第2話 妖怪屋敷・稲尾家

 屋敷の玄関口からは池と鹿威しが見えた。何かがぱちゃん、と跳ねたが、見間違えでなければかなり綺麗な錦鯉であったように見える。


「燈真、何してんの」

「悪い」


 椿姫に促されて玄関に入った。靴を脱いで下駄箱に入れ、「お世話になります」と言ってから上がる。

 家にはそれぞれの家庭の匂いというものがあるが、稲尾家のそれは和紙とお茶の香り、ほのかに混じる和菓子の芳香がそれだった。


「何はともあれ柊に挨拶ね。堅くならなくていいから。柊そういうのめんどくさいって切り捨てるタイプだし」

「裡辺は愚か日本を救った英雄の一匹なんだよな……?」


 最悪の魍魎・ヤオロズを討ったのは柊と彼女の旦那、そして異界の神と言われる男だ。その三名と二千を超える術師、五〇〇〇の将兵が七日七晩かけて撃滅したらしい。

 当時の——平安時代の術師は現代の術師とは基礎的な水準からして格上であり、その中でも全国から集った選りすぐりが戦ったのだ。その上で丸一週間も討伐できなかったことを考えると、ヤオロズが如何に異質で異常な化け物なのかがわかる。

 燈真は顎をさすって生唾を飲んだ。

 椿姫はそれを見て、そして噴水広場での行動からして燈真が己に自信を持っているタイプだなと見抜く。六十七年も生きていれば、人間の心理学の一つは身につくものだ。


「ひいらぎー、とうまきたよー」

「あっ、こら菘」


 椿姫が止めるのも構わず菘は居間の襖を勢いよく開けた。

 するとそこには大きな九尾の白狐が狐の姿で横になっており、バラエティ風のコミュニティラジオを流しながらくつろいでいた。

 しばらくそのまま燈真は狐を眺め、


「やり直そうか?」

「頼む」


 燈真はすっと襖を閉めた。椿姫と菘は何も見なかった、という顔で、


「柊、いるー? アケルワヨー」


 ただまあ椿姫は呆れがちな棒読みで声をかけてもう一度襖を開けた。

 するとそこには菘のそれと似たデザインの浴衣を着た絶世の美女が横座りで待ち構え、優雅に笑みを浮かべていた。手元にはさっきまでなかった煙管が握られ、しかし慌てていたのか火はついていない。

 椿姫を見た時にも思ったが、見事に実った胸部に目がいく——が、なんというか興奮はしない。健全なエロスというか、美術品を見ているような気分になるのだ。言ってしまえば高嶺の花すぎて崇めるような感覚になるという感じだろうか。


「よう来た。妾こそが稲尾家当主、稲尾柊。うん、まあ……見ての通り九尾の妖狐だ。今は現役を引退し、退魔局魅雲支部でご意見番のようなものをしておる」

「初めまして、漆宮燈真です。その……」

「よい、全部聞いておる。無理して語るな。あと、敬語はいらんぞ。浮奈には助けられたし、あやつとは家族のような付き合いだった。惜しい術師を亡くしたものよ」

「うん……母さんも人間だったってことだよ」


 燈真の母は十年ほど前事故で他界している。平成末期レベルにまで落ちた現代の車には、AIで運転を全て補助するような機能はない。運転前に、運転手の血中アルコール濃度を測る機能は一部の専用車両(バスや運送トラック、タクシーなど)には導入されているが、一般車にはない。

 つまりは母はアルコール漬けの脳味噌を乗せた乗用車と電柱の間にプレスされ、即死した。六歳の燈真を庇ってのことだった。

 非術師の家系から突如生まれた奇跡の術師、漆宮浮奈の最期がそれだった。


「燈真、お主には浮奈が修行をしておった時代に貸していた部屋をくれてやろう。家具はこっちで使ってない部屋のものとかをかき集めて用意した。足りぬものがあったら妾か伊予に言いつけよ。あ、そうだ」


 柊がタンブラーに注がれた、氷の入った緑茶を飲みながら、


「高校は特別な事情がない限りはバイト禁止。だからうちでは小遣い制をとっておる。考えて、大切に使うように」


 そう言って柊は封筒を手渡してきた。

 燈真は躊躇ってしまい、出しかけた手を引っ込める。


「おい、遠慮するな。先立つものがなければ買い食いさえできんだろう。妖怪にだってもとより金の概念はある。別に、こいつでとって食おうなんぞとは……」

「そうじゃなくて……いきなりもらっちゃ、図々しいだろ」

「子供がそんなことを気にするでない。いいから、受け取れ。そうだな、そんなに気になるなら将来出世払いで恩返し、ということでいいんじゃないか?」

「そう、だな……。ありがとう、柊」


 燈真は封筒を受け取って、それから改めて頭を下げた。柊はひらひら手を振って、椿姫に「部屋まで案内してやれ」と音量を絞っていたラジオのつまみを回す。パーソナリティーの軽妙な会話が部屋に広がった。

 菘はそのまま一階に残り、伊予は厨房に消え、燈真と椿姫は二階に上がった。

 廊下の途中にある『TOMA』というネームプレートがかけられた部屋の前で椿姫が微笑んだ。


「ほら、ここよ」

「ありがとう。そういえば荷物はもう届いてるのか?」

「ええ。あんた私物少ないのね。勝手に開けちゃ悪いから、段ボールごと置いてあるわよ。おいおい片付けていってね」

「わかった」


 燈真はドアを開けて中に入った。

 六・五畳ほどの広さの部屋の中には本棚と勉強机、ローテーブルとベッドがあり、L字の勉強机の上には二一インチのモニターもある。

 エアコン完備、そして部屋の隅には段ボール箱が二つ置いてあった。

 燈真は己の牙城を手に入れたことに素直に喜びつつ、コキコキ首を鳴らした。


 燈真がこの家に来たのには当然理由がある。

 一つは前の家にいられなくなったから。

 一つはこの家が母の古い知り合いで、面倒を見てくれると言ったから。

 そして最後に、退魔師を目指しているから。


 最強の退魔師になれば、あの汚名も返上できる。燈真はそう考えていた。別に、気にしなければそれまでだ。マエがついたわけではない。平穏無事に暮らせる。それでもやられっぱなしでは男の沽券に関わるのだ。

 殴られたらもう一方の頬も差し出せ——そんな、聖人君子のような真似はできない。燈真は所詮下賤の身だ。殴られたら殴り返す。単純にそう考える男だった。

 無論、物理的に殴るのではない。発言権を得られる立場に上り詰め、真犯人を追及するのだ。

 傷害罪と強姦罪の本当の主犯を、解き明かすのだ。


 ぐぐ、と拳を握り込んだ。

 何げに段ボールを開いて、中に入っていた本を棚に並べる。漫画本、小説、エッセイ、コラム——雑多なジャンルの本を、一応作品毎に並べて入れていく。

 それから着替えの類や洗面用具を取り出してクローゼットの収納にしまい、燈真は空の段ボールを潰して部屋の隅に積んでおいた。


「おお、はやいねとうま。もうかたづいてる。しっかりものだな、わっちのけらいにしてやるぞ」

「へいへいどうも。どした?」

「みんなでアイスたべよーって。いよがね、かってあったアイスだしてた」

「アイスか……ああ、わかった」


 燈真は菘に続いて一階に降りた。居間には椿姫、柊のほかに赤髪のイブニングドレスを着た青白い肌の女性に、白メッシュが入った茶髪の少年、二股の尾を持つ猫又少女がいる。

 少年がじっとこちらを見て、立ち上がった。背は低く、一六〇あるかないか。年齢は燈真より少ししたくらいで、中学生にも思える。


「お前が、燈真?」

「ああ。しばらく世話になる、よろしく」


 敬語は必要ない、と言われたのでそうしたが、どうだろうか。

 二本の細長い尾を揺らす少年は、頭の丸みを帯びた三角形の耳をぴくっと跳ねさせ、鼻を鳴らした。


「ま、悪いやつじゃねーんだろうな。菘が警戒してねーし、それに椿姫さんの、フィアンセ——」

「この馬鹿ッ!」


 椿姫が投げつけたボールペンがコンッ、と少年の後頭部に命中した。


「な、なんだよ!」

「いらんこと言わなくていいの! ったく。ほら自己紹介」

金森光希かなもりみつき。こう見えても雷獣っていう妖怪だよ。よろしくな」

「ああ、こっちこそ」


 差し出された右手を握り返す。意外と柔らかくて優しい手だった。

 他のメンバーとも挨拶をしようとしたところで、伊予が一人の妖狐の少年と、雪女の美女を伴ってやってきた。


「はい、アイス。八日位にも大人気のしるこバーよ」

「おっ、来た来た」


 柊が緩やかな動きで立ち上がって、伊予からしるこバーを受け取った。全員受け取るなり袋を破いて齧り付いたり、舐めたりし始める。

 燈真は袋こそ破ったが、なぜか食べようとしなかった。


「何よ、遠慮してんの?」

「いやその……俺、甘いもんダメなんだ」


 全員が「そんな生き物いるの?」という顔をした。

 燈真は頬を掻いて、


「椿姫、いるか?」

「しょーがないなあ、私が貰ってあげるわよ」

「ずるいよおねえちゃん、わっちもはんぶんほしい!」

「これ椿姫、食い過ぎるな。少し妾にもだな……」


 大人気だな、しるこバー……。

 燈真は伊予が差し出した緑茶を受け取った。


「ごめんなさい、事前に聞いておけばよかったわね」

「いや、俺のほうこそわがままでごめん」


 燈真はなんというかいたたまれない気分になった。

 それから少しして、燈真は村を見て回ることにした。


「光希君、案内役頼める?」

「えぇー……しょーがないなあ。行こうぜ燈真。つっても別に面白いもんなんてねーけど」


 妖怪がこんなに出歩いてるだけで充分面白いよ、とは言わないでおいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【一旦保留措置】ゴヲスト・パレヱド — 濡れ衣で勘当されたけど居候先の妖怪屋敷で最強退魔師目指します — 夢咲ラヰカ @RaikaRRRR89

作家にギフトを贈る

 のんびり活動します。  メンタルが弱いので優しくしてもらえると助かります。
カクヨムサポーターズパスポートに登録すると、作家にギフトを贈れるようになります。

ギフトを贈って最初のサポーターになりませんか?

ギフトを贈ると限定コンテンツを閲覧できます。作家の創作活動を支援しましょう。

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画