
ベネッセ教育総合研究所 教育イノベーションセンター研究員 庄子寛之
教員の働き方改革・処遇改善について、政府は来年度(2024年度)から3年間を集中改革期間に設定した。それを盛り込んだ「骨太の方針(経済財政運営と改革の基本方針2023)」はご覧になっただろうか。夏休みの今だからこそ、教員の皆さんにはぜひ読んでいただきたい。言いたいことはたくさんあるが[1]、今回はその中の「小学校高学年の教科担任制の強化」について考えたい。
小学校は、中学校と同じことはできない
教科担任制になれば、担任が教えなくてはいけない教科は減るだろう。よく考えられるのは、理科・社会・体育での3クラス教科担任制だ。確かに教える教科が減ることは、教員の負担軽減につながる。しかし、十分な専科教員が配置されないまま教科担任制が広がっていけば、たくさんのデメリットがあることを忘れてはならない。
その1つ目は、時間割編成である。そもそも中学校と小学校では、教員の人数が違う。中学校の方が圧倒的に多いのである。それは、教科担任制を行う上で、その人数が望ましいということからきているはずだ。
小学校で広く行われているのは、専科教員による教科担任制ではなく、既存の教員による「教科交換制」である。交換しているだけで、実質の時間は生み出されていない。つまり、空き時間は今と同じままで教科担任制を教えなくてはいけないのだ。体育を担当する教員はずっと校庭に、理科を担当する教員はずっと理科室にいることになる。そのとき生まれるのは、休み時間の児童管理が手薄になるという問題である。
中学校なら、生徒にある程度任せられるかもしれない。しかし小学校はそうではない。教員がいないことに不安になる児童もいるかもしれない。もちろん全教員で見ればいいのだが、それにしては教員が少ないのである。
地方は学年1クラスの学校も多い
2つ目は、単学級の学校も多いことである。政策決定の会議は文科省がある東京で行われることが多い。首都圏の学校の当たり前が、地方の学校の当たり前ではない。私は全国各地の学校で授業や講演をしているが、たくさんの単学級の学校を見てきた。島や過疎地では複式学級もよく見る。
これから日本はさらに人口が減り、都市部への人口集中も行われるだろう。単学級では、専科教員が加配されない限り、教科担任制はできない。働き方改革にはつながらないだろう。
日本の教員は真面目だ。国がやろうとしていることは素直に従う。しかし、単学級だから教科担任制ができないということは、できないだけでなく「国は私たちのことを見てくれていないのね」となる。
実際そう言う声をたくさん聞いた。小規模自治体でもできる教科担任制をすべきである。そのためには、ただでさえ人材の少ない地域に、ちゃんと正規の教員を加配することである。それにより、教科担任制もできるだろうし、その学校の働き方改革にもなるだろう。
やりたい教科を教えられない教員のやりがいはどうなる?
最後の3つ目は、各教員が行う教科の決め方である。学年の教員が決まった後、誰がどの教科を受け持つかは、どうやって決めればいいのだろう。校長が決めることもあれば、学年で話し合うこともあるだろう。
どちらにせよ、経験年数が少ない教員がやりたい教科をすることができないことが予想される。中学校は、その教科の教諭になりたくて試験を受けてその教科を担当している。しかし、小学校の担任は全科である。体育が大好きな教員が、1年間体育ができないとしたら、それは本当に働き方改革になっているのだろうか。
たとえ勤務時間や負担が減っていても「働きがい」が減ってしまっては、働きやすさにはつながっていないのではないだろうか。
教科担任制をする学校だけでも教員の加配を
働き方改革は、残業時間を減らせばいいだけではない。教員たちが「教師をやっていて楽しい」と思える「やりがい」を見いだせることだと思う。
教科担任制の問題点を書いてきたが、私は小学校の教科担任制にはおおむね賛成である。ただ、今のままでは反対だ。教科担任制をやる学級だけにでも、そのための加配教員を最低2人ほしいと考える。
国の財政の問題もあることはよく分かっている。ただ、教科担任制が定着するためには人を増やすことは必要不可欠であることを忘れてはいけない。
以前にも問題点を指摘しましたが、教科担任制の問題を再掲します。文科省の人たちの目に触れるように…。