渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

知識と見識

2023年08月15日 | open


前後輪の径が異なる時代の
オートバイ。

私の乗る機種ではないが、前後
輪の径が異なる二輪に乗った人
のネット記事を見た。
フロントだけが17インチで小さ
くて後ろが18インチの大サイズ、
何でこんな変な設計にしたのか
よく分からない、という趣旨の
内容だった。
走行レビューも、二輪のど素人
以下のような頓珍漢な出鱈目解
釈の文章を続けていた。

ああ、マッチを見て「これは何
に使うのだろう」という質の世
代なのだろうなぁと感じた。
無論マッチもすれない。
日本のロードモデルオートバイ
の試験的なフロント16インチ・
リア18インチの採用の歴史や、
試行錯誤からの17インチフロント
の登場、前後17インチ設定の
安定採用期というオートバイの
歴史と事実とその変遷の意味を
全く知らないのだろうなぁ、
も思った。

本気で二輪に興味あれば、調べ
れば判るのに。自分で手を尽く
して。
そうすれば、自分の目の前にあ
る今の現実のみが世界の全てと
いう狭い視野から抜け出せるの
に。
しかし、自分が見る目の前の現
実だけが判断力の全ての基盤に
なっている。
部屋にエアコンあるのは当たり
前でそれ以外の世界は未知だし、
意味不明とか思い込むように。

多分、そうした視点でいると、
今全く新車が無くて絶滅危惧種
となった二輪の黄色ナンバー枠
のオートバイについても、なん
でこんな排気量があったのか意
味不明、とかになるだろう。
原付50の二輪についても、存在
の意味が分からない、と。

歴史を学ばず、我々人類の先達
たちが作り残して来た足跡を
見て咀嚼する事さえしない。
目の前の現実と針穴よりも狭い
自己の経験からしか世界観が
形成されていない。
そうした人たちが圧倒的多数と
なる世代の時代になって来た。
そのような稚拙な見識、スタン
ス、目線のままで未来が作れる
のか。
無理だろう。
やるやつが先行して、それに
従うだけの存在になるだろう。
それが大多数の「大衆」となっ
たなら。
考えただけでそら恐ろしい。
ものを見ない、見れない、見
ようとしない人間たちがほと
んどとなる世の中になるから
だ。
これは、かなり恐怖の時代だ。

本日、終戦記念日。
今は日本とアメリカが戦争を
した事さえ知らない高校生も
増えているという。
それは社会現象として20年ほ
ど前頃から始まった。
そうなるのだろう。
二輪のロードモデルの前後輪
の径の設定の歴史よりももっ
と大事な自分の国の歩みにさ
え興味が無い。
先人たちが踏み締めた足跡が
道になって拓かれて、今自分
はその道があるから歩く事が
できているという先達の努力
と英知に敬意を払わない。
興味さえない。
やがては、そういう人間たち
だらけになる。
今、そうした方向性に向かって
日本はまっしぐら。

俺らとかその前の人たちが今の
若い世代を能無しの駄目にした
のではないと思うよ。
自覚の問題が一番大きいのでは。
覚醒は自分でするもの。
眠ったままなのは、疾患以外は
自分の責任だ。
寝坊してもいい。
自分で起きろ。自分の力で目覚
めろ。
問題の本質はそこだと思う。
ましてオートバイ。
二輪は倒れたら自分の力で起こ
し立てる乗り物だ。
本当ならば、二輪乗りこそが、
鋭敏で社会的な先駆性と自立
性を人一倍有していないとな
ない。
覚醒せよ。

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