私は、芸能活動中に2人の女性に心を奪われた。一人は以前も書いた同じ高校の同級生。ジュニアであるがゆえに諦めざるを得なかった甘く苦い思い出だ。実は、もう一人、私には今でも忘れられない女性がいる。今日は彼女のことを追悼の意味も込めて書いておきたい。
「追悼」と言う言葉どおり、もう、彼女はこの世にはいない。彼女の名誉もあるのでフルネームはご勘弁いただきたいが、恐らく今回の話を最後まで読んだ読者には、特に私と年齢の近い世代の方にはきっと想像がつくだろう。一切作り話でも虚飾でもないので、願わくば神聖なお気持ちで読み進めていただきたい。
彼女の名前は、「O.Y」と云った。年は同い年で、アイドル歌手だった。
私が彼女と初めて会ったのはヤンヤン中のドラマコーナーでのことだった。彼女はまだデビューしたてだったが、人気は上々で、同世代の中ではいわゆる赤丸急上昇の勢いといってよかった。初顔合わせの時、彼女は私に向かって意外な言葉を吐いた。
「はじめまして、O.Yです。まだ何も分からないことだらけですので、どうぞ色々と教えてください。」
なんとも謙虚な言葉だった。確かにキャリアは私のほうが上だし、私自身バリバリの頃だったことは確かだ。そうはいっても、彼女はすでにレコードデビューを果たし、格付け的にはやはり彼女のほうが上だと思った。
私は、
「いや、何言ってるの!もうデビューして人気も凄いじゃない。そのうち俺のことなんて口も利いてくれなくなっちゃうんじゃないの?」
とおどけて見せた。すると彼女はあくまで謙虚に
「いいえ、私は田舎者ですし、ジャニーズの方とお話できるだけでも緊張しちゃって…」
私は彼女が東海地方出身だと言うことは聞いていた。しかも、歌手になるために学業で親の求めたハードルを見事に越えて、満を持して上京した、根性のある、それでいて本当に謙虚な女性だった。
たった5分のドラマだったが、彼女との接点は決して少なくなかった。同い年と言うこともあり、自分で言うのは気が引けるが意気は投合していったと思う。休憩時間などは一緒にジュースを買いに行ったこともしばしばだった。ロケの時などは、彼女のファンが非常に怖い目で私を見ていたことを覚えているし、二人の間で話題にもなった。
「あまりファンのいる前で二人でいると俺殺されちゃうよ」
「大丈夫よ、みんな優しい人たちだから。」
いや、それはそうだろう。君に対しては。でも私に対して彼らが優しくしてくれようはずもない。しかし、そういった気持ちの持ち主である彼女にどんどん惹かれていったことは確かだった。
しかし、やはりそう簡単にはいかなかった。まず最初に壁として現れたのが彼女のマネージャーである。私はまだ同行マネージャーまではいなかったので、仕事に行く時はいつも一人だったが、デビューをしている彼女はそうは行かない。清純路線で上り調子の彼女に目を光らせるのは当然だった。マネージャーの取った手段は、私と彼女の出番をずらす、と言う作戦だった。これまでは出番も一緒の機会が多かったので喋ることも比較的簡単に出来た。しかし、撮影順序をいじられてはこちらとしても手の出しようがない。彼女との接点は見る見るうちに減っていった。
私は、改めて普通の世界じゃないんだ、ということを痛感した。それから、私はチャンスがあれば積極策に出ようと決めていた。しかし、彼女はなかなか姿を現さない。
時間だけが過ぎていき、撮影終了もだんだんと近づいてきていた。もうチャンスは来ないのか、そう思っていたときだった。あるロケで、タクシーで移動することがあった。そのときに、なんと偶然私と彼女が二人きりで(マネージャー抜きで)乗車できたのだ!
私は、これまで寂しかった気持ちを素直に伝えた。彼女も同様のことを言ってくれた。そして、電話番号を交換しよう、と言うことになった。しかし、ロケの移動なので私物など持って来ていない。ペンとメモがないのだ。もちろん携帯電話などあろうはずもない。
「じゃあ、局に戻ったらすぐ交換しよう」と私が言った。
「でも、私は今寮住まいなの。そこの番号になっちゃうけど、いい?」
「いいよ、話は出来るんでしょ?」
「うん、それは大丈夫」
私は、運命の神を憎んでいる。これが、彼女と交わした最後の会話であり、最後に見た姿となった。
それから数ヵ月後、私はジャニーズを辞める事になった。彼女との事は、僅かの差で夢物語になってしまったことを悟った。それ自体は仕方のないことだ。私は1ファンとして彼女を見守ろうと思っていた。
時は流れた。
私は、自宅でニュースを見て絶句した。写真週刊誌も見た。そのときの気持ちは、今でも言い表せない。世間はその原因探しに躍起になり、最終的にこうだったようだ、というテレビ的結論には達していた。が、私は真相を知りたかった。私はまだ当時芸能人とも多少のつながりが残っていたので、そこから何か情報が流れてこないか、探りを入れた。
そして…この先の話は、私の心にしまっておきたい。私は何も知らない。そういうことにしておいていただきたい。
何の役にも立たなかったかもしれない。でも、もし私がもう一歩早く手を打ち、彼女との連絡が取れるような体勢を整えられていたら…せめて友達としてでも、連絡の取れる仲になっていたら…
もしかしたら、彼女の大人の笑顔に頬を緩められていたかもしれなかった。ただ、私は彼女と過ごした僅かな時間も忘れていないし、今でも当時のVTRは保存してある。
Yちゃん、僕は今でも、君の笑顔も声も大好きです。君の事は、僕の勝手な思い込みかもしれなかったけど、ごめんね、って言いたいです。君は、素敵な女性でした。
※お願い
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「追悼」と言う言葉どおり、もう、彼女はこの世にはいない。彼女の名誉もあるのでフルネームはご勘弁いただきたいが、恐らく今回の話を最後まで読んだ読者には、特に私と年齢の近い世代の方にはきっと想像がつくだろう。一切作り話でも虚飾でもないので、願わくば神聖なお気持ちで読み進めていただきたい。
彼女の名前は、「O.Y」と云った。年は同い年で、アイドル歌手だった。
私が彼女と初めて会ったのはヤンヤン中のドラマコーナーでのことだった。彼女はまだデビューしたてだったが、人気は上々で、同世代の中ではいわゆる赤丸急上昇の勢いといってよかった。初顔合わせの時、彼女は私に向かって意外な言葉を吐いた。
「はじめまして、O.Yです。まだ何も分からないことだらけですので、どうぞ色々と教えてください。」
なんとも謙虚な言葉だった。確かにキャリアは私のほうが上だし、私自身バリバリの頃だったことは確かだ。そうはいっても、彼女はすでにレコードデビューを果たし、格付け的にはやはり彼女のほうが上だと思った。
私は、
「いや、何言ってるの!もうデビューして人気も凄いじゃない。そのうち俺のことなんて口も利いてくれなくなっちゃうんじゃないの?」
とおどけて見せた。すると彼女はあくまで謙虚に
「いいえ、私は田舎者ですし、ジャニーズの方とお話できるだけでも緊張しちゃって…」
私は彼女が東海地方出身だと言うことは聞いていた。しかも、歌手になるために学業で親の求めたハードルを見事に越えて、満を持して上京した、根性のある、それでいて本当に謙虚な女性だった。
たった5分のドラマだったが、彼女との接点は決して少なくなかった。同い年と言うこともあり、自分で言うのは気が引けるが意気は投合していったと思う。休憩時間などは一緒にジュースを買いに行ったこともしばしばだった。ロケの時などは、彼女のファンが非常に怖い目で私を見ていたことを覚えているし、二人の間で話題にもなった。
「あまりファンのいる前で二人でいると俺殺されちゃうよ」
「大丈夫よ、みんな優しい人たちだから。」
いや、それはそうだろう。君に対しては。でも私に対して彼らが優しくしてくれようはずもない。しかし、そういった気持ちの持ち主である彼女にどんどん惹かれていったことは確かだった。
しかし、やはりそう簡単にはいかなかった。まず最初に壁として現れたのが彼女のマネージャーである。私はまだ同行マネージャーまではいなかったので、仕事に行く時はいつも一人だったが、デビューをしている彼女はそうは行かない。清純路線で上り調子の彼女に目を光らせるのは当然だった。マネージャーの取った手段は、私と彼女の出番をずらす、と言う作戦だった。これまでは出番も一緒の機会が多かったので喋ることも比較的簡単に出来た。しかし、撮影順序をいじられてはこちらとしても手の出しようがない。彼女との接点は見る見るうちに減っていった。
私は、改めて普通の世界じゃないんだ、ということを痛感した。それから、私はチャンスがあれば積極策に出ようと決めていた。しかし、彼女はなかなか姿を現さない。
時間だけが過ぎていき、撮影終了もだんだんと近づいてきていた。もうチャンスは来ないのか、そう思っていたときだった。あるロケで、タクシーで移動することがあった。そのときに、なんと偶然私と彼女が二人きりで(マネージャー抜きで)乗車できたのだ!
私は、これまで寂しかった気持ちを素直に伝えた。彼女も同様のことを言ってくれた。そして、電話番号を交換しよう、と言うことになった。しかし、ロケの移動なので私物など持って来ていない。ペンとメモがないのだ。もちろん携帯電話などあろうはずもない。
「じゃあ、局に戻ったらすぐ交換しよう」と私が言った。
「でも、私は今寮住まいなの。そこの番号になっちゃうけど、いい?」
「いいよ、話は出来るんでしょ?」
「うん、それは大丈夫」
私は、運命の神を憎んでいる。これが、彼女と交わした最後の会話であり、最後に見た姿となった。
それから数ヵ月後、私はジャニーズを辞める事になった。彼女との事は、僅かの差で夢物語になってしまったことを悟った。それ自体は仕方のないことだ。私は1ファンとして彼女を見守ろうと思っていた。
時は流れた。
私は、自宅でニュースを見て絶句した。写真週刊誌も見た。そのときの気持ちは、今でも言い表せない。世間はその原因探しに躍起になり、最終的にこうだったようだ、というテレビ的結論には達していた。が、私は真相を知りたかった。私はまだ当時芸能人とも多少のつながりが残っていたので、そこから何か情報が流れてこないか、探りを入れた。
そして…この先の話は、私の心にしまっておきたい。私は何も知らない。そういうことにしておいていただきたい。
何の役にも立たなかったかもしれない。でも、もし私がもう一歩早く手を打ち、彼女との連絡が取れるような体勢を整えられていたら…せめて友達としてでも、連絡の取れる仲になっていたら…
もしかしたら、彼女の大人の笑顔に頬を緩められていたかもしれなかった。ただ、私は彼女と過ごした僅かな時間も忘れていないし、今でも当時のVTRは保存してある。
Yちゃん、僕は今でも、君の笑顔も声も大好きです。君の事は、僕の勝手な思い込みかもしれなかったけど、ごめんね、って言いたいです。君は、素敵な女性でした。
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