僕は、ある東北の村で生まれました高橋という、おとこです。
こどものころから、いたずらで、いまでもおぼえています。
いもうとに、ふろで、めんたむをぬって、ゆびをいれて、
ぼくのちんちんをはめてみたんです、おかあさんにおこられたのですが。
妹のお万個に入る、快感はすごいので、わすれることはできません。
それから、妹。お母さんは、お父さんと離婚しました。
お母さんは。別の男と。妹と再婚したようです。
僕は、初めて、孤独をかんじました。
線刷りは、小学校ののぼりぼうで、おりるときにちんpがあたり、
なんか気持ちよくなり、活きました。うみのような白いものが。
ぼくのこだねであると、あとからわかりました。
たたみにちんpをこすりつけて、おなに~をして、しろいものをだしていました。
なんどもやるうちに、ちんちんをなぶりつけていると。おおきくなり。
皮もめくれないので、少しだけ穴のあいている陳pから、白いエキスをだして、
毎日、せんずりを。たのしんでいました。
背クロスは、妹で、簡単いすましていたので、だいたい、おまんちょに、はめる。
それはしっていました。
ひとまえで、ぼっkしたおちんちんをみせることも、かいかんになりました。
僕は、皮か無理で、広東包茎というそうですが、すごいひょうたんなのです。
おおきくなると、こすると、きもちよくなり、おなに~しているのがくせになりました。
いまでもおなは、してしまいます。
ソシテ、大学になると、ふうぞくにこりだしました。
たちんぼという、おんなたちをだいて、まんこにいれて、だしてたのしみました。
ぜんいんのたちんぽに、ちんpをいれて、ぼくはまんぞくしていました。
ソシテ、ある時、僕は陳pを入れるだけでなく恋をしたんです。
ほんきで、ほれることになるあいてに、せくろすをしたんですが。つづきます。
☆彡これは、本当にあったことのもとずいて、書いていますよんでね。