安田さん「日本政府が当事者となり申し訳ない」
内戦下のシリアで武装勢力に拘束され、3年4カ月ぶりに解放された日本人ジャーナリスト、安田純平さん(44)が2日午前、東京都内で記者会見を開いた。安田さんは冒頭、「解放に尽力していただいた皆さん、ご心配をおかけした皆さんにおわびするとともに深く感謝します」と頭を下げた。「私の行動で日本政府が当事者となり申し訳ない」とも話した。
安田さんは10月25日に帰国したが、拘束による心身の負担が大きいとして会見を見送り、検査入院していた。
会見場に姿を見せた安田さんは帰国時に伸びていたひげを短く切りそろえ、ネクタイを締めたスーツ姿。神妙な面持ちで登壇し、一連の取材を始めた経緯を説明した。
2015年5月に内戦下のシリアで活動していた反政府組織を取材するため、隣国のトルコに入国。シリア難民を支援するという男性を通じてシリア人ガイドと知り合った。6月22日夜、「案内人」を名乗る2人の男とともにトルコ南部から山道を1時間ほど歩き、シリア北西部に入国。国境越えたところで、男らに両腕をつかまれ、車に押し込まれたという。
その後、シリア国内の民家へ移動し、12月7日に「日本に送るから個人情報を書け」と指示されたという。身代金を要求するためだったというが、日本政府からの返事はなく、「(拘束している)男たちの機嫌が非常に悪くなっていった」と振り返った。同月以降、男らから尻を蹴られたり、頭をたたかれたりするなどの暴力を受けたと説明した。
拘束されていた施設では食事が提供され、当初はテレビもあり、日記を書くことも許されたという。施設内には安田さん以外にも複数の囚人がおり「見せしめのように拷問をすることがあった」という。
16年5月には指示を受けて「助けてください」と日本語でメッセージを書き、インターネット上に投稿。周囲の囚人が解放される状況をみながら「自分も解放されるのではと期待を持った」。しかし、その後も施設を移されて拘束を解かれることはなかった。
以降、「嫌がらせをされるようになった」と境遇が悪化していったという。幅1メートル、奥行き2メートルほどの部屋に入れられ、「指の関節が鳴るだけで、スパイ行為をしたと、電気や扇風機を消された。なぜあのような虐待をされたのか」と悲惨だった状況を話した。
18年7月、安田さんは日本語で助けを求めながら「私の名前はウマルです。韓国人です」と動画をインターネット上に公開。日付や本名、国籍を隠してメッセージを送るように指示されたという。
状況が変わったのは9月末。かつて収容されていた施設に移った際、「そろそろ帰すから」と伝えられた。期待を高めながらも独房で再び身動きをとらないように言われると、安田さんは「帰すか、殺すかしてくれ。こんなのジハード(聖戦)ではない。40カ月がたつのだから、解放してくれ」と訴えたという。
それから約1カ月が経過した10月22日に「今から帰す」と言われ、トルコ側へと身柄が引き渡されたという。
安田さんは日本政府に対して「やるべきことをやっていただいたと思う。救出は非常に難しい中で労力を続けていただいたと思う」と話した。拘束が長期にわたったことについては「自分の身に対して起こることは自業自得」との心構えだったと説明。退避勧告が出ている中でシリアに入国したことについて「批判があるのは当然のこと」と述べた。その上で、紛争地での取材を続けるかを問われ、「全く白紙。分からないです」と短く答えた。