいキツい難しいなんて、これっぽっちも思い出せない。とにかくこんなスターたちの一員に加われるということが何よりのモチベーションでした
その、憧れ段階の最大級のモチベーションとなったのが、3球コンサートでしたね
あのだだっ広さ、ドームもアリーナもメッセも無い時代、あれは異次元にいるみたいでしたね~
その頃からなんとなく「憧れ」だった先輩たちが「目標(ターゲット)」になり始めました
特に、少年隊のバックをやらせていただくようになった頃から、錦織君、東山君は無理だけど、植草君なら頑張り次第で抜けるんじゃないかな?という野心も芽生えて来ました
ただ、もう(ジャニーズ)少年隊というグループとして完成していたので、さすがに割って入るのは難しそうだけれども、当時直近のライバルだった連中は「イーグルス」(大沢、光司、宇治、シゲ)になってジュニア枠から外れていたので、この次の席は俺がもらった!見てろよ、1年間の屈辱を晴らしてくれるわ!というややねじ曲がったモチベーションに24時間包まれていました
平日は学校から帰ったら毎日特訓ですよ。レッスンの復習。自費でジャズダンススタジオに習いに行った話はここでは有名ですよね?(レベルが低すぎてすぐ辞めたアソコ)
他のジュニアで、う~んこの人は難敵だな…と思っていたのはやはり鈴木君。あの人は別格。他に印象に残っている先輩はと言うと、柳沢君。ちっちゃいけど完成に近かった。前田君。竹口君。平本君。中本君。守谷君(入ったのは僕が先かも?)、阿部君。木暮君。内海兄。田中。サッと顔と名前が一致するのはこんな感じで、当然他にも先輩はいました。でも、毎回は来なかったり、モチベーションが僕の方が高かったりで、実際の競争相手は先輩ではこんな感じ。同期以降は正木、江畑兄弟、塩入、早藤、藤沢、遠ちゃん、高木、ノブ、新井、そのくらいまでかな?以外とこのちょい上の先輩達があまりガツガツしてなかったので、僕はガンガン食い込んでいきましたよ
入ったばかりの頃は遙かとぉ~くに見えていたフロントセンターが、2年くらいで取れましたから
こんな感じのメンバー環境で、過去最高スキルの少年隊のバック。
バックのジュニアにここまで求めるか!と言う最初のアイドルだったのでは無いでしょうか
「THIS IS IT」に出てくるダンサー達。ものすごい数から選ばれた世界的スーパーパフォーマー。その彼らは、自分のダンス歴などマイケルの前では赤ん坊同然と思っていたと思います。でも、選ばれたからにはマイケルをもり立てるためのあらゆるパーツになりたい、マイケルが今の瞬間何を考えているか、リハーサルでしょっちゅう出すアドリブのキューだし(「下がり初めて!」とか「ここは僕をじっと見て!」などなどなど)にどんな状況でも対応押しようとする姿。これってまさに僕らの時代のジュニアの姿ですよ。少年隊を際立たせるためでありながら自分のパフォーマンスアピールでもある。
ご存じですか?あの映画の中で使われていたステイト・オブ・ショックという楽曲、劇中ではパフォーマーメインの時間に使われていました。あの曲は、毎週ジュニアが基礎練習をするときに毎回使われる曲なんです!ジュニアは全員あの曲から仕込まれていくのです
こうして、ジュニア達はあこがれの先輩が目標に変わり、次の舞台のメンバーに選ばれるかどうかの発表の度に、明暗が分かれるのです。だから落とされないように必死に日々努力する。目標の先輩に少しでも近づこうと知恵を絞る。先輩は技術を見せびらかすことで後輩にハッパをかける(気分はバカにしてるだけなんでしょうけど)。海外から伝わってくる新技は、体中に青あざ作りながらマスターに励む。
「出来ない」「無理」なんて誰も言ったこと無いと思います。
今のジュニア達には、こういう「誰の後ろで踊りたい」「誰の世界観に溶け込みたい」「そこからデビューにつなげたい」というようなモチベーションはあるんでしょうか??