過去ログ溜まったら適当に消します。
2023/8/14
投げ銭とともにおたよりいただきました。
「いつかパンクに目覚めるきっかけが知りたいです。」とのことです。
簡潔に書こうと思ったけどめちゃ長いです。冗長というやつです。すみません。
高校生のとき、中学の同級生の”へぶし”が引きこもりになってしまって、消えてなくなってしまいそうだったからよく家に様子を見に行ってたんだけど、ある日急にギターを買ってきて、会いに行くたびに上手くなっていって、あっという間に速弾きの超絶技巧になった。その成長の様子を見ていたら自分でも何か弾けそうな気がして、池袋で安いギターを買った。音楽のことを何も知らない俺に、へぶしは色々な洋楽を聴かせてくれたり、ギターを弾いて見せてくれたりした。
それから俺も池袋のディスクユニオンとレコファンで50〜100円の中古盤コーナー漁るようになって、たぶん毎月5〜30枚くらいCD買って、へぶしが好きそうなのがあったら持って行って聴かせたりした。へぶしはお礼に、演奏中のハーマン・リの写真をよく見せてくれた。
当時の俺は今よりも少しだけ馬鹿だったので、値段が安くて曲数が多いCDを買うのがお得だと思っていて、必然的にCDラックがハードコアパンクばかりになった。Charles BronsonのComplete Discocrappy(100トラック超)とか、Negative ApproachのTotal Recall(38トラック)とか。当時は何故かグラインドやポスト・ハードコアのCDは値段が高くて、ファストコアやパワーバイオレンスが安かった気がする。そんな流れでパンク/ハードコアを聴き始めた。
18歳のときにアイリッシュパンク好きの友達から誘われてパンクバンドを結成する。ギター弾けないし歌も歌えないと言ったらバイオリンを渡され、やってみたらなぜか最初からちょっと弾けたので、そのままバイオリン(フィドルとも言う)担当になったが、俺がアホすぎてメンバーと不仲になり、1年くらいで辞めてしまった。
音楽としてのパンクの入りはそんな感じで、思想と結びついたのは同じく池袋ディスクユニオンの上がって左一番奥の壁面棚でジャケ買いしたATARI TEENAGE RIOT(ATR)っていうドイツのバンド(ユニット?)の影響が強いと思う。このとき買ったのは、Best of ATR 1992-2000。新品で2000円くらいだった。18トラック入り。割高だと感じたが、ジャケ買いに2000円も使うなんて、自分も大人になったもんだと思った。しかし、最初からベスト盤を買ってくる姿勢が実に非芸術的で商業的で、軟派ですらあるとへぶしから喝破され、納得。反省した。
ATRのベスト盤は、自分にとって高価だったので、ライナーノーツもくまなく読んだし、しっかり聴いた。内容はすごい良かったと思う。
当時はYoutubeが今みたいには機能してなくて、Digital Hardcore Recordingsのホームページや、英語の音楽サイトで情報を探した。関連して、ロリータストームとか、SHIZUOとかCurse of the Golden VampireのCDも手に入るやつは全部買った。海外から取り寄せたら、ケースとジャケットだけで、ディスクが入ってなかったこともある。苦情入れたらもう1セット送られてきた。ATRの動画は、99年のメーデーに行われたベルリンのアンチファシストデモでのパフォーマンスが印象的だった。演奏後にメンバーが連行されていくシーンが動画に収められている。俺はそこで初めて、サウンドデモの存在を知った。
50円のCDばっかり買ってたからだと思うけど、lo-fiな音楽が好きになっていった。一方その頃へぶしは、ギターのテクニカル志向が強まって、OpethやDream Theaterにハマっていた。お互いに、趣味のズレを感じていて、少しずつ距離ができてきた気がする。
2009年、19歳のときに自由が丘の音楽スタジオでバイトしはじめて、数ヶ月で下北沢に異動になった。下北沢店には同い年の菊サンダースという大男が居て、彼の名札には好きなバンドがいくつも書いてあった。その中にATRの名前があったのをきっかけに仲良くなり、週8で遊ぶようになる。ATR再結成の時も一緒に恵比寿まで観に行った記憶がある。
菊や共通の友達たちと、トランス差別反対運動とか、非正規雇用者の労働環境改善、渋谷の再開発反対運動など、いろいろなサウンドデモに行くようになった。これを読んでいる人がデモにどんなイメージを持っているかわからないけど、当時俺たちが行くデモはいつも楽しくて、和やかな感じだった。
デモは「示威行為」と翻訳されることが多いけど、語源はdemonstrationで、これは「実演」と訳せる。だから、良くなったあとの世界を実演するという意味で、デモを楽しむことにも意義があったと思う。
2010年、菊が所属してるパンクバンドのヨーロッパツアーが決まったんだけど、ギターの人が行けないとかで、代わりに俺が行くことになった。当時の俺はATRやSHIZUOの影響でDJやサンプラーの練習をしていて、ギターは全く触ってなかった。全然弾けないし、曲も覚えられなかったけど、縁故優先で採用された。そのツアーではドイツ・フランス・ベルギー・オランダの4か国をまわったが、トラブル続きで1本しかライブできず、残念な思いをした。でも各地のスクォットを巡り、遊んでもらったり泊めてもらったり、アナキストとして暮らす人たちと接していく中で、なんとなく今の思想の基礎ができたと思う。いまだにインタビューとかコラムとかで、よくその話をしてる。本にも書いたかも。
菊は人見知りだからあんまり他人と喋れなくて、ヨーロッパツアー中に始めた携帯ゲーム機のチョコボの不思議なダンジョンで、メインストーリーをクリアして隠しダンジョンの三桁階まで足を踏み入れていた。
2011年、帰国して少し経った頃に東日本大震災があり、菊たちのバンドのドラムがいなくなったりとか何やかんやあって、俺が正式加入した。ギターじゃなくて、マニピュレーターとして入った。
社会では原子力発電所の危険性が露呈して、それを発端にデモの雰囲気が変わった。参加者が数十、数百倍にも増えたけど、シリアスさが増して、自分たちが行ってたへっぽこデモではなく、政治団体のデモみたいになった。みたいになったというか、実際に合流してたからそうなった。しばらくは一緒に活動してたけど、書いたらキリがないくらい色々なきつさがあって、別々にやろうとしたり、試行錯誤したけど何かと難しかった。
ある日、高円寺北口広場で、たまたまライブハウスの店長と菊が話す機会があったらしく、加入後初めてブッキングのライブに出た。パンクバンドばっかり出るライブハウス。難しいこと抜きにして楽しめた。
そのライブ後に店長からバイトしないかと誘われて、楽しそうだったので翌日履歴書を持ってきた。それから数年はパンクばっかりの毎日だった。年間500〜1000本くらいのライブを観たと思う。
そんな流れ。思った以上に長くなってしまった。特にパンクに目覚めたつもりもないんだけど、偶然が重なって、段階的にそうなってしまい、多感な時期をパンクに費やした。その過程で色々吸収してしまったので、もうしょうがないという感じ。今日の日記は恥ずかしいからすぐ消しそう。
へぶしのことで、もうちょっとだけ書きたいので多分明日書きます。画像は2011年の菊と山。
2023/8/13
家の掃除や諸々の家事。近畿地方に台風が来るっぽいので、食料の備蓄も進める。
作りたいもの食べたいもの、特に何も考えずに買い物してきてしまったが、同時調理でパズルゲーム的な快楽を得るためだけに、オーブンでアスパラを焼きつつ、左コンロで野菜を煮込み、右コンロで飴色玉ねぎを作った。最終的に、焼きアスパラガスのマリネと、夏野菜と鶏皮の煮込みと、手羽元のスパイスカレーができた。その勢いで2周目に入り、ピーマンのきんぴらと、基本のトマトソースも作った。今考えると、同時にじゃがいも焼けたな。オーブンの余熱を一回省けたので結構ポイント高かったはず。逃した。
手際が良い感じに進むと自己肯定感が上がるけど、実際は終始テンパってるし、料理終わった後もしばらくの間、火消したかどうか心配になってそわそわしてしまう。遠出してしばらく家を空けるときとか、いつも新幹線や飛行機乗った後にガスとか水とか不安になる。なんか病気なのかな。だとしても別に付き合っていけない感じではない。
今日は無事に調理を終えて、これでカレーライス5食、煮込みうどん5食、トマトソースのパスタかピザ4食として、14食。1週間弱は外に出なくても幸せに暮らせそうだ。コストとしては、肉野菜代が1300円くらいだったので、米や小麦粉や調味料スパイス込みでも1食120〜170円くらいになると思う。結構良い。
トイレットペーパーと飲料水、カセットコンロはあるので、あとはお風呂に水だけ溜めておけば断水してもある程度耐えられそう。停電は想像しにくい。一応、クーラーボックスと保冷剤はある。エアコンなしの夏がどうかわからないけど、45度のニューデリーでエアコンなし生活を体験しているので、いくらかましだと予想する。
問題は今住んでる家が古すぎることで、築年数不明だが恐らく90±20年くらいだと思う。とにかくぼろいので、窓や屋根が大丈夫だという保証がない。古民家での台風、どうなるかわからない怖さがある。とりえあえず窓にテープだけ貼っておいた。
2023/8/12
日記、毎日書いてるけどメモって満足してアップしてなかった。ちょっと調整して一気にアップ。
昼ごろ「これ見て」って送られてきた相席食堂プライムビデオSP #10を見た。気を抜いてソファでダラダラ見てたら、最後に知人が出てきて変な歌を歌わされててめちゃくちゃわろた。やめてよ。
ナチュラルで精選されたコーヒーが飲みたくなって、初めて行く焙煎屋さんに行った。自転車ですぐのところ。近くて嬉しい。NOVO MARK2っていう焙煎機が入ってた。豆の種類は結構たくさんあったけど、よく見たら全部NOVOの開発元がオーナー向けに卸してる豆だ。急にテンション下がった。引っ越したての頃に行った西成の焙煎屋も全く同じパターンでがっかりした。伝わるかな。個人店だと思って入ったらフランチャイズだったみたいな状態です。別にいろんな店があって全然良いってわかっているんだけど、自分が通う店ではないなって感じ。ちょっと求めすぎているよな。個人店信仰過激派への道を突き進み、かすかなチェーン臭にすら過敏になる自分の心の動きを観察している。面白コンテンツ。
いま作ってる長文のコンテンツ、もう一回ちゃんと考えようと思って、自分の過去の作品のバッドレビューをまとめて読み返した。そもそもの意見が違ったりしてあんまり参考になるものが見つからなくて、ということは別にそんなに軌道修正しなくても良いのかもな、と思えた。来週担当のうめ氏に会う予定なので、それまでにもうちょい書いてみる。
2023/8/11
offseasonサイコ丸とお昼食べて、解散。わいは昼寝してから仕事。進行具合はぼちぼちでんな。
本当は締切の近いやつをやったほうが良いんだろうけど、今日は長文のやつを触った。だいたい書く内容は決まってるんだけど、最近は経済学的な視点からどれくらい離れるか、という調整に時間を使っている。正確に書こうとすると、自分が言いたいことを言ってる偉人の格言や都合の良いデータを探すだけのゲームみたいになって本当につまらない。そういう本はすでにたくさんあるしな。感情移入みたいなものを重視すべきか、説得力みたいなものを重視すべきか、担当編集のひととある程度協議して決めたはずなんだけど、いざ書き始めるとまた考え込んでしまう。というか、どっちを選んでも書き始めるとどんどん言葉が出てきて偏った方向に引っ張られて曲がりまくってしまう。逸れすぎないように、真ん中を走るのが難しいみたいなイメージ。何でかわからんけど最近忙しいので、アルファ波が出る感じの時間が欲しい。琵琶湖とかかな。
2023/8/10
沖縄からサイコ丸が来た。ニューライト行ったりたこ焼き行ったり、大阪っぽいものを食べる。サイコ丸って暴食だな。ついでに全部奢ってもらってしもた。夕方は別行動。サイコ丸はおとぼけビ〜バ〜を観に行った。
俺は商店街の中を歩きながら、青果店や鮮魚店などの、ブランディング的なデザインを施されていない店を集中的に観察した。古い商店街には、共産主義や新自由主義とは別の形の繁栄を感じる。みんなが自分の手でインフラを組み立てつつ、どちらも犠牲にならない関係を作るために、経済(お金と市場)が本来の形で作用しているみたいなイメージ。少しだけ、経済の原型が残っているんだと思う。この辺はあとでちゃんとどこかにまとめる。今回の大阪移住のテーマは商店街文化研究なので、もうちょっと集中して調べようと思う。
商店街といえば、高円寺の北中通りの長老、やぶ爺が亡くなったとの報せ。10年前に一緒に路上鍋した時の写真を探して眺めたりした。