今回は古代メソポタミアについて説明します。
メソポタミアは、中東にある、ティグリス川とユーフラテス川のあいだの地域のことです。
(左側がユーフラテス川で、右側がティグリス川です。)
現在では、イラクのバグダッドとかがあるところです。

古代メソポタミアでは、順番に
シュメール人→アッカド人→アムル人(バビロン第一王朝)が栄えました。
詳しく説明していきます。
シュメール人とは

シュメール人は紀元前3000年ごろ、都市国家(小さめの国)を数か所つくりました。
有名な都市国家はウル、ウルク、ラガシュです。
ラノベやファンタジーもので時々出てくる「ギルガメッシュ」はウルクの王様です。
シュメール人の特徴は
- 楔形文字をつくりました。粘土板に書かれていたのが特徴です。
- 各地にジッグラト(聖塔)という神殿をたてました。
- 多神教を信仰していました。
- 六十進法、太陰暦、1週7日制をつくりました。
アッカド王国から、バビロン第一王朝(古バビロニア王国)へ
セム語系のアッカド人(アッカド王国)はサルゴン1世という王の時代にメソポタミア地域を初めて統一しました。
「セム語系」のように使っている言葉によって世界の人々を分類したものを「語族」といいます。
アッカド王国がなくなった後はバビロン第一王朝(古バビロニア王国ともいいます)が前18世紀ごろ、ハンムラビ王の時代にメソポタミアを統一しました。
バビロン第一王朝はセム語系のアムル人が前19~16世紀ごろに作った国です。
アムル人は、あとから出てくるアラム人と間違えやすいので気をつけてください。
ハンムラビ王はハンムラビ法典をつくったことでも有名です。

ハンムラビ法典の大きな特徴は復讐法と身分法です。
- 復讐法は「目には目を、歯には歯を」というように、やられたのと同じ分だけやりかえしていいよ!というきまりです。
- 身分法は、身分によって刑罰の重さに差をつけるよ!というきまりです。
バビロン第一王朝は紀元前16世紀ごろ、ヒッタイトに征服されました。
ヒッタイトがこのままメソポタミア全土を支配するのか、と思いきや、この後のメソポタミア北部はミタンニ王国が、南はカッシートが支配しました。
ヒッタイトとは

ヒッタイトはヨーロッパと中東の間の小アジア(アナトリア)にあった、インド=ヨーロッパ語系の国です。初めて鉄製武器を使った強い国、として有名です。
鉄を使う前は、銅と錫の合金である青銅がメインで使われていました。
ヒッタイトはエジプト新王国とも戦争をしていました。
ヒッタイトは、最終的には「海の民」といわれる民族に滅ぼされました。
おわりに
中東のメソポタミア地域は、シュメール人→アッカド人(アッカド王国)→アムル人(バビロン第一王朝)が支配しました。
この後しばらくして、紀元前7世紀にできたアッシリアが、メソポタミアだけではなくエジプト、シリア、イランなども征服して、オリエントと言われる広ーい範囲を支配しました。
次回はエジプトについて説明します。
最後までお読みいただきありがとうございました。
