今回は古代エジプト文明について説明します。
「エジプトはナイルのたまもの」
古代エジプトでは、ナイル川のまわりに ノモス という小さな集落がたくさんできました。
ナイル川流域は、洪水のたびに栄養がある土が上流から流れてきたため、農業がうまくいき、繁栄しました。
このことをギリシアの歴史家ヘロドトスは「エジプトはナイルのたまもの」と表現しました。
ノモスはやがて一つの国にまとめられ、国王は「 ファラオ(”太陽神ラーの子”という意味) 」と名乗りました。
古代エジプトで、とくに栄えた三つの時期を
- 古王国時代(前27~前22世紀)
- 中王国時代(前21~前18世紀)
- 新王国時代(前16~前11世紀)
といいます。
都は、古王国ではナイル川下流のメンフィスにおかれました。
中王国、新王国では、川をさかのぼって、ナイル川中流のテーベに都がおかれました。
(新王国といっても、クレオパトラの時代よりめっちゃ前です。)
ナイル川の下流からメンフィスまでを下エジプト、テーベのまわりを上エジプトといいます。

ピラミッド建設ラッシュ!エジプト古王国

古王国の時代にはピラミッドやスフィンクスが作られました。
クフ王、カフラー王、メンカウラー王のピラミッドが有名です。
なかでも、ギザに作られたクフ王のピラミッドが最大です。
エジプト中王国と新王国の時代
中王国については、最終的にアジア系のヒクソスという民族に支配された、ぐらいしかエピソードはないです。
ヒクソスは、バビロン第一王朝を倒したヒッタイトと間違えやすいので気をつけましょう。
ヒクソスを追い出してできたのが新王国です。新王国はシリアという地域をめぐってヒッタイトと戦ったことがあります。
アメンホテプ4世の改名と遷都
新王国時代の有名な王様はアメンホテプ4世です。アモン=ラーをまつる神官たちが政治に口出ししてくるのがうっとうしかったので、信仰する神と都と名前を変えた人です。
アモン=ラーとはアモン神と太陽神ラーが融合した神様です。
アメンホテプ4世が行ったことの詳しい内容は
- 当時よく信仰されていたアモン=ラーではなく 太陽神アトンを信仰するように国民に強制しました。
- アモン=ラーは都テーベの守護神だったので、都もテル=エル=アマルナに移しました。
- 「アメンホテプ4世」はアモン神に由来する名前だったので、自分の名前をアトン神に由来する イクナートン に変えました。
イクナートンの次の王が、金のマスクで有名なツタンカーメンです。

古代エジプトの文化

エジプトの文字はおもに
- 神聖文字(ヒエログリフ)
- 神聖文字を簡単にした 民用文字(デモティック)
の2つがありました。文字は パピルス という、草で作った紙のようなものに記されました。
エジプトの文字は、ロゼッタ=ストーンという石版を研究した、フランス人のシャンポリオンが解読しました。
そのほか、古代エジプトでは
- 十進法、太陽暦がつくられました。
- アメンホテプ4世の時代にはアマルナ美術という写実的な美術がはやりました。
- メソポタミアと同じく、多神教を信仰していました。
- ナイル川流域は洪水のたびに荒れた土地を修復していたので、土地の大きさを測る測地術が発達しました。
また、エジプトでは死んだ人は、死と復活の神であるオシリスの「死者の裁判」を受けて、オシリスのOKがでれば、現世に生き返ることができる、と信じられていました。なので
- 「死者の裁判」に備えて、故人のいい人アピールなどが書かれた「死者の書」を棺にいれました。
- 生き返ったときのためにミイラを作って、遺体を保存しました。

新王国の衰退
エジプト新王国は、海の民という謎の民族の攻撃で衰退し、紀元前11世紀ごろに滅びました。
「 海の民 」がヒッタイトをたおし、エジプト新王国を弱体化させた結果、シリア・パレスチナ地域を支配しようとしていた大国たちがいなくなりました。このあとシリア・パレスチナではアラム人、フェニキア人、ヘブライ人の「セム語系3民族」の活動が活発になります。
海の民
海の民は、前1200年頃に活動した、やたらと強い謎の民族です。
ヒッタイトや、ギリシャのミケーネ文明を滅ぼしたり、エジプト新王国に攻め込んで弱体化させたりしました。
▼前回のメソポタミアと今回のエジプトの内容をふまえた3択クイズをつくりました。
古代メソポタミア・エジプト3択クイズ
古代メソポタミア・エジプト3択クイズです。習熟度チェックにどうぞ。

おわりに
古代エジプトでは、古王国→中王国→新王国が順番に栄えましたが、
メソポタミアから来たアッシリアに征服されました。
次回は、アラム人、フェニキア人、ヘブライ人の「セム語系3民族」についてです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
