6・26「世界格闘技の日」 世紀の「猪木vs.アリ戦」で最も恩恵を受けたのは元祖「100円」商品

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破格な数字が続く「世紀の試合」

 アントニオ猪木がギネスブックに載ったことがある。「1回の試合で最高のファイト・マネーを稼いだプロレスラー」として、当時のレートで「200万ドル(約6億円)を獲得した」と明記されていた(「ギネスブック―世界記録事典(1985)」より。なお、現在の貨幣価値では約15億円)。

 その試合こそ1976年6月26日、ちょうど47年前に行われたモハメド・アリとの異種格闘技戦だった。

 実際、何もかもが破格だった。決戦10日前、アリが来日すると、送迎を担ったのは時価3000万円というミルキーホワイト色のロールスロイス。これは猪木の後援者が提供したもので、宿泊先の新宿・京王ラザホテルに到着したアリはビックリ。ロビーには『Welcome MUHAMMAD ALI THE GREATEST』という大看板に特注の赤い絨毯が敷かれていた。

 そしてファンファーレが鳴り響くと、日本に1台しかないというヤマハのシンセサイザー・GX-1がアリを讃える「ブラック・スーパーマン」を演奏。全英7位の大ヒットを記録したアリの応援歌で、日本でも「モハメッド・アリ~おれはスーパーマン」の邦題で発売されていた。続いて助六風太鼓の伴奏の中、特別に設えたヒナ段でミス京王プラザの石渡敦子さんから花束をもらう。詰めかけた200人を超える報道陣に多少辟易した様子のアリも、この時はさすがに笑顔だった。

 決戦までも多忙に追われた。テレビのワイドショーの類いへの出演はもちろん、6月23日の午後にはスーツ姿で赤坂の東宮御所へ。“ヒゲの殿下”として知られ、大のスポーツ愛好家でもあった三笠宮家の寬仁親王がアリに会いたがり、招待を受けた。その夜には、猪木戦の調印式がテレビ朝日の『水曜スペシャル』として午後7時半から約90分間の生中継。観客はディナーショーの形式で、参加費は1人5万円。当時の大卒公務員の初任給が約8万6000円だから、今なら12~13万円はする高額ぶりだが、全400席はすぐに完売。千葉真一、八代亜紀、ファイティング原田ら著名人も続々列席。小林麻美、岡田奈々、林寛子らが花束嬢を務め、自慢の喉も披露するという趣向だった。

 期間中ほぼ唯一の遊行として、6月22日に東京・品川区にあったニコンの工場を見学。日本のファンの多くが首からカメラをブラ下げていることに興味を持ったためというから、まさに人気者ゆえの発動だった。ここでは女性社員約200名がズラリと並び、アリを出迎えたというから凄い。

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