日本日記 その1

むかし、日本にいたときに、福井のプライベート露天風呂がある旅館に泊まりに行ったことがある。

旅館のほうが日本情緒が満喫できていいに決まっているが、なにしろ根がものぐさなので、たいていその町にいちばん近い5スターホテルに泊まってしまう。

そんなことをいうと日本の人に嫌がられてしまうが、日本の5スターホテルは、西洋基準でいえば3スターくらいです。

その3スターな5スターホテルも数が少ないので、宿泊施設が限定要因になって、行けなかった街もたくさんあります。

旅館では、なんとなく落ち着かない、自分が悪いんだけどね。

福井の旅館は、多分、露天風呂がある以外は、日本では極く標準的な旅館なのだけど、洋式なホテルの水準からいえば、遙かにランクが上で、もう日本滞在も終わりに近かったころで、

こんなにいいのなら、早くからホテルなんて泊まらないで旅館にしておけばよかったね、と話したものだった。

もっとも普通の旅館には、モニとわしからすると重大な欠陥があって、いちばんリラックスしたい温泉につかるのに、なんと男と女が別です。

ホテルでも、例えば芦ノ湖のプリンスホテルには、よく出かけたが、本館に泊まると、肝腎要の温泉が男女別なので、不承不承モニと別れて、ひとりで、人も少ない浴場で、チンポコ潜水艦をして遊んで、不貞腐れたりしていた。

家事を家のひとたちに任せるのでなくて、ふたりでやるのが楽しかったのだといっても、

根が怠け者なので、ごくごく基本的な家事をするのも面倒くさくて、よく、例えば銀座に行けば帝国ホテルに泊まった。

帝国ホテルは日本的な、なんだか旅館のような、客の面倒は徹底的に見てやるぞサービスで、鬱陶しいといえば鬱陶しいが、なにくれとなく観てくれて、安心で、

新館の上にある、ちっこいプールも、いつも誰もいなくて、ホテルと人間のあいだにも相性というものがあるが、相性がよくて、年柄年中、日比谷の別荘のように使っていました。

いったん宿泊と決まると、有楽町の「ビックカメラ」に出かけて、山のようにおもちゃを買ってくる。

いまは、そういうことはないが、その頃はビックカメラは、おもちゃの宝庫のような店で、

例えばスピーカーならスターリンのスピーカーボックスくらいは在庫で置いてある、という迫力のある店だった。

コンピュータもペリフェラルが、例えば旅行用のポケット無線ルータのような、いまでこそ英語世界の店にもあるが、当時は日本にしかないものがおいてあって、よく思い出してみると、そのころでもシンガポールのシムリムセンターのほうが面白いものがあったかも知れないが、どういえばいいのか、これにも相性があって、なんとなくタイディな感じがするビックカメラのほうが好きだった。

会員制のクラブで食べて、カクテルやシャンパンを飲んで過ごすのでなければ、数寄屋橋で、割烹屋の暖簾をくぐって、ひろうすや「1本穴子」を頼んで、なんだか、いまでも蓮っ葉な女子高校生のような「女将さんと笑いころげて」、あるいは劇場の隣のビルの二階にある、ミシュランの星付きレストランなんて目じゃない老夫婦がやっている天ぷら屋で、

「ガメさん、あんこが嫌いだって、いってたでしょう? こういうのをつくってみたから食べてみて」と述べて、作りたての羽二重餅を出して、あんこの美味しさにぶっくらこいているわしを嬉しそうにみて、「ほら、ごらんよ。ガメさんはね、不味いあんこしか食べたことがないだけのことなんだよ」と嬉しそうに述べていたりした。

悪戯っけもある人で、いつか、なぜ牡蠣の天ぷらが日本にはないのか、英語国には、どこでもあるでしょう?と述べたら、ああ、ガメちゃんね、天ぷら屋というのは見た目が大事なんだよ。

牡蠣は、ほら、油が撥ねるからね。

まともな天ぷら屋は、やらないの、と教えてもらったが、

ある日、予約をしてから出かけたら、でっかい的矢牡蠣を嬉しそうに見せてくれて、

「たまには御法度もよいだろう」と述べて、揚げてくれた、その牡蠣天ぷらの、おいしかったことといったら!

天ぷらはテンポーラで本家はポルトガルだが、いまではすっかり日本のもので、日本の天ぷら職人の腕の迫力を見せてもらった。

おなじ天ぷら屋でも「ハゲ天」に行くと、ボックス席の椅子が窮屈で足が入らない。

いつも横っちょから足をだして、給仕のおばさんに笑われながら、胡麻油の、香りが強い天ぷらを食べた。

なつかしいにもほどがある、というのはヘンテコリンな日本語だが、

食い意地が張っているので、ときどき、切なくなるほど日本の食べ物屋がなつかしくて、カウチでゴロゴロしながら、ラウンジの大窓の向こうの青空を眺めながら、日本がニュージーランドとオーストラリアのまんなかくらいに引っ越してくればいいのに、とおもう。

めんどくさいんです。

どうにも、どんどん、なにもかも面倒くさくなって、モニさんにも呆れられている。仕事の用事があれば、仕方がない、人には到底いえない方法で、欧州やアメリカには、ピュッと言ってピュッと帰って来るが、日本には仕事の用事がないので、ナマケモノの自分を説得する理由が見つからない。

行く行かないということになれば、そういうわけで、行かないに決まっているが、最近、つらつら考えるに、どうも自分は日本が好きなようだ、と考える。

いまごろになって迂闊だが、歳をとって、四十歳になんなんとしてくると、おおきな声では言えないが、「社会正義」みたいなものは、段々どうでもよくなってきて、自国や生国のことならば、小さいひとたちの未来、というような問題が絡んで、いまでも人相が悪そうな治安警察お巡りをヘビー級ボクシングで鍛えたパンチでぶん殴るくらいの野蛮さを見せるのにやぶさかではないが、日本は他国で、他国の問題に腹をたてても仕方がない、と、ついついおもってしまう。

ほんとうは他国でも自国でも、分け隔てしてはいけないんだけどね。

なかなか通常人はゲバラのようにはいかない。

しかし文化は別で、最近、フランスのシェフたちの主要テーマのひとつは、カウンタ越しの客との距離であるそうで、日本の鮨屋に現れて、カウンタの幅をメジャリングテープで測ったりして、

涙ぐましい努力をしているそうだが、日本は数値も文化の歴史に溶解して、数ではなく、大将の眼力で、「このくらい」とピタリと幅を決める。

偉大な文化で、最近の日本の料理文化は、普遍性を獲得して、「文明」と呼ぶに足りるくらいになっているので、偉大な文明と呼んだほうがいいのかも知れないが、どちらにしても、日本の食べ物屋は食べることにとどまっていなくて、そこから一歩も二歩も出て、新しいコミュニケーションや空間の開拓になっていて、たとえば日本では嫌がる人も多い、長いテーブルの「相席」も、マンハッタンに行けば「コミューナルテーブルカルチャ」になっていて、見知らぬ同士が、チャンチキおけさで、まあ一杯いかがですか?

わたしはアメリカの大統領ですが、あなたのご職業はなんですか?というような、すごいことになっている。

そんなことをするのは、無論、読書家で文化というものをよく知っているバラクオバマに決まっているが。

マンガよりアニメより、西洋文明に深刻な影響を及ぼしているのは、日本文明の、この、いわば「距離感」で、西洋人が観たこともない人間と人間の距離が、あっというまに広がって、おおきな影響を与えている。

ほら、だから、ひどい言い方をするとね、日本が民主制だろうが民主主義だろうが、独裁者の椅子が誰にも座ってもらえなくて寂しそうに揺れている独裁者不在の独裁制だろうが、どうでもいいんです。

日本文明は、もともと、危険な文明であることに魅力の根本がある。

イメージで言えば、落ちてきた小豆がすっぱり切れるほどの鋭利な刄をもった日本刀が、日本文明のイメージでしょう。

西洋人はバカだが、百年たっても真相が理解できないほどバカではないので、

新渡戸稲造の武士道などは、倫理めかした紛いものだと、もうばれていて、integrityもクソもない、剥き出しの暴力そのものが、日本文明だと、もうばれている。

その暴力が品格を失ってしまえば、アジア各地で若い女とみれば集団強姦を繰り返した、お下品をものともせずに実体を述べれば、勃起したチ〇ポコが軍隊の形を成してのし歩いているような旧帝国陸軍になる。

しかし、公平に述べて、日本刀の美に象徴される日本の美は、西洋価値に真っ向から対抗する

「善と悪の彼岸にある絶対美」であることでしょう。

中国や韓国もそうだが、一般に東アジア人の西洋模倣がうまくいくとは、わしは、おもっていません。

インド人たちは、うまくやるかもしれない。

でもそれは、インド人たちが自分たちでよく知っているように、自分たちのアイデンティティと引き換えに西洋人そのものになってしまうことで、そんなことをうまくやって、遠い未来において、インドの人たち自身、良かったとおもえることなのかどうか。

インドの人たちには不思議なところがあって、モニさん以前、短いあいだ付き合っていたインド人のガールフレンドは(少なくとも表面の)考え方は、まったくのイギリス人で、機関銃のようなオックスフォード訛りでまくしたてる才気煥発な人だったが、付き合っていて判ったのは、

輪廻転生は、ごく当たり前の常識だとおもっている。

わしが、転生を信じるのが難しいことを知ると、文明人が非文明人を見下す目で、

「どうして、あんたたちは、そう愚かなのか」と憐れんでいた。

ガールフレンドだけかとおもっていたら、この人を通じて知り合ったインド人は、どの人もこの人も輪廻転生の信奉者で、ちょーくだらないことを言うと、なるほどインドのひとびとは、安んじて母語を英語に変えてしまえるわけだ、と考えました。

まあ、いいや、

インドのほうに行くと、話が圧倒的に長くなってしまう。

多分、日本のひとたちは、百年というような単位で、西洋文明と別れを告げて、日本刀と死の、自分たちの家に帰っていくだろうとおもっています。

暴力、というと、広島やくざを思い浮かべる、おめでたい(失礼)人たちがたくさんいるので念のために言っておくと、ここで述べている「暴力」は簡単に言えば「言語」の対立概念です。

この世界には暴力にルートを持つ文明がふたつあって、ひとつは日本のサムライ文化で、もうひとつは北海文明です。

とんでもないことを言うと、日本があれほど、あっさりと西洋文明を理解したのは、おなじ暴力への感覚を根底にもつイギリスが北海文明だったからだと、ぼくは思っている。

言語としては、日本語人にとってはずっと習得しやすいスペイン語と疎隔があるのも、そのせいかも、というのは、ちょっと無理がすぎるか。

日本を思い出していくと、記憶というのはそういうもので、道を行き来する日本人の背丈は現実よりも、5センチがとこ高くなっている、以前、鎌倉駅の改札口からでて、意外なくらい背が低い日本の人たちを見渡して、大失礼にも、笑ってしまったことがあったが、そういうもので、空には電線がなく、クチャクチャにちゃにちゃと音を立てて食べるひともいない日本で、要するに、そういうことなのかも知れないが、これから時々、その、フォトショされて、美化されているかも知れない日本のスケッチを残そうとおもっています。

ぼくの日本体験は、実はとても限られていて、例えば銀座銀座というが、大半の銀座で過ごした時間は特派員協会のバーやレストランと、もうひとつ、ここにはあんまり書かないほうが良さそうなクラブで過ごしていて、あとはごく限られた、西銀座デパートの二階にあったイタリア料理屋、数寄屋通りの割烹、東映ビル?の地下にあったおでん屋や、山形という居酒屋、天一本店、岡半、というような店に通っていたに過ぎない。

でも、書いてみたい。

書いているうちには、おおかた細部を忘れ果てた、日本が立ち上ってくるのではないか、姿を現すのではないか、という期待があります。

それに、きみが付き合ってくれれば、こんなに嬉しいことはないんだけど。



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