第9998話 お礼・お返し
狭く、薄暗い廊下の先には安っぽい扉があった。
そこにはまた、安っぽい字で『控室1』と書き殴ったコピー用紙が張られている。
ガルダは躊躇い無くその扉を開けると、四畳半程の部屋にパイプイスが八個置いてあった。
人が座っているのはそのうち一つで、大男が上半身裸で座っている。
全身ビッショリと汗を滴らせているのでウォーミングアップは終わったのだろう。
「よう、試合そろそろだって?」
ガルダは大男に向けて訊ねた。
しかし、彼はそれに答えず胡乱な目つきでガルダを睨んでいた。
「なんだよ、不機嫌そうな顔して。オマエでも試合前は緊張するのか?」
ガルダはからかうような軽い口調で大男、カルコーマに投げかける。
「ああ、信じらんねぇ!」
カルコーマは顔をしかめて大きな足を投げ出した。
「アンタ、女抱いて来たろ?」
カルコーマに指摘にガルダは息が詰まる。
確かにカルコーマの言うとおり、ガルダは女と寝て、その足でここへ来たのだった。
「俺は禁欲して試合に臨むっていうのによう、アンタはいい気なもんだな!」
ふて腐れて、カルコーマは舌を出した。
今夜はガルダとカルコーマが組んで以来三度目の試合である。
ついでにいえば過去二試合を圧勝した新顔にあっさりと巡ってきた王者挑戦の機会でもあった。
小さな総合格闘技イベント『ベルカント』。
選手層が厚い訳でも歴史があるわけでもない野に無数にある弱小格闘技興業である。それでも冠は冠だと、とりあえずガルダの伝手でカルコーマを送り込んだ結果、うまく行けば今晩にもカルコーマはチャンピオンになる。
掴んだベルトを名刺代わりにもう少し気の利いた興業へ参加し、それを繰り返してやがてメジャー団体を目指す。ある面ではもっともオーソドックスな格闘家のサクセスストーリーである。
メジャー団体しかない相撲やボクシングではこうは行かず、純粋にランキングを上げて行かなければならないので時間がかかる。
「いい気になって女なんか抱いてるかよ」
ガルダは空いているイスを引っ張り寄せると腰を下ろした。
今夜の試合は八試合が予定されていたので、他に七名の選手がいたはずだが、現在戦っている選手と、次戦のセミファイナルに出場する選手は既に試合会場の方へ行っていて、他は全員引き上げたのだろう。
「いいか、俺は高校生だぞ。勉強とならんで女の尻を追いかけるのが本分だ」
ガルダは堂々と言った。
「うっせぇ、俺は中学生だ。おっかない兄ちゃんから年齢偽って殴り合いさせられてますって児相にたれ込むぞ!」
身分証明書がなければ誰が彼を中学生を信じるだろうか。
一九十センチに近い長身で厚い胸板、猛獣のような目つき、極めつけは肩まで伸ばした長髪である。
どう見てもプロレスラーだ。
おかげで中学生向けの格闘技イベントでは全く試合が組まれず、そのためこういう場所に居るのだ。
カルコーマのヘンテコな脅迫にガルダは鼻で笑った。
「そんなことするならオマエが夜遊びする度、補導員を派遣してやるよ」
並外れた食欲、闘争本能を持つカルコーマは、性欲も強烈だ。
しかしながら、同級生に彼の欲求を受け止めるほど成熟した存在はおらず、自然と彼は夜の盛り場をうろつく様になった。そうして、相手を見つけては遊ぶのを繰り返していたのだ。
ガルダの名前を聞いたのも、盛り場で喧嘩になり、彼が叩きのめした不良少年たちからだった。
「バカを言うなよ。俺はもう四日もヤってないんだぞ。そんな事するんならアンタでもぶっ飛ばすぞ」
ため込まれた性欲がカルコーマの目を殺気立たせていた。
「その殺意はチャンピオンにぶつけなよ。だが、殺すな。オマエが中学生だとバレる」
格闘技中の殺人は免罪になる事が多いが、捜査はなされる。不都合があぶり出されるのはうまくない。
「というか、別に遊び回ってた訳じゃなくて次の試合を組んでくれそうな連中と会ってきたんだ。オマエが今夜、勝てば次からはそっちのイベントに参加できる。敵も強くなるぞ」
「そうか。それだけは朗報だな。こんな連中とあと何試合もやらされたら俺が狂っちまうよ。だいたいなんだよ『ベルカント』って!」
カルコーマが言うのも無理はない。
『ベルカント』とは『綺麗な歌唱』とかそんな意味を持つ言葉である。
元々、イベンターが音楽イベントを開催しており、その付け合わせでショーとしての格闘技をやってみたところ酒の売り上げがよくなったため、格闘技メインにシフトしていったのがイベント名の由来である。
とにかく試合さえ組めればいいので、自己申告の喧嘩自慢や、格闘技中級者以下の参加が多い。前世で命がけの試合を二十年以上もやり続けてきた怪物には退屈だろう。
「それで今夜の相手はチャンピオンだ。万が一でも取りこぼすなよ」
「旦那。アンタもしかして俺が油断してると思ってる?」
今度はカルコーマが鼻で笑う番だった。
「昔、昔の大昔から戦うときに油断したことはねぇんだよ。だからベストを尽くせる様に禁欲して、十分にウォームアップしてんじゃねえか。しかも相手の試合映像を穴が空くほど視て研究している。俺が負けるときは、絶対的に俺より強い相手とやるときだけだ。今夜の試合も盛り上がらない事だけは保証してやるよ」
と、扉がノックされた。
「カルコーマ選手、そろそろ試合です」
係員が呼びに来たらしい。
「それじゃ、行ってくる。アンタはここで、心が傷つけられたいたいけな中学生になにを腹一杯食わせりゃ傷が癒えるのか考えていてくれ。だいたい一分は掛からないからあんまり時間はないぞ」
そういい残すとカルコーマは控え室を出ていった。
※
試合自体は宣言通り、九秒で終わりカルコーマは初の戴冠を果たした。
あと二、三のベルトが集まれば自前のイベントも開けるか。そんな事を考えていたガルダは、やや値の張る焼き肉屋にカルコーマを連れて行った。
財布には多少の金もあり、カルコーマの暴食にも余裕を持って耐えられるだろうと思っていたのだ。
「……なあ、なんだこの姉さんがたは?」
個室に悪びれもせず入ってきた女たちを指してガルダは訊ねた。
「ああ、近くで遊んでるっていうから。ほら、俺も禁欲期間があけたしさ」
こちらも悪びれないカルコーマが焼けた肉を頬張りながら言う。
二人の女たちはいずれもカルコーマの両脇に座り、酒など注文し始めるではないか。
「その二人の払いは、俺じゃないんだよな?」
「バカを言うなよ。アンタ、俺の悪徳プロモーターなんだから、試合に勝った日くらい気前よく金を出せ」
なんで高校生が成人女性に飯を奢らねばならんのだ。
ガルダは額を押さえて考え込む。
幸いにも女たちは小食そうだが、支払いは足りるか?
「ねぇ、こっちのお兄さんは何歳? 随分と若く見えるけど」
女の一人がカルコーマに訊いた。
「心配するな。俺より年上だから。それよりほら、食べろよ。バレンタインにチョコくれたお返しだ」
豪快に笑いながら、しかし焼けた肉は端からカルコーマの口に入っていった。
女たちは口々にありがとうと言っているが、それはカルコーマに対してである。
当然、ガルダは初対面の女たちからチョコレートも貰っていない。
「旦那、暗いぞ。アンタもどんどん食えよ」
大量に焼いた肉を次々と口に放り込みながら獰猛な笑みをガルダに向ける。
しかし、この猛獣を飼い慣らすのが目的への一番の近道だと、ガルダは知っていた。
早くノラに会いたい。
かつての相棒に向けて、今すぐにでも出てきてカルコーマをぶん殴ってくれるよう、ガルダは強く願うのだった。
迷宮クソたわけ イワトオ @doboku
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