先週、祝福子女の修練会があったことを前回の記事で書きました。この修練会は親子で共に参加するという意味があったせいか、子供に触発されたのか、修練会の4日目に私は文鮮明師の夢を見ました。

 

夢の中で、最晩年の文鮮明師は全ての人に裏切られ、孤独でした。文鮮明師は、脳機能の障害で、難しい状態の中にいました。私は、「顯進ニムは裏切っていません。あなたと共にいます。」と必死に伝えようとするのですが、伝えるのが難しい中で、夢は終わりました。

 

この夢は、霊的啓示というより、私が2001年から歩んだ道のりが霊的記憶の中にあり、修練会という環境の中で、触発されて出て来たという感じでした。

 

この夢を見た前日、子供達は1時間の中で自分が目標とする距離を走るチャレンジに挑戦しました。その夜、子供に、どうだったのかを聞くと、「苦しくなった時に、神様とお父様が歩んだ道のりを思い、自分はこれくらいのことは乗り越えなければならないと思うと、乗り越える事ができた。」と感想を述べました。

 

私はこの体験談を聞いて、少し驚きました。なぜなら、私は、そのような考え方を子供に教えておらず、一度、「神様がした苦労に比べれば、自分の苦労は何でもない」と語った事があるくらいで、「そのように考えなさい」と教えたわけでもなかったからです。

 

どうしてそんな考えを持ったのかと聞くと、「前日の講義で、神様とお父様が歩んだ道のりを聞いたから」との答えでした。

 

恐らく、子供の体験談に驚いたので、文鮮明師に関する夢を見たのだろうと思います。

 

統一教会の人達に、文顯進会長に対する誤解を解くように説明しようとすると、原理や摂理を説明しなければならず、難しい事も多いです。しかし、夢は、私を含めて、文顯進会長の周りにいた人達がして来たことを、わかりやすく象徴的に示していると思いました。

 

文鮮明師は、平和メッセージ1の中で、以下のように語っています。

 

「血統圏と所有権を再び 取り戻す道は、サタンを自然屈伏させる道しかありません。サタンを自然屈伏させる秘法とは何でし ょうか。怨讐を自分の子女よりもっと愛する真の愛の力によってのみ、初めて可能となるのです。」

 

また、文鮮明師がまだ学生だった頃から抱いていた信条は、1935年に書かれた“栄光の王冠”という詞にも示されています。(“栄光の王冠“へのリンク)以下のようにあります。

 

「たとえ だまされたとしても 信じなければなりません。

たとえ 裏切られたとしても 赦さなければなりません。

憎む者までも ことごとく愛してください。

涙を拭いて 微笑みで迎えてください。

人をだますことしか知らぬ者たちを

裏切りながらも 悔い改めのできない者たちまでも・・・。」

 

この恩讐を愛する哲学は、とても危険なものでした。

 

自分の子女の代表は、文顯進会長で、恩讐の代表は、カインの子女であるリーダー達です。文鮮明師は、リーダー達が文顯進会長に関して文句を言えば、必ずリーダー達の側に立ちました。

 

そのように文鮮明師が行動したのは、霊的サタンを屈服させるためでしたが、リーダー達に対する愛と信頼に基づいていました。もしも、リーダー達が、この哲学を逆手に取るのなら、難しい状況が展開するようになります。リーダー達が、ルシファーより悪くなるという状況が起こりえたのです。

 

さらに、文鮮明師の側近や、カインの子女であるリーダー達が、「あなたは人を信じ愛するのでしょう?それなら、私が何をしても、私を愛さざるを得ないではないですか?」という態度を取るのなら、それはまさにサタンが「私はこんなに悪くなりましたが、あなたはそうなってはならず、天使を愛する本然の基準に従い、私を愛さなければならないではないですか?」と主張して来たのに、匹敵する状況となります。

 

2001年、日本人のリーダー達が、日本で権力を濫用する若い世代のリーダーを正してくれるように、文顯進会長に依頼しました。私は、文顯進会長から任を受け、日本統一教会を監査しました。

 

でも、間違いをしたリーダー達を正そうとした文顯進会長は叱責され、その時期にお子様を失う事も経験されました。カインの子女は、アベルの守り人となるのではなく、逆に攻撃を仕掛ける人達になるきっかけとなってしまった事件でもありました。この時期に、リーダー達は、文顯進会長を讒訴するのなら、文鮮明師は自分たちの肩を持ってくれる、と学んでしまいました。

 

2002年、米国で開催された国際詩人協会会議で、「栄光の王冠」の詩が最優秀作品に選ばれ、イーストガーデンの集会で、側近の方が詩を朗読するのを文鮮明師が聞いていたのを思い出します。その後で、側近やリーダー達がしたことを思えば、その詩の朗読の場面は、残酷な場面のようにも思われます。

 

「私が悪者でも、あなたは私と同じようになってはならず、また、私を愛さなければならない。」という態度は、人間がすることの中で最もサタンに似た態度の一つで、ましてや、聖職者の立場にある人は、絶対にしてはいけないことです。

 

近年、文顯進会長が主管する名節行事で、私はよくカインの代表として敬礼する事があります。カインの代表になることに、まるでサタンの代表になるような印象を感じる可能性もあります。カインの子女と呼ばれることを嫌う人もいます。

 

でも祝福家庭とは、復帰されたアダム家庭の、復帰されたカインです。それは堕落圏から復帰され、神様の子女となった人達のことです。祝福家庭はカインの子女として、アベルの子女を守る使命があります。私は試練を受けるたびに、それを思い出します。

 

 

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