2017年09月

JFCがファンに”警告”…か

基本的には、昔と変わりません

「追っかけ」の方々には、けっこう厳格なルールがあって、それを破ると他の追っかけの方々から締め出しを食らうようです。当然、JFCとの繋がりも切られる

今はどういう構成か分かりませんが、昔の追っかけはたいてい大きな私設FCに所属していたようで、
その団体の個別ルールに則って(当然その上にJFCルールがあります)アイドルを応援していました

入り待ち、出待ち、高速道路移動時のタクシー追っかけ、飛行機の同便同乗、ホテルの同宿…

これは、常でしたね~

自分より先に追っかけが仕事のスケジュールを知ってる、なんて、ジュニアあるあるですよね

一緒の高校に転校してくる、っていう凄技もありましたね

でも、危害や迷惑行為までする人はいませんでした

いや、全くいないわけではないですが、そういう人はたいてい私設FC所属でない人だった気がします

今、JFCは「一部のファンによる過激な追跡行為」に困っているようです

のぞき込みやエアガンとなると、もう規制するしかないのでしょう

でも、9割の追っかけは、昔のようにルールに従っているのではないでしょうか?

恐らく、追っかけをしている方の絶対数が格段に増えて、ファンの中のルール徹底ができなくなってきたのでしょうね

「追っかけをしていられるのは”つー子さん”のおかげ」

という不文律が、消えてるんでしょうね~


昔の追っかけの方々は、みなさんルールには厳格で、今となってはただただ感謝の気持ちでいっぱいです





本当に超君の言ってるとおりで、心境はよく分かります。とはいえ…

何かのテレビで、忍者のリーダー、柳沢超君が、当時の苦難を赤裸々に告白したようです

そこで吐露された彼の気持ちは、本当に僕も同意するもので、非常によく分かります

自然消滅、待遇の悪さ、取り巻く環境のタイミングの悪さ…

もう、痛いほどよく分かりますし、同情しています


しかし、それだけでは、僕は「ジャニーズ評論家」は名乗れません
彼の言ったこと、同時期に僕の見て感じたことを、冷静に分析していこうと思います

やはり僕は最大の原因は80年代アイドルブームと、90年代タレントブームの狭間の犠牲者、ということに尽きると思っています

彼は光GENJIとSMAPに挟まれた「少年忍者」って名前が…といっていました
とはいえ、当時の状況からすると、そう悪いネーミングでは無かったように思います

ジャニーさんの中では、「ジャニーズ」や「フォーリーブス」という名前に、これではインパクトはないよな、という想いがあったのでしょう

JJSも作りましたが、これはあくまで「ジャニーズJr.スペシャル」という読み方ありきで、SMAPのように略称ありきではありませんでした

そこに、ふと挟んだ「シブがき隊」が大ヒットしてしまった
正直、名前的には「何?コレ」感はありあり
しかし、デビュー前から大人気だった3人は、その事前人気で名前の違和感を払拭してしまいました

その直接ライバルとして設定された「ジャニーズ少年隊」は、グループ名を一般公募しました
しかし、なぜかジャニーさんにはピンと来るものがなかったのでしょう
結果はシンプル系にした「少年隊」のままになってしまった

でもコレ、要するに「ジャニーズJr.」の言い方を変えただけに近いもので、みんな「数年たって大人になったらどうするのさ」と思っていたと思います
もっといい名前なかったのかなあ、と

しかし、少年隊はいきなりドンとはデビューさせてもらえず、レッツヤンで全国知名度を挙げ、コンサートで地道に熱狂的ファンを増やしていき、苦労してようやく仮面舞踏会にたどり着けた

そして、昭和56,57,58年入所組では、すでに勝ち抜き戦に残ったジュニアは揃っていました
しかし、その前に処遇してあげなければならないアイドルがいました
イーグルスの大沢と内海です
この2人は、少年隊のバックを回っていましたが、やはり僕らとは同列ではない
といって、イーグルスの大沢と…とも紹介しづらくなっていました
その後忍者になるメンバーと組ませる(光GENJIのように)は不可能です
この2人は確かに先にデビューこそされましたが、みんな2人をライバルとしか思ってなく、キャリアも実力も全く差はありません。なんなら超君は先輩・年上です

そんな中で、いよいよ少年隊の全面デビューのシナリオが出来つつありました
名前の違和感は、人気でカバー!みたいにいつのまにかなっていました
さて、デビューはそれより先立った大沢・内海の処遇です
これは、喫緊の課題でした。上記の理由により、忍者とはさすがに組ませられません

そこで、面識もない若造5人集めて、お兄さん的立場として大沢・内海を据えた
グループ名にもそれは明確に表さなければいけない
そこでジャニーさんが思いついたものが「光GENJI」
「シブがき隊」から始まった、漢字路線は変わらないんです
というより、ローマ字は使われているものの、「光源氏」ですよね
ロケットブレークしたからいいものの、もし売れるまでに1年くらいかかっていたら、間違いなく
「あの名前はないよね」と、彼らも言われていた気がします

その集大成が、「少年忍者」となるわけです
でも、これまでの路線に立って眺めてみてください
なんか、少年隊よりキビキビしてキメ顔もかっこよさそうな感じ、出ていません?
デビューこそ光GENJIに遅れを取りましたが、少年忍者もデビュー曲は大ヒットしました

爆発的人気になった光GENJIですが、本人達は、きっと少年忍者にいつ追い抜かれるかわからない、そう思っていたかもしれません
だって、メンバーの総合力では段違いに少年忍者の方が上ですから!

そういう和名全盛の時期に、平家派も出てきます

そんな中、SMAPって、何?なんて読むの?たしかバックのスケートボーイズだったんだよね…
スケート・マップ?ってなに?それであのなかの誰が選ばれてるの?

こんなんだったはずです。僕ら世代にしてみたら

何度聞いても覚えられない、スポーツ・ミュージック・アッセンブル・ピープル?ス?ス…マップ?
なんでスポーツ?ダンスじゃないんだ~、アッセンブル?あ、へー、組み合わせるって意味なんだ、聞いたことない言葉だな~、ピープル?何、少年から「人々」にされちゃったの?

よく思い出してください。スケートボーイズより平家派のほうが格上だと認識していましたよね?

そして、当時の僕らが誰も驚かない、デビュー大コケ。忍者のデビューの足下にも及ばない。


こうだったはずです。忍者のメンバーにとっては、2曲目以降安定したヒットを出し続けたい、光GENJIは大ブレークしちゃったからたのきんみたいに別格として、少年隊路線の正統な後継者として、大活躍していきたい!もしかしたら、大ブレークしたら「NINJA」として世界にも…!

しかし、最初のケチは、ひばりさんの歌をリメイクしたことに対する歌謡界からのバッシングがありました。これはもうちょっとジャニーさんが時期を考えてあげて欲しかった気がします
でもわかりますよ、どうしても「ワッショイ、ソレソレお祭りだ」の下りを、少年隊から引き継がせて、少年隊の弟分というのを全面に出したかったんですよね

そして、アイドル乱立による飽和状態、歌番組の終焉と、彼らにとっては腕前を披露する場所が消えてしまった
そうしてボディブローが効いて動きが取れないうちに、世間は今に続く「バラエティ」路線を醸成し、その初めからSMAPはその波に乗っていき、長寿アイドルという、前人未踏の歴史を作った…

と、まあこんな流れでしょうか

でも、確かに夢は叶わなかったかもしれませんが、彼らは芸能界に立派な爪痕は残していますよね
お祭り関係のBGMといえば!聞けば誰もが今でも知っているし、そのグループ名もいまだに覚えてもらってる

今立っているところは、不本意だと思います。運命に見放された、とも思っていると思います

しかし!ここまで来たら、なんとかそっちの世界で頑張って欲しい!あきらめなければ、チャンスはきっと来る。どこかでいつも神は見ているから!





いよいよ「この日」がやってきましたか

ずいぶんもめて、いまだにくすぶっていますね

でも、現実に「その日」がくると、やはり寂しいです とても

みんな笑顔の時もあったろうに…



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プロフィール

石丸志門

1967年9月5日生まれ O型

元ジャニーズJr.
主なレギュラー活動履歴:

テレビ
TBS「年頃家族」
テレ東「ヤンヤン歌うスタジオ」

ツアー
少年隊全国ツアー帯同

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