渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

ヤマハ3気筒に乗る飛葉ちゃん

2023年08月12日 | open



ワイルド7の飛葉ちゃんといえば
ホンダCB750Fourがトレードマー
クだったが、最終章の長編「魔像
の十字
路」ではヤマハGX750を駆る。
(「ワイルド7」の連載は1969年

~1979年)
1976年4月に出たばかりのヤマハ
の初マルチ4ストナナハンだった。
それまでのヤマハ4ストは2気筒
モデルが最大だったが、ホンダ、
カワサキに最大排気量部門のマ
ルチエンジンで先行されていた
ので
追撃の意味も含めて初めて
マルチ
最大排気量を作った。
3気筒モデル。

60PS/7500rpm。私の1988年製
カワサキ
2スト250(チューンド)
と同程度の馬力だ。

もっとも、当時は4スト750でも
67馬力程度だった。「200km/hが
ひとつの壁」だった時代。



このヤマハの3気筒ナナハンは
ハンドリングに難があったよう
で、まだ「ハンドリングのヤマ
ハ」の名を冠される前の時代の
モデルといえる。2ストは世界
トップ
のヤマハだったが、4スト
はか
なり立ち遅れていた。
だが、エンジン自体の製作能力
は高く、四輪ではトヨタ2000GT
本体その
ものやカリーナ等の2TG
エンジン
はヤマハのエンジンだっ
た。

2000GTはトヨタの車となって
いるが、ヤマハの完成品をトヨタ
が取り上げたという感が実相だ。
トヨタの手法である。そのやり
方をずっと続けてトヨタは世界
トップの位置を掌中に収めた。

この未完の大器だった3気筒
モデルの40数年後にヤマハが
3気筒大型モデルを製作したの
は、一つの過去の克服の気概の
ような気もする。


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