アレクサンドロス大王がアケメネス朝ペルシアを滅ぼした後、イラン地方は、
順に セレウコス朝シリア→パルティア→ササン朝ペルシア が治めました。
詳しく説明していきます。
セレウコス朝シリア
アレクサンドロス大王の部下だったセレウコスが作った国です。
パルティアやバクトリアなどの国が独立して領土がどんどん小さくなったあと、ローマに滅ぼされました。
パルティア(安息)
パルティアは前248年〜紀元後の226年にあった国です。中国では、安息と呼ばれていました。建国者はアルサケスで、都は、ティグリス川ぞいにあったクテシフォンです。
前漢の武帝の時代の中国で司馬遷が書いた歴史書「史記」に、「安息」と書かれています。
パルティアのあった時期と、中国の前漢・後漢があった時期がだいたい同じです。
▼前漢についてもっと知りたいかたはコチラの記事をどうぞ▼
パルティアはササン朝ペルシア(226年〜651年)によって滅びました。
ササン朝ペルシア

ササン朝ペルシアの領土は、パルティアの領土とほぼ同じで、都もクテシフォンのままです。
ササン朝を建国したのはアルダシール1世で、ゾロアスター教を国教にしました。
次の王のシャープール1世は
- 東にあるインドのクシャーナ朝に勝ちました。
- 西にあるローマ帝国の軍人皇帝ウァレリアヌスを捕まえました。
など、戦いで大きな功績をあげました。
6世紀、最盛期のササン朝ペルシアで即位したホスロー1世は、
- 突厥(とっけつ)と同盟を結び、西のエフタルという勢力を滅ぼしました。
- 東ローマ皇帝ユスティニアヌス大帝とも戦い、アンティオキアを占領しました。
こんな感じで強いササン朝ペルシアでしたが、ニハーヴァンドの戦いでイスラーム勢力に負けて滅亡しました。
アルダシール:(国)建てたひーと
シャープール:シャー・ローマ(クシャーナ・ローマと戦う)
ホスロー:エフタル(を征服)。どちらも4文字です。
こんなかんじで覚えましょう。
順番は、ちょうどアイウエオ順になるので、それで覚えましょう。
マニ教
ササン朝ペルシアでは、マニという人がマニ教をつくりました。しかしササン朝ペルシアはゾロアスター教を国教にしていたので、マニ教を弾圧しました。そのため、信者は国外に逃げ、マニ教は中国(唐)やヨーロッパに広がりました。
ササン朝美術
ササン朝ペルシアで発達した工芸品の美術をササン朝美術といいます。
ササン朝美術は中国や日本まで広まり、日本でも
- 法隆寺にある織物「獅子狩文錦(ししかりもんきん)」
- 東大寺の正倉院にある水さし「漆胡瓶(しっこへい)」
のように、ササン朝美術っぽいデザインのものが残っています。
▼前回の古代オリエントと今回の古代イランについてのクイズを作りました。
古代オリエント3択クイズ
おわりに
イランは、アレクサンドロス大王がアケメネス朝ペルシアを滅ぼした後、セレウコス朝シリア→パルティア→ササン朝ペルシアなどの国ができ、その後はイスラーム勢力が支配しました。
古代オリエントの話はここまでで、次からはギリシアの話になります。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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