正直、私は下手だった。兄弟は10も年下の妹がそばにいるだけで父もなく、しつけと言うものが甘かった。だから我侭に振る舞い、友達付き合いも面倒なほうだったので、ジュニアの仲間はライバルくらいにしか思っていなかった。今思えば、もっと心を開いてみんなと仲良くやっておけば、大人として、仲間としていいお酒が飲めていたろうに、そう思うと当時の自分の未熟さが哀れに思える。

そんな中でも、唯一プライベートで遊んだのは内海光司だった。16歳になった頃、普通の高校生でもあった私達はそれぞれにバイクの免許を取り(始めは原付だったが)、それぞれにバイクを買った。お互いにスクーターが嫌いで、またがるタイプのバイクを買ったこともあり、話が弾んだ。また、彼の実家と私のうちの実家がバイクで行けばそれこそちょっとあればいける程度だったので、二人でバイクを乗り回して遊んでいた。

ある日隅田川沿いの道を二人で走っていた。たまたまそのときはお互いのバイクを交換して走っていた。と、そのときカーブで私のバイクがタイヤを砂に取られて転倒してガードレールに突っ込んでしまったのだ。

「やっちゃった~よりによって交換した時に事故るなんて…弁償だなァ」
そんなことを思っていた。内海的にも明らかに怒ってはいたが、なにぶん事故なので私の体の心配をしてくれた。よく見ると、私の左ひじに木の枝が刺さって貫通していたのだ。幸いまっすぐに近い枝だったのですんなり抜けたが、とりあえず止血して病院にいった。幸いにも内海のバイクは走行には殆ど支障がなかったので、あとでちゃんと弁償するから、と詫びてその場は帰ってもらった。もちろん後日、ちゃんと弁償はした。しかし、いまだに私の左ひじにはその時の傷の跡が残っている。

ジャニーズの仲間であと思い出があるとしたら、以前書いた話の中でレッスン中に足を怪我したことを書いたが、その時家まで肩を貸して送ってくれたのが内海兄弟(いわゆるキノッピーには同じジャニーズに兄も入っていた)だった。あの時は自力歩行が殆ど出来なかったので、二人の気持ちが嬉しかった。

やはり、何度思い返しても友達は誰でもいいから、売れてなくてもいいから作っておくべきだったといまだに後悔している、だが、その教訓は今に活き、今は沢山の友人に囲まれて、素晴らしい妻にも恵まれ、大変ながらも幸せな日々を送っている。

最近の私の姿が見てみたいという好奇心旺盛な(怖いもの見たさ?)方がいらっしゃいましたので、出たがりの私としては早速掲載してみることにしました!評価はもういいです(^^;)プリクラなので画質が悪いのですが…去年の私の誕生日に妻とサンリオピューロランドに行ったときの写真です。
38歳の誕生日




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