「天国からの手紙」で涙した人が多いのではないでしょうか?

僕も、妻も泣きました。

僕ら夫婦は、二人とも命に関わることを経験しているからです。

僕らは、年は違えども、全く同じ日に入院しました。それは驚きの事実でした。

しかも、お互いに決して軽い状態ではなかった。入院期間は僕のほうが短かったけれども、それでも1ヶ月、彼女は4ヶ月も入院していた。

僕の病気は、その病院でもまだ完治した症例がなく、新薬の投与を打診された。その新薬でも、過去に投与された事例は僅か400人足らず。完治例は「0」。

それでも、これは実は退院直前の話。入院当初の1週間は自分でも「死線」をさまよっているのが分かった。

「こりゃあダメかもしれないな…」

心の中で覚悟を決めて、万一のために親や妹に託す言葉などを考えていた。

僕は医学書を読んだりするのが昔から好きだったので、自分の状態がいかに危険な状態か、検査の結果を聞くだけでよく分かった。担当医が3人もついていたことからも、事の重大性は見て取れた。

幸い、最悪の事態に陥るリミットの1週間を乗り切り、後は慢性化しているこの病気とどう付き合っていくか、この病気にかかると25年以内(これは25年後、と言うことではない。明日かもしれないし、5年後かもしれないということ)に6割がガンにかかり死亡する、と言われるこの病気と…

そこで新薬を勧められた。ただし、最低1年は服用し、それで効果がなければそのときの医学では完全な治療法がない、と言われた。

もちろん、その薬に賭けた。副作用がひどいかも知れない、と言うことなど気にも留めなかった。25年以内に死ぬことが分かっていて、挑戦しない理由はない。僕は、その病院で32人目の治験患者になった。

ところが、たった半年で僕の体から病魔は去っていった。病院でも初の「完治」患者だったと言うから、本当にびっくりした。正直信じられない部分もあったので、日を改めて別の病院で検査もしてみた。

治っていた!

この病気になったのが、僕の人生の中で5回目の、最後の「死線」だった。

ちなみに、妻のほうは彼女のプライバシーもあるので詳しくは述べないが、入院は交通事故によるものである。自転車で車にはねられた。僕らはテニスを通じて知り合ったが、その内容を聞けば聞くほど、「よく命があったものだ」と思わずにはいられない。ましてテニスが出来るまでに回復するとは…僕と彼女の出会いは「必然」であったとしか思いようがない。

生きている幸せ、自立した生活のできる幸せ…決して贅沢な暮らしではないけれども、「普通の」生活が出来るありがたさ…

苦しいこともある、悲しいこともある、もがき苦しむことも絶望することもあるでしょう。

でも今あなたは、「生きている」じゃありませんか!

どんなに辛くても、先が見えなくても、今あなたは生きているじゃありませんか!

なんと幸せなことでしょう!

いっそ死んじゃったほうが楽なんじゃないか…

そんな馬鹿なこともう二度と考えないでください。

あなたは今「生きている」!

「生きている」んですよ!

生きていることは、すなわちすべてが「挑戦」なのです。すべてが「試練」なのです。辛いのも、苦しいのも、悲しいのも、「生きて」いればこそなのです!

あなたの人生は、その試練に打ち勝つために与えられているのです。乗り越えられない苦しみ、悲しみなどこの世に存在しません。

お金があるのが幸せじゃない。

なにもかも自由なことが幸せじゃない。

「生きて」今この試練に立ち向かえていることこそが後の人生の糧となっていくのです。

「死んだほうがいい」などと思うのは本当に死にそうになったことがないからです。「死」を目前にしたとき、人間は無力です。それが定めであれば。だが生きることを諦めなければ、運は初めて自分のほうに向いてくれるのです。

あなたは努力していますか?

他人を思いやっていますか?

自分のことだけに目が行っていませんか?

家族を愛していますか?

誰かを愛していますか?

「死」に比べれば、生きる努力など楽なものです。

そのことを、どうか忘れないでください。