この記事は深夜〜早朝限定です。
※開店時間 平日夜0:30〜朝9:00

思い出の選りすぐりのシーンだけ、集めてみました。
今日は特集・あの頃の東レアローズ①です。



[画像:8263906a-s.jpg]

[画像:d97c9214-s.jpg]

[画像:53cdf313-s.jpg]

[画像:0148ffc3.jpg]

[画像:0f7adef0-s.jpg]

[画像:033e30bc-s.jpg]

[画像:bcf4f724-s.jpg]

[画像:5ae870f8-s.jpg]


[画像:261b2d82-s.jpg]

[画像:6f6878d5-s.jpg]

[画像:6de16ebe-s.jpg]

[画像:608ee33f-s.jpg]

[画像:f83ce269.jpg]

[画像:41a9387e.jpg] 

[画像:f5e0757e-s.jpg]

[画像:c2d3baa2.jpg]

[画像:a858b722-s.jpg]

[画像:62e302e8-s.jpg]

[画像:38acfe36-s.jpg]






※この記事は2018年の8月に書かれたものを一部、加筆、訂正しております。

以前、バレーボール夜話でご紹介したミホノブルボンという強い競走馬がいたが、いまだに最強馬伝説のある逃げ馬が数頭いる。

その中の一頭にカブラヤオーがいる。

人呼んで、狂気の逃げ馬。

カブラヤオーはデビュー戦こそ2着に敗れたものの、その後は破竹の連勝街道を突き進んだ。

同じ時期、牝馬(メスの競走馬)でも強い馬がいた。

テスコガビー。

実は、カブラヤオーとテスコガビー。
共に主戦騎手は菅原泰夫騎手。

この二頭は、生涯一度だけ東京4歳ステークスで直接対決を果たしている。この時菅原泰夫騎手はテスコガビーに騎乗。カブラヤオーは弟弟子の菅野澄男騎手が騎乗。カブラヤオーが一度よれながら立て直し、勝利している。


ちなみに菅野澄男騎手の重賞勝利はこの時だけである。

カブラヤオーはこの後、弥生賞も制し、三歳クラシックの一冠目・皐月賞に出走すると、前半1000mを58.9の短距離並みのハイペースで逃げて逃げ切り勝ちを収める。

一緒に競りかけたレイクスプリンターがこのハイペースに耐えきれず、レース後予後不良*
となるほどだった。

続くクラシック第二弾・日本ダービーでもカブラヤオーの猛烈な逃げは変わらなかった。

前半1000mを皐月賞を超える58.6と自殺的なハイペースで逃げる。直線よれるも後続を突き放してクラシック二冠目を制覇。
8連勝で三歳馬の頂点に輝いた。


菅原泰夫騎手は皐月賞、ダービーをカブラヤオーで制し、テスコガビーで桜花賞、オークスを勝ち、三歳牡馬・牝馬クラシックを一年で4勝したジョッキーとなった。

ところが、クラシック三冠最後の菊花賞を前に屈腱炎を発症。三冠馬の夢は断たれたが、復帰後も強さを発揮。

秋の天皇賞を目前に屈腱炎を再発し、引退を余儀なくされた。

13戦11勝2着1回着外1回。

ちなみにこの「着外」の時はゲートで頭をぶつけ脳震盪を起こして11着に敗れた時だけであり、カブラヤオーのことを未だにファンは最強馬と呼ぶ声も多い。


*予後不良…故障により以後の生活が困難と判断された場合、競走馬は安楽死処分される。(サラブレッドは寝たきりだと内臓が圧迫されてしまうので重度の骨折などの場合、こうなる場合が多い)


実は、このカブラヤオーの強さの秘訣について現役時代語られることがなかったが、実は子供の頃、他馬に蹴られてから極端に他馬を怖がるようになったため、逃げ以外の戦法を取ることが出来なかったとのこと。
陣営はそれを逆手に取り、カブラヤオーを一流馬に仕立てたそうな。

強さには、何らかの秘訣がある。